ビューティシルク シルク美容室 | お店のミカタ https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/ 時代、流行を超えた「個性的な永続の美」を望む人には、当店はお勧めです。 https://asset.omisenomikata.jp/Hp360/a4/90/2749899/2749899_ae1c12a490_header_logo_pc.jpg ビューティシルク シルク美容室 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/ 【日記】 我が家の大正時代の雛人形と江戸時代後期の京人形「猩々」 Fri, 16 Feb 2024 02:07:50 +0900 1860759 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/1860759 我が家には祖母の嫁入り道具として、母上に受け継がれた大正時代の雛人形の「勝手道具」が、ほぼ完全に揃って保存状態も大変良く残されているのだが、残念な事に「主役」の雛人形の保存状態が余りにも思わしくない。<br />今まで兵庫県・龍野市の博物館で何度か歴史的雛人形の展覧会を見て来て、「我が家にも道具類だけは立派なのが残っているのだから、美しく保存状態の良い雛人形が揃えば、博物館に展示出来る位の作品になるのに。」と思っていた。<br /><br />2018年8月22日、神戸市の古物商から、歴史的な「親王雛」(古今雛の一種、御殿様と御姫様)の人形が送られて来た。 <br /> 此の雛人形の箱には「三越呉服店」と表示されている事から、「三越・百貨店」の歴史と照合して見ると、明治37年(1904)~昭和2年(1927)の時代の作品と特定される。<br />&nbsp;更に、人形の顔立ち、寸法、衣装の材質、装飾品、等からして、大正時代初期(1912~15年)頃制作されたと推測される。<br />間も無く同月29日には、今度は京都の古物商から其の他の雛人形全て、即ち「三人官女」、「五人囃子」(ごにんばやし)、「随身」(左大臣と右大臣)、「仕丁」(しちょう)が我が家に送られて来た。<br />前記の「親王雛」と寸法が適合する事、一部が全く同じ布で作られている事、仕立て方が同じである事からして、これ等の雛人形は同じ工房で、ほぼ同時代に制作された可能性が高い。<br />かくも都合良く雛人形15体全てが短期間に揃えられたのは、(妄想染みた事を書く様だが)あたかも「古今雛」の御殿様と御姫様が、自らの従者達を呼び寄せてくれた様な気がしてならないのである。<br />いずれの人形も現代の雛人形に比べて小型ではあるが、繊細な技術で作られて優美な容貌で、而も保存状態も事の他良好なのである。<br />これ等の雛人形は正に我が憧れの「平安時代の雅」と「大正時代の浪漫」が融合していると言える。<br />更に同月31日には、京都市・右京区の和雑貨の店から雛人形用の「金屏風」及び「桜」と「橘」(ちりめん製)が送られて来た。<br />9月4日には京都の別の骨董業者から雛人形の道具類の一種である「御所車」(牛車)が送られて来た。<br />此の作品もデザイン、材質、仕立て方、等から見て、大正時代に制作された物の様である。<br />御所車は平安貴族の乗り物の代表格なので、織物、焼き物、書物、等の日本の伝統工芸品の装飾主題として長きに渡って愛好されている。<br />英語の諺に"Late is better as nothing"(遅くとも何も無いよりは良し)と言うが如く、時間はかかったが、此度、我が家の雛人形の道具類に理想的な「古今雛」が手に入った事には、少年時代より公家の姫様に憧れて止まない余も、そして長き思い出のある我が母上も感無量の喜びである!<br />全く季節外れの「雛祭り」と言った感じであるが、同時に我が祖母の嫁入り道具を完全に甦らせて上げる事が出来た思いなのである。<br />&nbsp;<br />扨、雛人形の紀元についてであるが、雛人形の衣装はあたかも平安時代の公家の装束を彷彿させるので、随分昔の時代より「雛祭り」が行われていた様に思えるのだが、実は3月3日の節句に雛人形を飾る様になったのは江戸時代になってからの事なのである。<br /> 先ず室町時代に現在の雛人形の原形とも云える「立雛」が制作され、江戸時代になって坐った姿の人形(寛永雛)が出来上がった。<br /> 当初は男女一対の内裏雛を飾るだけの物であったが、次第に華美で贅沢な装飾品や道具が追加される様になって行き、江戸中期頃には大型の「享保雛」等が作られる様になった。<br /> 此度我が家に入った「親王雛」は等身大に作られた「享保雛」の衣装とよく似ていて、雛人形の原点及び宮廷の装束を忠実に再現していると言える。<br />明治・大正時代の雛人形について解説すると、今日の様に有名な童謡「嬉しい雛祭り」の歌詞に含まれている人形の種類: 親王(殿様と姫様)、三人官女、五人囃子(ごにんばやし)、随身(左大臣と右大臣)、仕丁(しちょう)が統一され、これ等の人形と道具が一式揃えで供給される様になるのは大正中期頃からの様である。<br /> 其れ以前は家庭毎に人形師や道具屋から気に入った品を買い集めて個性的な装飾を行っていたらしい。<br /> 例: 祖母の代の雛飾りに嫁いで来た嫁の雛を組み合わせ、其の後、女児が誕生すると流行りの雛道具や添え人形を付加する等して、製作年代の異なる人形や道具を同じ雛段に飾っていた。<br /> 明治時代(1868~1912年)の雛人形は比較的大型で豪壮な造りで、「御殿飾り」にも家の権勢を誇示する様な堂々とした構えが見られる。<br /> 其れが大正時代(1912~1926年)に入ると様式が一変し、百貨店が制作した小型の繊細で優美な「段飾り雛」や「御殿飾り雛」の一式揃えが都市部で流行する様になった。<br />此れをEurop&auml;ische Kunstgeschichte(ヨーロッパの美術史)に譬えると、丁度Barock様式(1600~1735年頃)とRococo様式(1735~1810年頃)を比較するのとどことなく似ている。<br />又、関東と関西で制作される雛人形はまるで顔つきが違う事も特筆すべき事柄である。<br /> 関西(特に京都産)の雛人形は目が切れ長で、鼻は筋が通って高く、唇の幅が狭い、典型的な「貴族顔」なのに対し、関東の雛人形は目、鼻、口がいずれも関西の雛人形より大きめでメリハリの利いた顔である。<br /> 因みに我が家の雛人形は典型的な京都産の「貴族顔」であるが、気品はあっても冷たさは無く、寧ろどこかしら「愛嬌」すら感じさせるのである。<br /><br />&nbsp;我が家にある同じ大正時代の「雛飾り」の注目すべき点として、雛段の下方に置かれる所謂「勝手道具」が挙げられる。<br /> 例: 雪洞(ぼんぼり)、手鏡、鏡台、手洗(たらい)、湯桶(ゆとう)、茶碗、箪笥(たんす各種)、長持、几帳(衣文掛け)、裁縫箱、重箱、火鉢、等<br />これ等は当時、京阪神・都市部の富裕層、名門の家で飾られた品物で、「大名道具」の如き調度品とは異なり、其の他に場合によっては井戸や流し場、洗濯道具や清掃道具、等も揃えられ、当時の家庭の様子や女性の暮らし振りを知る上でも大変興味深い資料である。<br />尚、これ等の「勝手道具」は関西地方独特の調度品で、関東の雛人形には見られない。<br />此度入手した「古今雛」は「人形の命」と言われる顔も貴族的な優美さを漂わせ、着物等の布製品の色褪せも汚れも殆ど無く大変良好な状態である。<br />ただ、姫様の宝冠の瓔珞(ようらく)の様な「垂れ飾り」と扇が欠落していたのだが、諺の「渡りに船」の如く、我が家の雛人形にこれ等を補充出来る部品が全て揃っているので、即座に余が自ら修理した。<br />其の他の三人官女、五人囃子、随身、仕丁の各人形も必要な箇所を修理、修正し、欠落している部品も作成して取り付けておいた。<br />中でも特に余は少年時代から「右大臣」の人形が好きなので特別に施しをした。<br /> 欠落していた冠の老懸(おいかけ)及び袍(ほう・着物)の平緒(ひらお)の房を糸で作り、色褪せた袍(着物)を赤の油絵の具で塗り直し、重藤の弓も竹串と糸で作り出した。<br />そして長い間我が家の倉庫にしまっていた雛人形の道具類を取り出し、此の「古今雛」と組み合わせて早速飾って見た。<br /> 大正時代の雛人形は昭和、平成時代の其れと比べて小型なので、現在の雛壇では寸法が合わず、同じく大正時代の雛壇を入手するのも容易な事では無い故、余は止むを得ず大型の屋久杉の机の上に飾っている。<br />&nbsp;今でこそ雛人形は5段ないしは7段の「雛壇」に飾られる事が常識となっているが、雛祭りが儀式化されていた江戸時代中期には床上もしくは一段の台や机の上に飾られていたのであった。<br /><br />余が雛人形に魅せられる理由として先ず平安時代及び公家への憧れと、もう一つは雛壇に敷く布(緋毛氈)が余の最愛の色「<strong><span style="color: #ff0000;">赤</span></strong>」である事である。<br />では何故此の「緋毛氈」が<span style="color: #ff0000;">赤</span>いかと言うと、古来より<span style="color: #ff0000;">赤</span>は生命の源である「血」、「太陽」、「火」を象徴する神聖な色として扱われ、古代人達は<span style="color: #ff0000;">赤</span>い色を身に着けて其の神聖な力で自身を守ろうとしていた。   <br />即ち神社の鳥居が<span style="color: #ff0000;">赤</span>(ないしは<span style="color: #ff0000;">朱</span>)塗りであるのと同様に「魔除け」の意味を持っているのである。   <br />故に雛人形の雛壇にも此の縁起を担いで<span style="color: #ff0000;">赤</span>い毛氈を敷く様になっているのである。<br />戦後の日本では一般的に御殿様を向かって左側に、御姫様を右側に飾る傾向がある。<br />此の原因は一説によると、明治時代から日本に蔓延し始めた&rdquo;Europ&auml;isierung&rdquo;「欧化主義」らしい。<br />此の「欧化主義」にかぶれた明治時代の雛人形の極端な例を挙げると、何と殿様がヨーロッパ式の軍服を着て、十二単を着る姫様と居並んでいるのである。<br /> 因みに当時の貴族の婚礼でも同様に、新郎がヨーロッパ式の軍服を着て、新婦が日本の着物を着る所謂「和洋折衷形式」が、しばしば好んで採用されていた。<br />ヨーロッパ各国のPhilologie(言語学)では、本来「右」はpositiv(肯定的な)意味があり、一方「左」はnegativ(否定的な)意味がある。<br /> 例: ラテン語でdexter(右)は「招福」、sinster(左)は「不吉」を意味し、ドイツ語でrechts(右)は「正しい」を意味し、links(左)は「緩んだ」を意味している。 英語のright(右)、left (左)の本来の意味も前記のラテン語、ドイツ語に似たりよったりである。<br /> 其れ故に「右側」は「左側」より上位とされている。<br />明治、大正、昭和初期にかけて作られている人形で左手を着物の袖で隠した作品が多々見受けられるのは、此の&rdquo;Europ&auml;isierung&rdquo;「欧化主義」の影響が起因しているのではないかと思われるのである。<br />しかし本来、雛人形は平安時代の天皇御夫妻をモデルにしているし、奈良時代より唐(中国)の宮廷から継承した「左方上位」(例:左大臣は右大臣より上位である)がある。<br />故に、かつて朝廷のあった京都の様に殿様が姫様の左側に座るのが正しい位置関係であると余は考えるので、朝廷の儀式を踏襲した「京都式」」(即ち御殿様を向かって右側に、御姫様を左側に飾る)を採用している。<br />そして雛人形に供えられる「菱餅」の3色(桃、白、緑)には次の具象的、及び抽象的な意味がある。 桃色:桃の花、息災、厄除け、 白:雪、純潔、浄化、 緑:草木、健康、安息<br /><br />余はドイツに足掛け13年も住んで、現地のKunstakademie(芸術大学)で学び、首都Berlin及びBrandenburg州の公認の芸術家として活動し、近隣のヨーロッパ各国も訪れていた故、どうしても日本の文化や国民性を日本人としてだけでなくDeutsche Mentalit&auml;t u, Sensibilit&auml;t(ドイツ人的な心理性と感受性)で観察してしまうのである。<br />ヨーロッパ人の感覚で見ても日本の数ある伝統工芸品、美術品の中でも特に「雛人形」は豪華絢爛で優美、且つ奥深い意味を有する<span style="font-family: &#39;MS 明朝&#39;,serif; font-size: 9pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-family: &#39;Segoe UI Symbol&#39;; mso-ansi-language: EN-US; mso-fareast-language: JA; mso-bidi-language: AR-SA;">品</span>物であるのは確実である。<br /> 実に日本を訪れて雛人形を見た外国人は皆、其の精巧な造り、豊かな色彩、そして高級な材質に圧倒されているのである。<br /> 此れ程高品質で美しい人形は世界規模で探しても、例を見ないと言っても過言ではない。<br />余が親しい戦前生まれの何人かの女性に聞いた話だが、戦前に制作された雛人形は第二次世界大戦末期の大規模な焼夷弾による空襲や、地震、洪水、等の自然災害によって失われた物が少なくないらしい。<br /> 其れ故に此の我が家の大正時代の雛人形・雛道具も、現存している江戸時代から昭和初期までの雛人形・雛道具と同様に往時の伝統文化と技術の証として大事にして、後世まで残して行かなければならないと思えるのである。<br /><br /><br />2018年10月13日に江戸時代後期の京人形「猩々」(体長24cm)を入手した。<br /> 尚、「猩々」の人形は数多く制作されてはいるが、江戸時代の「猩々人形」が市場に出品されるのは希であるので、今回は希少な好機を物に出来たと思っている。<br /> 芸大で美術史を学び、美術品の修理もする余の鑑定では、今回の「猩々」は以下の様々な特徴から江戸時代後期・安政年間(1850~60年頃)の京人形であると見ている。<br />*顔つき:目は優しげであるが、まだ口が「へ」の字の形を採っている。<br />*手足の部品の形状:それぞれの部品が短めで末端部が丸く成形されている。<br /> 又、指の関節の皺も刻み込まれている。<br />*着物の仕立て、模様:明治時代以降では袍(上着)には「菊」又は「<span style="color: #ff0000;">紅</span>葉」の模様、袴には「波型」の模様、そして「平緒」が施されるのが定番となっているが、此の人形にはまだ其れ等が無い。 <br /> 又、明治時代以降は袖口が所謂「楔形」に開いているが、此の人形の袖口はまだ丸い。<br /><br /> 何せ「年代物」であるので、右足の部品が劣化して不安定であった故、接着剤で貼り合わせ、パテで罅、隙間を埋めて成形し、其の上から油絵の具を塗って修復しておいた。<br /> 更に安定性を良くする為、持ち上持ち上げている左足の袴をヘアピンで支えておいた。<br />そして焼失している「扇」も明治時代の人形用で寸法が丁度良いのが手元あったので、此れを持たせてやった。<br /> 其れ以外は江戸時代に制作されたとは思えない程、保存状態も大変良好で、渋味がかった<span style="color: #ff0000;">赤</span>色が美しく、而も今にも動き出しそうなMovement「躍動感」のある作品で、此れならば博物館に展示出来る程の価値があると思えるのである。<br /> 余は既に「猩々」の人形は「京焼」(1930年代・平安祥鳳)、「奈良一刀彫」(1960年代・染川宗進)、木目込の「京人形」(1970年代・作者不詳)、「京人形」(1990年代・二条静扇)、そして「姫路押絵」(1910年代・秀雅)を所有している。(※各制作年代は余の推定による)<br />しかしながら、江戸時代の「猩々人形」は直に見るのも初めてなだけに、まして其れが自分個人の人形コレクションに加わったのだから、喜びも並大抵ではない!<br /><br /> <span style="color: #ff0000;"><strong>Kunstmarkt von Heinrich Gustav  </strong></span><br />All rights reserved 【日記】 我が家の駐車場と別荘に生える柘榴の木 Fri, 16 Feb 2024 01:57:48 +0900 2341887 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/2341887 <span style="font-size: small;">今から</span>30年以上前の1990年代以来、我が家の経営する駐車場の庭と田舎の別荘の庭にはそれぞれ柘榴(ざくろ)の木が生えている。                   これ等は元々知人の家から貰った柘榴の実の種を土に埋めたのが発芽したのを育て上げたのである。<br />かつては鉢植えだったのが地面に植えてから次第に大きくなり、今では両方共に高さ約5mにまで成長し、以来15年目頃から実を成らせる様になり、最近では両方の木で30~40個位の実を成らせるまでに至っている。<br />そして我が家の庭の多数の樹木の中で、特に存在感のある木になってくれている。<br />良くぞ種からここまで大きくなって、多くの花を咲かし、多くの実を成らせてくれる様になった物だと感心している。<br />イギリスでは貴族や富裕層を中心とした&rdquo;Gardening&rdquo;が大変盛んで、何と国民の5割以上がガーデニングを嗜んでいる程である。<br />English Gardenに於いて、草木は先ず観賞する事に重点が置かれるのだが、其の上そこで育った果実を食べる事が出来ると、更に楽しみが増え、庭園としての評価も上がるのである。<br />我が家の駐車場の庭では30種類以上の草木の内、葡萄、柘榴、梅桃(ゆすらうめ)、そしてと別荘の庭では梅、無花果(イチジク)そして(渋)柿が食用出来る。<br /><br />柘榴を学術的に解説するとミソハギ科ザクロ属の1種で落葉小高木で、ラテン語の学名は PUNICA&nbsp; GRANATUM、ドイツ語ではGranatapfel(+baum)、英語では Pomegranateと言う。<br />高さは5~6m位にまで成長する。樹皮は灰褐色から褐色で成長すると共に黒みがかって行く。<br />葉は楕円形から細長い楕円形で滑らかで幾分の光沢がある。 <br />初夏の6月に<span style="color: #ff0000;">赤</span>い花が咲き、花は花弁は6枚で薄くて皴がある。<br />9月~11月にかけて<span style="color: #ff0000;">赤</span>い球形の果実を実らせる。<br />果実は花托(かたく)が発達した物で、熟すると大きさは直径約6~10cmで、重さは100~300g位になる。 <br />赤い果皮は厚めで秋に完熟すると自然に不規則に裂けて、中から大量の赤い半透明の果肉の粒(中に種がある)が露になる。                              柘榴は紀元前の太古の時代から庭園に於ける観賞用に栽培されている。<br />其の上、古代ギリシャの医学者Hippocrates (BC.460~BC.370頃) の記した書物の中に記述がある等、柘榴の実は同様に紀元前の時代より食用にもされている。<br />果皮が裂ける品種は日持ちが良くないので、裂果しない品種が食用として栽培される。<br />食べられるのは実の果汁が多く含まれる種子の外部を覆う部分でである。<br />爽やかで甘酸っぱい味である事から現在ではジュース、果実酒、シロップ、そして清涼飲料水の原料としても利用されている。                                 主な栄養素としてはカリウム、カルシウム、マグネシウム、リン、ビタミンB1、B2、B6,C、ナイアシン、パントテン酸等を含んでいる。                        其の栽培地は中近東を中心に南ヨーロッパやアメリカ南部、中国、等広範囲に渡り、日本には平安時代の延長元年(923年)に中国から渡来したと伝えられる。  <br />鎌倉時代中期には栽培も始まっているが主に観賞用であった。                 <br />柘榴が広範囲に江戸時代で、其の果汁を菓子に用いたり、医薬品の原料としても利用され、乾燥させた樹皮または根皮は古くから除虫材薬として用いられていたし、更には口内炎や扁桃炎のうがい薬にも用いられたという。  <br />又、変わった用途では金属製の鏡の研磨の為にも使われた。                     <br />柘榴も長い歴史の中で自然環境に適応して変化した物や、人為的に改良、交配によって出来上がった品種等、多数が存在する。 <br /><span style="background-color: #ffffff;">  </span><br />ヨーロッパでは古来より柘榴は"Ewige Vornehmheit"「永遠の高貴さ」の象徴として愛好されている事から、キリスト教の宗教画の中の主Christ、又は其の聖母Maria、そして肖像画の分野では王侯貴族達が柘榴を持った姿で描かれている事が度々見受けられる。<br />何故ならヨーロッパ各国の王室ないしは皇室にはKr&ouml;nung-zeremonie(戴冠式)の際に国主が身に着けるKrone, Zepter, u, Reichsapfel があって、其の中のReichsapfelが柘榴に似ているからである。  &nbsp; <br />これ等は丁度、日本の皇室の「三種の神器」即ち「八咫鏡」(やたのかがみ)、「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)、「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)に相当する器物である。  <br />余も士族出身者としてヨーロッパの王侯貴族に習い、そして柘榴の色が我が最愛の色の<strong><span style="color: #ff0000;">赤</span></strong>である事から柘榴を赤い薔薇と並んで好んで何度も(※テンペラで)描いている。(※膠を混ぜた水彩絵の具)<br />同じく絵画の分野で他の例を挙げると、17世紀オランダ絵画の静物画に於いて、<strong>果物</strong>は美味で栄養価が高けれども、腐り易い事や、悪い虫が付き易い等の短所から、"Vanitas-Symbol"(虚しさ、儚さの象徴)として描かれる事もあった。 <br /> <br />又、Symbolik(象徴学)やPsychologie(心理学)の分野で<strong>果物</strong>は女性的な性質を意味しており、特に球形の<strong>果物</strong>(例:メロン、林檎、梨、桃、イチジク、グレープフルーツ、等)は女性の(豊満な)乳房や尻を象徴しているのである。 <br />一方で棒状の野菜、果物(例:人参、胡瓜、茄子、とうもろこし、バナナ、等)は男性の生殖器を象徴しているのである。                                    <br />オーストリアの心理学者Siegmund Freud(1856~1939)は人間が睡眠中に見る「夢」について深く研究し、其の中に出現する事物や人物、其の他の生物が、夢を見た人物にとって如何なる意味を表しているのかを詳しく分析し解釈していた。<br />(此れが所謂 "Traums Analyse und Interpretation"「夢の分析と解釈」である.) <br />人間が活動している時には "&Auml;u&szlig;ere Bewu&szlig;tsein" od, "&Auml;,Wahrnehmung" 「顕在知覚」又は「顕在意識」は主に日常生活ないしは現実社会の中に存在する物事、人物、其の他に作用している。                            <br />一方、眠っている時に "Innere Bewu&szlig;tsein" od, "I,Wahrnehmung"「潜在知覚」又は「潜在意識」が作用して、普段意識していない心の奥に潜んだ願望、欲望、其の他の「情念」が具体的に現れて来るのが「夢」なのである。    <br />故に「夢」を分析、解釈する事によって、人間が普段自分で意識していないPers&ouml;nlichkeit(人間性)が解明されるので、此れはPers&ouml;nlichkeitsanalyse(人格分析)に於いて大変重要な学術なのである。                           <br />此の様な意味から分析すると、柘榴も他の球形の果物と同様の事を象徴するので、余が色(<span style="color: #ff0000;"><strong>赤</strong></span>)の好みだけでなく、「爆乳美人」が大好きである事も柘榴に魅せられる原因なのかも知れない。             <br />其れでも尚、余は前記の柘榴が象徴する通り"Ewige Vornehmheit"「永遠の高貴さ」を引き続き自らの人生に留めて置きたいと願うばかりである。<br /><br /><strong><span style="color: #ff0000;">Kunstmarkt von Heinrich Gustav</span></strong>  <br />All rights reserved 【日記】 我が家の田んぼの真ん中に立つ祠、そして田と農業の神々について Tue, 31 Oct 2023 16:08:51 +0900 2326383 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/2326383 我が家は町(東区)のど真ん中に館(実家)及び庭付きの駐車場を所有する以外に、田舎にある別荘の周りに864坪の※田んぼ、並びに別荘から200m程離れた処にも同様に990坪の※田んぼを所有している。(※これ等農地は余の農家の友人である鶴海さんに耕作してもらっている。)<br />其の990坪の田んぼの真ん中に引かれている畦道の上に随分昔より小さな祠(ほこら)が立っている。<br />此の祠は老朽化した為、恐らく戦後になって天板以外の部分をコンクリートで新装している。<br />美術骨董品の鑑定、修理の出来る余が観察した処、此の祠の石の天板の状態からして、此の小さな祠は元々は今から110年以上前の明治時代(1868~1912年)頃に造られた物と推測される。<br />にも拘らず此の祠の中には長きに渡って肝心要の「御神体」が欠けているのである。  余は幼少の頃より歴史に多大なる興味があったので、此の祠の中には一体どの様な神が祀られていたのだろうか、又、どの様な原因で「御神体」が無くなっているのだろうかと思っていた。<br />そしていつか此の祠に相応しい「御神体」を納めなければなるまいと思っていた。<br />昨年の3月には別荘の周りに864坪の田んぼを新たに購入して、我が家の米の生産高及び農業収入も倍増しているので、此れからも田んぼを大切にして行こうと言う気持ちを込めて此れを良い機会に、ネットオークションで「御神体」になれるだけの古い「田の神様の偶像」を探して見た処、丁度良い大きさ(高さ約26cm)の真鍮鋳物の「大黒天」の像を見つけて購入した。<br />そして7月21日、早速此の「大黒天」の像を我が家の田んぼの中の小さな祠に納めておいたのである。<br />とは言え「御神体」を風化させてはならないし、性無き子供や盗人に盗られて骨董屋に売り飛ばされる訳にも行かない故、極単純ではあるが祠の窓の内側に透明のアクリル板を施し、其の後ろから2つのレンガで両側を固定しておいた。<br />此れにて長年我が家の田んぼの祠に長年に渡り留守になっていた「御神体」を納める事が出来たのである。 (同ブログの記事「3月の我が家に纏わる様々な出来事」<a href="https://ameblo.jp/hochmeister/entry-12730821955.html">https://ameblo.jp/hochmeister/entry-12730821955.html</a>&nbsp; 参照)<br /><br />扨、何故余が「御神体」に「大黒天」を選んだかと言うと、日本古来の民間信仰に於いて「大黒天」は五穀豊穣と商売繁盛をもたらす福の神だからである。<br />しかし此の神は元来古代インドのヒンズー教の神で、サンスクリット語の名は"Mahākāla"と云い、此れは破壊の神Sivaの別名である。<br />故に室町時代以前の大黒天像は、鎧を着て右手には「打ち出の小槌」の代わりに「宝棒」を持ち、左手に袋を持つ姿で表現されている。<br />「大黒天」の崇拝を日本に初めて広められたのは、我ら天台宗の開祖・最澄大師である。<br />其の後室町時代になって此の神様は日本で御馴染みの「七福神」の中に編入されている。<br />更に他の「七福神」について解説すると、「毘沙門天」も元は古代インドの神で"Vaiśravaṇa"と云い、戦勝、正義、厄除けを司る。<br />仏教では多聞天(北)として、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)と共に4つの方角を守護する「四天王」の中の武神とされている。<br />「弁財天」は"Sarasvatī"と云い、河川、豊穣、生殖、そして芸術を司る女神である。<br />我ら天台宗では「如来」「菩薩」「明王」の次に来る「天部」の中に、此の3人の古代インドの神々を編入して祀っている。<br />故に天台宗の別格本山以上の寺院には大抵此の3人の天像を安置する御堂がある。<br />其の他、財運、招福をもたらす「福禄寿」と健康、長寿をもたらす「寿老人」は古代中国の神で、福徳、家庭円満の利益のある「布袋」は古代中国に実在した僧侶であった。<br />実は彼らの中で日本古来の神とは、「事代主命」(ことしろぬしのみこと)即ち「恵比寿様」のみである。<br /> <br />因みに余は「大黒様」よりも「恵比寿様」に幼少の頃より愛着があり、少年時代より恵比寿像を収集して、今では明治、大正、そして昭和時代にかけて作られた「九谷焼」、「一位一刀彫」、「讃岐彫」、「黄楊彫」、「高岡銅器」、其の他10数個にまでなってしまった。<br /> 余が何故「恵比寿様」に愛着があるのか、自分でもいささか不思議なのだが、恐らく「恵比寿様」が自分に欠けた要素を持っている事に対する憧れなのかも知れない。<br />具体的な例を挙げると、<br /><span style="color: #ff0000;">*</span>「恵比寿様」が天真爛漫な笑顔なのに対し、余は笑顔が苦手で、我がドイツの地元Berlin, Brandenburgでも個展開催の折、各地元新聞社の取材時でさえ、カメラマンに&gt;Bitte etwas lachen !&lt;(幾らか笑顔をして下さい!)と頼まれても、厳めしき顔しか出来なかった。<br /><span style="color: #ff0000;">*</span>「恵比寿様」が開運招福、漁業、商売繁盛を司る神なので、釣りや泳ぎの名人であるのに対し、余は友人と釣りをしても、魚が釣れるどころか魚に見向きもしてもらえない。(魚を食べないからだろうか?)そして余はからっきし不水練(泳げない)である。<br /><span style="color: #ff0000;">*</span>「恵比寿様」の象徴である「釣り竿」には教訓的な意味があって、欲張って何でも取るのではなく、「一本釣り」で鯛の様な最良の物(者)だけを選りすぐって取る事が肝心だと云う事である。<br />此の事だけは余も自ら完全に実行出来ているのである。<br />興味深き事に東日本では「恵比寿様」を、一方西日本では「大黒様」を「田の神」として祀る傾向が多いそうである。<br />余の個人的な見解では「恵比寿様」は釣竿と鯛を持つ井出達から寧ろ「漁業神」、そして米俵の上に立つ(又は座る)「大黒様」こそ「農業神」ないしは「田の神」らしいのではないかと思えるのである。<br /><br />日本は弥生時代(紀元前9,8世紀から紀元後3世紀頃)より「稲作農業」が主力産業として定着し、国民の生活を安定させた事から古代より「農業神」を祀る習俗があった。<br />此れに関して8世紀に成立した『日本書紀』や『古事記』にも稲霊(いなだま)すなわち「倉稲魂」(うかのみたま)、「豊受媛神」(とようけびめのかみ)、穀霊神の大歳神(おおとしのかみ)の名が「農業神」として記されている。<br />此の中で「豊受媛神」は10世紀初頭成立の『延喜式』「大殿祭祝詞」に、稲霊であり、俗に「宇賀能美多麻」」(うかのみたま)と称する註があり、此の事について民俗学者の柳田國男先生は、「稲の霊を祭った巫女が神と融合して祭られる様になり、其れ故に農業神は女神と考えられる様になったのではないか。」と推測されている。<br />民間では此の様な「農業神」を一般に「田の神」と称して来たが、東北地方では「農神」(のうがみ)、甲信地方(山梨県・長野県)では「作神」(さくがみ)、近畿地方では「作り神」、但馬(兵庫県)や因幡(鳥取県)では「亥(い)の神」、中国・四国地方では「サンバイ(様)」又、瀬戸内海沿岸では「地神」(じじん)等とも称されて来た。<br />又、起源の異なる他の信仰と結び付いて、東日本では「恵比寿」、西日本では「大黒」をそれぞれ「田の神」と考える地域が多く、更には土地の神(地神)や稲荷神と同一視する事もあり、其の一方で漁業神や福徳神とは明確に区別される神々である。<br />因みに我が地元は人口約7万人程なのだが、第二次世界大戦中に1度も空襲に遇わなかった故、今でも多数の歴史的な物件が残っている。<br />例えば我が館(実家)の北向いに立つ町内会の寄り合い所の前には「毘沙門天」を祀る祠が設置されているし、我が別荘から南へ50m程の処にも前記の「地神」の石碑があり、更に余が実家から別荘まで自転車で走行する約6kmの道程にも同じく「地神」や「稲荷」其の他の神を祀る祠が10件もある。<br />其の他、川沿いには江戸時代から昭和初期頃まで運航していた「高瀬舟」の港の目印であった常夜燈(石灯籠)が7台も残っており、其の一部には海上交通の守り神である「金毘羅」が祀られている。<br />令和の時代(2020年代)になっても尚引き続き各町内では毎年定期的にこれ等の宗教的物件に対し祭りの儀式を行っている。<br />長き時代の流れの中でこれ等の伝統的な習慣を今でも守り続けている事には感心させられるのである。<br /><br />「田の神」の偶像の具体的な特徴は統一された物が無く、一般的に水口に挿した木の枝や其れを束ねた物や花や石、等が象徴的事物とされる事が多く、常設の祠堂を持たないのが全国的な傾向である。<br />しかし、其の様な中にあって「田の神」の石像が九州地方南部の薩摩、大隅(鹿児島県)、日向(宮崎県)の一部(都城周辺)に限って分布している事は注目に値する。<br />此の地方では集落毎に「田の神さぁ」(田の神様)と称する石像を田の岸に祀る風習が見られる。<br />これ等の「田の神」は藁傘を被り杓子や擂粉木(すりこぎ)や飯椀、ないしは鍬を持った昔の百姓(農民)を彷彿させる姿で表現されている。<br />これ等の石像を形態的に分類すると、「自然石型」、地蔵菩薩を模った「仏像型」、神官を模った「神像型」、そして前記の百姓を模った「農民型」が挙げられる。<br />これ等「田の神」の石像は18世紀初め頃より造られ始めたと推測され、薩摩藩領にのみ石像が分布しており他の地方では見受けられない。<br />そう言う意味で、これ等の地方とは遠く離れている本州にある我が家の田んぼに「農業神」の祠が長きに渡って常設されているのは、大変珍しい実例であると言っても過言ではない。<br /><br />昔の日本人は此の様に自然界に神々が存在するのみでなく、人間が造り出した田畑にも神が宿り守ってくれると信じていた。<br />だからこそ農業を「尊い業務」として大切にする事が出来ていたのである。<br />其れに引き換え、今日の日本の愚かで利己的で強欲な(糞)政治家共を初め、(本来農業を援助、保持すべき)農協までもが農業を蔑ろにしている誠に嘆かわしき有様である!<br />余が親しい何件もの農家の人達から聞いた処、彼等は作り手、後継者のいない農家から田畑を二束三文で買収し、其れを更地にして住宅地に登録し直して販売しているらしい。<br />(正に諺の「濡れ手に粟」の如くである! 此れでは農地が減少するのも無理はない。)<br />かつて1960年代には日本の食料(農作物)の自給率は約67%もあったのに、今日の其れは僅か36%にまで落ち込んでいるのである!<br />米の生産量だけ見ても、ここ50年間に何と40%以上も減少しているのである。<br />参考に先進国の食料(農作物)の自給率を挙げると、最も広大な国土を有するアメリカは120%、 ヨーロッパ最大の農業国フランスは110%、ヨーロッパ1位の工業国ドイツでも86%、日本と同じ島国のイギリスでも74%である。<br />「G7」と呼ばれる各先進国の統計と比較しても日本の食料自給率が如何に低いかが歴然としている。<br />其れでいて日本国民が1年間に廃棄する食料品は合計約500~600万トンにも及び、此れは大国アメリカよりも多いのであるから呆れる他無い。<br />此の様な不謹慎且つ不合理な事ばかり続けていると、いざ「食糧危機」が到来した時に過半数の日本国民(特に農地や金融資産を持たない下層階級や貧困層)は如何にして此の深刻な苦境を乗り切るのだろうか?<br />と、士族出身で現在も「富裕層」で十分な農地をも所有する余ですら此の様に先が思いやられるのである。<br />余は第二次世界大戦から戦後を経験した親や祖父母や小学校の恩師からの教えや体験談を元に、食料品や其の他の物品も大切に扱う様に常日頃から心得ている。<br />実に我が家では自前の田んぼから米が十分に穫れるからと言って米粒1つさえ粗末にしないし、購入した食材も無駄に捨てる事無く使い切っている。<br /><br />近年の人類の増加による自然破壊が起因する劇的な「気候変動」による世界各国に於ける農作物の大規模な損失、更に2020年から全世界で大流行した「新型コロナウィルス」による大規模な物流の停滞、そして2022年2月より続く「ロシア、ウクライナ戦争」等によって、現在では世界中で20か国を超える国々で深刻な「食糧危機」が起こっているのである!<br />(同ブログの記事「第二次世界大戦(1939~45)とロシア、ウクライナ戦争(2022)との比較」https://ameblo.jp/hochmeister/entry-12749361950.html&nbsp;参照)<br />故に農業生産力の足りない日本や国民にとっても最早此れは「他人事」や「他所事」ではないのである。<br />一部の農業学者、環境学者、社会学者、経済学者、そしてジャーナリストの方々ですら近い内に日本に襲来する「食糧危機」に対し警告を促している位である。<br />にも拘らず過半数の(現実の見えていない)日本人は今日でも尚、「食糧危機なんか日本には関係無い。」等と愚かとも言える程に楽観的な見解で生活している様だが、実際の処事態は遥かに深刻なのである!<br />日本政府や各自治体は「食糧危機」の到来より前以って、大規模な「農業支援」ないしは「農地改革」等と言った何らかの対策を考え出し、実行する必要があったのではなかろうか。<br /><br /><span style="color: #ff0000;"><strong>Kunstmarkt von Heinrich Gustav</strong></span>  All rights reserved<br /><br /> 【日記】 世界初の葉書と我がドイツ切手コレクション Sun, 29 Oct 2023 12:33:30 +0900 1091425 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/1091425 今でこそ葉書は世界中でありふれているが、世界初の葉書の発行について、一般人で知っている人は殆どいないのではなかろうか。<br />葉書を考案したのはPreu&szlig;en(プロイセン)王国のGeneralpostdirektor(郵政大臣)E.Heinrich Wilhelm von Stephan (1831~1897年)であったが、当時Preu&szlig;enの郵政省が葉書の発行を躊躇していた。<br />そうすると隣国の&Ouml;sterreich-Ungarn(オーストリア/ハンガリー)帝国が1869年6月に世界初の葉書を発行してしまったのである。<br />(とは言え1866年の"Deutscher Krieg"(普墺戦争)でPreu&szlig;enに敗北し、"Deutscher Bund"(ドイツ連邦)から追い出された&Ouml;sterreich(オーストリア)にとってはこの程度の事では、名誉挽回にもならないのだが・・・・)<br />世界初の葉書発行の名誉を奪われたPreu&szlig;en王国の郵政省は暫く「してやられた!」と思ったかも知れないが、明くる年の1870年にBerlinの写真家Arbert Schwarzの協力を得て、世界初の「<strong>絵</strong>葉書」を発行したのである。<br />丁度、当王国がDeutsche-franz&ouml;sischer Krieg&rdquo;(普仏戦争)でフランスに圧勝し、翌年1月18日にDeutscher Bundの諸国を統一し、"Deutsches Kaiserreich"(ドイツ帝国)を成立させた、正に栄光に満ち溢れた年でもある。<br /><br />更に世界初の切手の発行について書くと、切手と其の制度が発明される以前の郵便制度では、手紙の差出人ではなく受取人が郵送料を支払っていた。<br />ところが中には料金を惜しんで手紙の受け取りを拒否する人までいたそうである。<br />イギリスで教師をしていたRowland Hillは此の事に着目し、1837年に政府調査に対し自らの着想を纏めた小冊子「郵便制度改革、其の重要性と実用性」を提出した。<br />彼は此の本の中で重さ0.5Ounceのまでの手紙に対し1Pennyからなる国内均一の郵便料金を提案し、イギリス郵便制度の根本的な改革を成し遂げたのであった。<br />此の提案は1840年に法案が可決され、James Chalmersの着想により、手紙の差出人が郵便料金を支払った証として封筒に小さな印紙を貼る事になった。<br />此れが世界初の切手の発行となったのである。<br />其の後、此の切手を使った郵便配達法は瞬く間に全世界へ普及し、各国で次々と切手が発行されて行ったのである。<br />例を挙げると、スイスとブラジルで1843年、アメリカで1847年、ドイツ(当時のBayern王国)では1849年、フランスで1854年、そして日本では1871年に初めて発行されている。<br />当初、切手は印刷されたシートから鋏やナイフで切り取って使用していた。<br />此れに1854年にイギリスのArcherが発明した機械によって「目打ち」が付けられ、簡単に手で切り取る事が可能になっている。<br /><br />切手や絵葉書は興味の無い人々にとっては単なる紙で出来た「印刷物」に過ぎないが、これ等を「支配階級」「上流階級」の人間が収集する様になると、其の意味や価値は大きく変わって来る。<br />これ等の階級に属する人は自分の趣味に幾らでも費用を注ぎ込むので、たかが切手や絵葉書でも希少価値の高い物では実にダイヤモンドや純金よりも値段が高くなっているのである。<br />究極の例を挙げると、1855年にスウェーデンで最初に発行された"Treskilling Yellow"と呼ばれるエラー切手が740万$(約6億8千万円)で落札、そして1856年に英領ギアナで発行された臨時切手、所謂"Giana Magenta"が2014年6月に950億$(約9億7千万円)で落札され、世界最高額となったのである。<br />又、2015年6月20日、スペインの画家Picasoがポーランドの詩人Apollinaireに宛てた素描とサインが入った絵葉書が約2300万円で落札された。<br /><br />扨、余も趣味で切手、絵葉書共にコレクションにしている。 <br />中でも特にドイツの切手コレクション(約1600枚:1870年~2015年)には大変な自信がある。<br />此の140年余りの歴史の中でドイツではDeutsches Kaiserreich(ドイツ帝国1871~1918年)、 Weimaler Republik(ヴァイマール共和国1919~1932年)、 NAZIS Drittes Reich(ナチス第三帝国1933~45年)、 BRD(西ドイツ1949年~現在)、 DDR(東ドイツ1949~1990年) そしてBundesrepublik Deutschland(ドイツ連邦共和国)と国家が何度も変遷している。<br />其の歴史を念頭に置いて見つめると、これ等の切手集は大変興味深いのではなかろうか。<br />これ等の一部は2013年の鳴門市ドイツ館に於ける我が個展の中の「おまけ」としてガラスケースの中で展示して来た。<br />余は金銭に興味が無いので、之には余り縁は無い故、コレクションに大金を注ぎ込む事等は到底出来ないが、知識と経験から成る「鑑定力」を養っている事、優れた人脈を持っている事で、少ない予算でかなり貴重なコレクションを成し遂げられる物である。<br />更に先祖代々の「士族根性」も作用して、今まで古美術品を多数収集して来た。<br />そう云う意味で余は美術品や其の他の財産には沢山の縁があるので有り難いと思っている。<br /><br />かつて我が地元Brandenburg州の都Potsdamに住む友人で芸術・文化財保護団体"Rosenwei&szlig; Verein"の事務長で写真家のS.Radtke氏が古書店にて購入した絵葉書を余に送ってくれた。<br />此れは19世紀ドイツ絵画の黄金期を築いたDeutscher Romantiker(ドイツロマン派)の代表者の一人、Ludwig Richter(ルドヴィヒ・リヒター 1803~1884年) の石版画で、&gt;Guck in die weite weite Welt !&lt;(遠い遠い世界を覗いてごらん!) との題名が付けれれている。<br />折に触れて余がドイツの文献や作品の特徴を元に鑑定した処、本物である事が判明した!<br />推定で1870年代の作品であるので、大袈裟な言い回しではあるが、世界でも最初期の葉書であると言える。<br />又、此の画家Richterの油彩画の作品は数が大変少なく、ドイツ国外では見る事はまず有り得ないだけに、そう云う意味でも絵葉書大の小品ではあるが大変貴重であると言える。<br />中でもDresden Gem&auml;ldegalerie(ドレスデン国立絵画館)では彼の作品の内7点を所蔵しており、余が当市の芸大の学生であった時には、毎週金曜日の「美術史」の授業は此の絵画館で行われていたので、特に親しみと思い出がある。<br />因みに余はDresden, Leipzig, Hamburg, Hannover各都市の美術館で常設展示されている彼の作品12点全て観て来た。<br />此れにて我が母校 Kunstakademie Dresden (ドレスデン国立芸術大学)の歴代の教授 Anton Graff(1736~1813年)、A.L.Richter そして我が恩師 Claus Weidensdorfer (1931年~)の作品、 即ち18世紀、19世紀そして20世紀と全て揃える事が出来た! <br />早速S.Radtke氏にも礼状を認めておいたのだが、彼から即座の返事があり、最初に購入した彼自身ですら「そんなに古い価値のある物だとは思わなかった。思いもがけない幸運だと思う!」と書いていた。<br /><br />ある経済学者の言葉「金や物には磁石の様な性質があり、似た物を多く持つ者の処に集まって来る。」 又は、ドイツの詩人H.Heineの言葉 &gt;Die Reiche erwirbt neuen Reichtum, die Arme verliert einfach sein Haben.&lt;「金持ちは更なる富を得る、貧乏人は持っている物を直ぐに失う。」は(皮肉な言い回しではあるが)最近の世の中を見ていても正に至言也と思われてならない。<br />とは言え、余は個人的に「金持ち」である事が「幸福」の絶対条件であるとは決して思わない。<br />そうではなくて、<strong>人間の真の幸福とは</strong>金銭的な富にあるのではなく、<strong>自分の最も好きな事、大事な事を続けて実現する、又は獲得する事にある</strong>と確信している。<br />又、金銭欲の深過ぎる心卑しき者は、元々は血筋が卑しく貧しい家庭に生まれ育っていると見て間違いない。<br />反対に高貴な血筋や、裕福な家庭に生まれ育っている者は、生活に困る事や不満が無いし、「名誉」や「節度」を心得ている故、金銭への執着が希薄なのである。<br />これ等の事はSoziale Psychologie(社会心理学)による世界的な規模の調査でも実証されている。<br />余の最も好きなイギリスの諺 "Money does not always mean the happiness"(金がいつも幸せをもたらすとは限らない。)もあれば、古より 「巨万の富は大きな禍をもたらす。」と云う格言もあり、曹洞宗の開祖・道元禅師(公家の名門、久我家出身)も「財多ければ必ず其の志を失う。」と言われている位である。<br />不正や卑劣な事をして大金を巻き上げる悪人は駆除すべき「社会の害虫」であって、其の反対に収入は少なくとも(又は無報酬で)<strong>世の為、人の為に貢献している善人こそ、国宝の如く立派で尊い存在である</strong>と余は存じている。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff0000;">Kunstmarkt von Heinrich Gustav </span> <br /> </strong>All rights reserved 【日記】 3月の我が家に纏わる様々な出来事 Wed, 26 Jul 2023 01:40:25 +0900 2213467 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/2213467 余は健康管管理の為と気分転換と幾分のNarzi&szlig;mus(自己愛)から、ウェイトトレーニング、格闘技等の練習を週5日のペースで続けており、今年で通算37年になる。&nbsp; &nbsp; &nbsp; <br />以前は冬の間もウェイトトレーニングを続けていたのだが、ここ3年以来ウェイトトレーニングの場所である(ボロ)別荘の老朽化が急激に進み、屋根や壁から冷たい隙間風が入る様になった為、石油ストーブ1台、電気ヒーター2台で暖房をしても、十分に温度が上がらない。<br />其の上、余が冬でも短い水着とリストバンドだけを着用して運動する事にこだわっているので、止むを得ず「冬休み」を採る事にしている。<br />此の「冬休み」に出来た時間を利用して、昨年の12月には色褪せた台所の窓の格子、並びに玄関の窓の格子に着いている多数の小さな発疹の様な傷を、自ら調合した塗料で修理した。<br />更に今年の2月には我が家の事業所の入り口の天井の塗装、館の玄関前のタイル縁のコンクリートの修理、室内の壁紙の一部の貼り付け、3月には館の南側の金属製屋根の錆取りと塗装、そして玄関口の照明器具の和紙の張り替え、更には我が家の車庫の金属部の塗装、駐車場の地面の白線の修理、等の作業を全て余1人で完了した。<br />普通の人ならば此れだけの作業は専門業者に委託するのだが、そこへ行くと余は芸大で絵画/グラフィック及び建築をも学んでいる画家であり、美術工芸品、骨董品の収集、修理も行っているだけに、自分自身でいとも簡単に成し遂げられるのである。<br />&nbsp;今年になって昨日3月7日より初めてウェイトトレーニングを再開した。<br /><br />4カ月振りに実家から自転車で(ボロ)別荘までの道のり(6km)をつい力んでスピードを出し過ぎたせいか、3分の2程走った処で少々息切れしそうになったが、後は根性で走り切った。<br />(ボロ)別荘に着いて20分程一服してウェイトトレーニングを始めたのだが、無事本日全てのメニューを完了する事が出来た。<br />久方振りのトレーニングを終えて帰宅して夜中になっても、(昨年の5月3日同様に)肉体的には軽い筋肉痛と疲労感がある程度で、寧ろ精神的には安心感と満足感に満たされている。<br />そしていつもの様に自分の美しい顔や裸体を鏡で見ながらうっとり見惚れている有様である。<br />プロスポーツマンですら長期休養した後に現場に復帰すると、鈍った感覚を取り戻すのに幾分時間がかかるとの事である。<br />まして普通の人間なら1か月以上も普段続けているスポーツを休むと、体が鈍る(なま)のが当然である。<br />ところが余は何とも不思議な事に、常人離れした回復力を持っている。<br />(此れ又昨年同様に)「よくぞ斯(か)くも長きに渡って続けて来たものだ!」と我ながら感心している。<br />我が家の(ボロ)別荘の所在地は辺鄙な片田舎で、郵便局と小・中学校以外何も見当たらない程である。<br />其れでも町(東区)のど真ん中に立つ館に住んでいる余にとっては、道中で見える大河と山の風景、そして別荘の周りの広々とした田園風景を見て、ウェイトトレーニングと格闘技の練習をしたり、庭に生える草木を見る事が、何よりの気分転換になるのである。<br />又、「人間は体で年を取るのではなく心で年を取る。」と言う格言があるが、余も此の格言には同感出来るのである。<br />余が「初老」と呼ばれる程の年になっても尚、誰からも容姿、体力共に30代前半と認識されるのは、ただ医学知識を元に徹底して健康管理をするだけでなく、やはり<span style="text-decoration: underline;">自分の人生に於いて確固たる目的や、全身全霊を以て取り組める物事(仕事)がある</span>からではないかと思われる。<br />3月11日に週5日の最後のメニューを終えて、今年初めてのウェイトトレーニングを完了した。<br />ドイツと日本を毎年行き来していた時代(1989~2003年)と同様に、ウェイトトレーニング再開第1週目が一番緊張するし、此れを完了すると一番安心感と満足感に満たされるのである。<br />(更に詳しくは同ブログの記事「久方振りにウェイトトレーニングに復帰した事, 及び我が容姿について」(<a href="https://ameblo.jp/hochmeister/entry-12672351253.html">https://ameblo.jp/hochmeister/entry-12672351253.html</a>) 参照)<br /><br />我が家の別荘には特に我が親父殿と隣に住んでいた母上方の祖母の思い出が沢山ある故、老朽化しても余が自分で時折修理を施して今まで持ち堪えて来たのだが、最近では前記の通り悲惨なまでに老朽化しているので、遂に新築する事を決心した次第である。<br />ところが我が家の別荘前の道は自動車が通りぬける事が出来ない程狭い故、「建築基準法」を満たしていない事が、我が館を(余のデザイン・設計を元に)新改築してくれた建築会社の調査で判明した。<br />即ち別荘を新築する為には、我が家の別荘の敷地に建築業者の車両が出入り出来る道筋を確保しなければならないのである。<br />そこで別荘前の道に平行に流れる用水を跨いで向こう側の道路に橋を架ける事を建築業者が提案してくれたのだが、橋を架ける費用は思いの外高く、普段使わない橋の為に其の様な出費をするのは非合理であると思えた。<br />そこで余は別荘の北と東を囲む農地(田んぼ)を買い取り、道に面した部分を40~50cm程埋めて、道を拡張する以外に選択肢は無いと思ったのである。<br />其の為今年の1月半ば頃より我が家の別荘に隣接する農地(田んぼ)を買い取る事を、我が家の既存の農地(約1000坪)を耕作してくれている友人の鶴海さんに相談してみた。<br />何と鶴海さんは親切な事に此の法的な手続きの為に自分の親戚である司法書士さんを紹介してくれたのである。<br />又、鶴海さんは地元の町内会長も務めている関係で、我が家の別荘に隣接する農地(田んぼ)の持ち主さんをも知っていたので、余の代理人として此の話を進めてくれたのである。<br />すると田んぼの持ち主さんは快く田んぼを余に譲渡してくれるとの事である。<br />余は鶴海さんと此の田んぼの持ち主さんが到着する前に、我が館の近所にある司法書士さんの事務所を訪ねて御互いに自己紹介をした処、何と彼も我が家と同じ(天台宗)成願寺が菩提寺である上、寺と同じ地区に実家があり、現住職の兄上と元同級生であるとの事である。<br />此の事から一気に仲良くなり、其の後到着した鶴海さんと農地(田んぼ)の持ち主さんと4人で農地売買の件で話し合い、各手続きは司法書士さんが行ってくれる事になった。<br />其れ以来此の事は順調に進展し、予定では3月20日頃には法的に譲渡が成立する見込みである。<br /><br />実を言うと余は子供の頃より此の農地(田んぼ)で稲が無い時期にはよく遊んでいた事、其の他にも我が別荘の庭でエンドウやメロンや瓜を育てる時に使う藁を田んぼから貰っていた事、更に別荘と田んぼの境に大量に群生するアヤメ、カキツバタ、菖蒲の花を摘んで母上の趣味の生け花の為に家に持ち帰っていた等の多くの思い出がある。<br />故に「いつの日か此の農地(田んぼ)を買い取って我が家の私有地に出来ないだろうか。」と言うのが我が少年時代からの願いであった。<br />「今では農地価格が所謂「バブル経済期」に比べて大幅に下落してるし、其れでいて将来この辺の農地は地価が上がる見込みやから、買い取るには良い機会なんや。」と鶴海さんも言ってくれているし、獲得後此の田んぼも同様に鶴海さんが耕作してくれるのである。                     <br />鶴海さんには今までの我が家の農地(田んぼ)の耕作のみならず、新たな田んぼの獲得にまで協力して頂き誠に有り難き限りである。<br />御礼として彼の生まれ故郷の徳島県の伝統工芸「大谷焼」の茶器揃えを進呈しておいた。<br />かくして我が家の所有する農地は合計約1850坪になり、米の生産高も約2倍にまで増えるのである。<br />そして我が家の別荘の新築への重要な第1歩を踏み出せたのである!<br /><br />昨年2021年3月10日に我が親父殿(1921~1980年)の生誕100年を迎えた。<br />余は此れを機に、親父殿の位牌の金と黒漆を新たに塗り直してあげようと思い、行きつけの仏壇店に見積もりをしてもらった処、最近の金相場の高騰(2000年頃に比べて6倍以上)が影響して、位牌を新調するより高くつくとの事であった。<br />ならば位牌を新調すれば良いのでは?とも考えられるのだが、余としては親父殿の本来の位牌を処分せず大事に仏壇に納めて供養して行きたいので、塗り直しは取りやめにする事にした。<br />ところが3月15日にあるドラマを見ていると、其の中に墓参りをする場面があって、墓碑銘に金を入れた墓石が見て取れた。<br />此れを見て位牌の塗り直しをしなかった代わりとして、我が家の先祖墓の墓碑銘と家紋(丸に九枚笹)そして霊標の題名に金箔を施す事を思い付いたのである。<br />早速、余が親しい仏壇店の店員さんに此の事を相談してみると、余の予想より遥かに安価に出来る様なので、丁度「彼岸会」も近いので此れを業者に実行してもらう事にした。<br />一部の人が見れば、先祖墓を金箔で飾り付ける等、見栄や道楽に思われるかも知れないが、余は我が家の清和源氏の流れを汲む家柄と家紋に誇りを持っている事から、どうしても一般庶民と同じ墓では満足が行かないのである。<br /><br />早稲田大学・考古学・谷川章雄教授によると、「18世紀ごろから家を強く意識し始めたことを背景として、各家で墓標を造立することが広がり、この時期に院号・居士・大姉など上位の戒名を持てない家では夫婦、兄弟姉妹、親子など家族をまとめ1基の墓標にまつることが多くなる。(中略) 一方、院号・居士・大姉などの戒名を持つ(名)家では、18世紀初頭ごろから家族が個人の墓標を造立することの方が一般的であった。 <br />言い換えれば、こうした墓標のあり方が家の格式の表徴であった。」との事である。<br />参考に我が家の先祖墓では今も尚、明治~昭和初期にかけての個人の墓標が10基も残っている。<br />又、先祖墓の墓碑銘と家紋、等に金箔を施す習慣は全国的には大変珍しいのだが、九州の北西部、特に長崎県では多く見受けられる。<br />其の原因とは当県が江戸時代より所謂「出島」によって清国(中国)と交易をしていた事で、此の国の文化が伝承され、先祖に敬意を持って供養する意味で「高貴」を象徴する金箔を墓に施す様になった。<br /><br />余は自分の家柄に誇りを持つ分だけ、普段より人一倍先祖を敬い供養しているつもりである。<br />此度、先祖墓を綺麗にして改めて明治元年(1868)以来伝わる我が家の「奧山家過去帳」を閲覧して、そこに記入されている先祖の俗名、戒名を墓地にある先祖個人の墓標に刻まれている物と比べて見た。<br />そして直接は御目にかかる事の無かった御先祖様方へ、遥かなる思いを寄せて引き続き敬い供養させて頂こうと思った次第である。<br />我が奧山家は元々美濃の国「遠山荘」に起源を有しており、明治維新より前の「過去帳」が残されていない事から、江戸時代の終わり頃までは現地を拠点として住んでいたのだと推測される。<br />いずれ自分が臨終した後はここに我が遺骨が納められる事も考えれば、ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家)にまでなり、其の作品と名前を未来永劫に残せる者として、其れに相応しいだけの墓にしておきたいのである。<br />&nbsp;<br />追伸:<br />2020年以来、新型コロナウィルスが世界中に蔓延し、今年2022年3月4日の時点で全世界の通算感染者数は4億4206万人以上、同じく死者数は598万人以上と驚異的な数値が確認されている。<br />そして今年の2月24日以来、ロシア軍がウクライナを侵略し、同国の民間人の死者は2000人以上、難民の数は100万人以上のまで上り、地元に残るウクライナ国民は今でも生命と財産を脅かされている状況である。(因みにロシア軍の死者は500人以上、反戦デモ逮捕者は1万人以上)<br />更に此の戦争が影響して原油価格の高等、株価の下落、両国からの小麦の輸出の停止、等が世界経済に深刻な打撃を与えている。<br />これ等の悲惨な出来事で世界中で多くの人々が感染症や貧困に苦しむ中、以上の様な事を書いていると、「全く士族出身の富裕層と来たら、毎年労働もせずに株や証券や不動産で儲けて、私有地を広げて、資産物品(美術工芸品、骨董品)を買い集めて、自分の姿に自惚れてるんだからいい気なもんだ! 他人の難儀を何とも思わんのか! 人の心があるのか?」と妬まれたり、非難されるかも知れない。<br />あるイギリスの貴族の言った言葉>Every Words from Nobility take a low fellow how irony.&lt;(貴族のどんな言葉も下衆には嫌味に聞こえる。)は正に至言也と思える。<br />とは言え余も自慢をしている訳でも、困窮者を無視している訳でもない。<br />故に「ロシア、ウクライナ戦争」については後程、人の為になる事を真摯に書いて行く所存である。<br /><br />其の後、16日午後11時36分、宮城、福島両県で最大震度6強の地震があり、9県に渡り死者3人、怪我人220人が出ているとの事である。 此の事には取り急ぎ御見舞い申したい!<br />一部の被災地では過去に起きた地震と同様に、建造物の破損、断水、停電、交通の遮断、等の損害を被っている様である。<br />被災者の方々は暫くの間不自由な生活を余儀なくされるかも知れないが、一日でも早く復旧が進み、本来の日常生活を取り戻される事を願って止まない。<br /><br /><span style="color: #ff0000;"><strong>Kunstmarkt von Heinrich Gustav</strong></span><span style="color: #ff0000;"> <strong> </strong><span style="color: #000000;">All rights reserved</span></span> 【お知らせ】 我が家の別荘に隣接する土地20坪を新たに獲得致しました。 Thu, 20 Jul 2023 23:07:21 +0900 2325261 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/ 我が家の別荘に隣接する土地20坪を新たに獲得致しました。 【お知らせ】 夏バテ予防には麦茶も良いですが、実際の処、牛乳と酢は更に効果的です。 Thu, 29 Jun 2023 04:01:33 +0900 972988 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/ 夏バテ予防には麦茶も良いですが、実際の処、牛乳と酢は更に効果的です。 【日記】 我が家の駐車場に生える葡萄の木と文化史の中の葡萄 Fri, 09 Sep 2022 16:07:06 +0900 2088391 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/2088391 我が家の経営する駐車場ではガーデニングを嗜んでいるので様々な草木があり、1年を通じて四季折々の花や実を生らしている。 <br />例:薔薇、野薔薇、山法師、葡萄、梅、木瓜、蔓日日草、百合、紫陽花、百日紅、柘榴、紅葉、雛菊、老鴉柿、欅、椿、南天、水仙、山茶花、雪柳、梅桃、沈丁花、空木、フリージア、小手毬、紫蘭、ゼラニウム、常盤忍、折り鶴蘭、他<br /><br />此の中でも葡萄の木(マスカットの一種)は特に大きな植物である。<br />此の葡萄の木は駐車場の端の地面に根を下ろし、駐輪場の屋根の下にある物干し竿に蔓を巻き付けて葉を生い茂らせて、毎年8月~9月初頭頃まで美味しい実を沢山生らしてくれる。<br />此の木が植えられて既に20年以上になるが、2017年頃までは毎年平均70房以上位の収穫であった。<br />ところが2018年以来、特別に手を加えてもいないのに此の葡萄の木は年毎に蔓を伸ばして巨大化し、果実の収穫量も関係して増えて行った。<br />2018年には約105房、2019年には約120房、そして今年は何と200房を超えてしまったのである!<br />今年は我が家の葡萄の木は事の他巨大化し、前記の様に大量の実を生らしたので、其の重量に耐えられず物干し竿に追加して置いた直径約5cmの竹竿が折れてしまったのである。<br />そこで余は取り急ぎアルミ製のより頑丈な物干し竿を購入し、竹竿のあった所に設置し、更に其の下に折れた竹竿を支柱として追加して置いた。<br /><br />今年は梅雨前線が7月終わり頃まで日本列島上に停滞し、其の結果7月は晴れた日が僅かしか無かった。<br />此の影響で全国では多くの農作物は十分な光合成が出来ず、根腐れ等の病気を起こして駄目になる物が続出した。<br />8月には打って変わって日照り猛暑が続き、今度は水不足で多くの農作物が乾燥して立ち枯れる等の被害に遭った。<br />其の様な異常気象にも拘わらず我が家の葡萄の木はよくぞ此れ程まで多くの実を生らしてくれたものだと関心している!<br />しかし如何に美味とは言えども、此れ程多くの実は我が家だけではとてもではないが食べ切れない故、日頃から親しくしている我が家の親類や友人達の8世帯に分け与えているのである。<br />幸いにして彼らも皆「家族みんなで喜んで食べている。」と言ってくれるので、余も此の葡萄を育てる甲斐があると云うものである。<br /><br />人間にも様々な性格がある様に、植物にもそれぞれの性質がある。 <br />故にそれぞれの植物に適した栽培法で育てなければならない故、余は我が家に生える植物については植物図鑑、専門サイトで学術的な調査をし、更に我が親族の植物の専門家(農業)に該当する植物の育て方について相談し助言してもらっている。 <br />そこで此れより葡萄に関する学術的な事柄を書いて行く。<br /><br />葡萄はブドウ科(Vitaceae) ブドウ属の蔓性落葉低木で、此れに生る果実をも同名で言う。<br />ラテン語の学名は&rdquo;Vitis spp&rdquo;, 英語名はGrape、ドイツ語名はTraube 、そしてフランス語名はVigneと言う。<br />原産地はユーラシア大陸のコーカサス地方、そして北アメリカに大別される。<br />葡萄の祖先種は約1億4000万年前の「白亜紀」前期に出現し、第3期暁新世(約6500~5500万年前)には現在のブドウ属が繁殖していたと推測される。<br />其の後「氷河期」を経て「ヨーロッパ種群」、「北アメリカ種群」、「東アジア種群」の&ldquo;3大ブドウ種群&rdquo;が形成されている。<br />尚、ブドウ属の植物は数十種あり、北アメリカ、東アジアに多く見られ、インド中東、南アフリカにも自生種がある。<br />日本の山野に生える山葡萄、蝦蔓、三角蔓もブドウ属の植物である。<br />現在の葡萄でワイン用、レーズン用又は生食用に栽培されているのは、ペルシャないしはカフカスが原産地のV.vinifgera(ヴィニフェラ種)と北アメリカ原産のV.labrusca(ラブルスカ種)である。<br />栽培される葡萄には生食用品種並びに加工用品種があり、加工用はワイン醸造、レーズン、ジュース等に使用される。生食用はTable grape(テーブルグレープ)、加工用はWine grape(ワイングレープ)と呼ばれる。<br /><br />食文化の歴史の中での葡萄は大層古く、考古学者による推定では今から数万年も前から食用のみならず、ワインの原料として利用されていたらしい。<br />ワイン製造の原点は葡萄の原産地のコーカサス地方、カスピ海沿岸ないしは其の周辺の中近東であると見て間違い無い。<br />此の原産地を始まりに、紀元前2250年頃から古代バビロニア、紀元前2000年頃には古代エジプト、紀元前1700年頃には古代ギリシャに伝来し、複数のPolis(都市国家)の発展とギリシャ人達のワインへの愛着と、植物学者、哲学者等の知識、技術に依ってワイン醸造は目覚ましく進歩した。<br />紀元前750年頃にはイタリア半島に都市国家Romaが建国され、ギリシャからワイン醸造技術が伝わり、イタリアはギリシャ以上に気候、土壌に於いて葡萄栽培に適した土地であったので、ワイン醸造は大いに発展した。<br />ローマ帝国がヨーロッパに領地を拡大させるに連れて、ローマ文化の1つとしてワイン醸造がヨーロッパ各地に浸透して行った。<br />紀元前100年頃にはGALLIA(現フランス)のBordeaux地方、Provence地方、 Rh&ocirc;ne川沿岸、HISPANIA(現スペイン)のAndaluc&iacute;a地方、ポルトガルの大西洋沿岸、GERMANIA(現ドイツ)のRheinland地方、等の南東ヨーロッパ各国に醸造圏が拡大し定着して行った。<br /><br />中世(10~14世紀)のヨーロッパではキリスト教が各国の正教となって、ワインは「キリストの血」即ち聖なる飲み物として重宝された。<br />故に一部の教会や修道院が独自の葡萄畑とワイン醸造所を所有し経営する事に依ってワインの価値を高めて行った。<br />古代ギリシャ、ローマそして中世初期のヨーロッパでは葡萄及びワインは専ら支配階級、特権階級の為の物であったが、15~16世紀と時が経つに連れて、一般の農家でも葡萄畑を経営する者が増えて行き、葡萄も此れを原料にするワインも庶民の間でも嗜まれる様になった。<br />此れに依ってワインの需要が急速に高まると、其れまで農業の一部として葡萄を栽培していた農家の中には、葡萄畑とワイン醸造を専門とする業者が出て来た。<br />そして商業界でもワインを買い取り、貯蔵、販売する専門業者も現れる様になった。<br />当時のワイン業者はワインの貯蔵や運搬には初期の頃には樽や瓶や壺を使っていたが、陶器製又はガラス製のビンが使用される様になって以来、ワインの流通性は著しく高まった。<br />更に17世紀に於けるコルク栓の発明、使用はワインの貯蔵、熟成のみならず品質をも向上させた。<br />こうしてワインは社会で更に高まる需要に呼応して、大量生産及び品質の向上を成し遂げて行った。<br />18世紀、19世紀には、ヨーロッパのワインの主要な生産国(例:フランス、イタリア、ドイツ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハンガリー、ブルガリア)では様々なワインに関する法律、ないしは醸造業者間での自主規制が制定され、此れに依って葡萄栽培及びワインの醸造技術は更なる進歩を遂げて行った。<br />かくして葡萄栽培とワイン醸造は昔ながらの伝統と最新の学術が融合する事に依って現在にまで至っている。<br /><br />次に葡萄の栄養について以下の通り書き記しておく。<br />葡萄の可食部100g当りに(糖質からのエネルギー生産と、皮膚や粘膜の健康維持を助ける)<strong>ビタミンB1</strong>:0.04mg、(糖質、たんぱく質、脂質の代謝、エネルギー産生に関与する酸化還元酵素の補酵素として作用する)<strong>B2</strong>:0.01g、(酵素の働きを助ける成分として多くのアミノ酸の代謝を助長する)<strong>B6</strong>:0.04mg、(皮膚や粘膜の健康を維持し、抗酸化作用を持つ)<strong>C</strong>:2mg、(強力な抗酸化作用で、活性酸素の害を消去して細胞の老化を防ぐ)<strong>E</strong>:0.3mg、(コレステロール抑制に効果的な)<strong>ナイアシン</strong>(ビタミンB3):0.1gを含む。<br />ミネラル系では(細胞の浸透圧を維持、酸・塩基平衡の維持、神経刺激の伝達、心臓機能や筋肉機能の調節、細胞内の酵素反応の調節等の作用する)<strong>カリウム</strong>:130mg、並びに<strong>ナトリウム</strong>:1mg、(骨や歯の主成分となる、細胞の分裂・分化、筋肉収縮、神経興奮の抑制、血液凝固作用の促進に作用する)<strong>カルシウム</strong>:6mg、(骨や歯の形成を助長する)<strong>マグネシウム</strong>:6mg、並びに<strong>リン</strong>:15mg、(赤血球のヘモグロビンの材料となり、エネルギーの元になる)<strong>鉄</strong>:0.1mgを含む。<br />其の他、(筋肉や臓器、肌、髪、爪、体内のホルモンや酵素、免疫物質などを作り、栄養素の運搬を行う)<strong>たんぱく質</strong>:0.4g、<strong>脂質</strong>:0.1g、(糖質と食物繊維に分解され、糖質は脳や筋肉等の生命維持の為の主要エネルギー源となる)<strong>炭水化物</strong>:15.7g、灰分:0.3g、葉酸:4&mu;g、パテトン酸:0.1mg、(皮膚・粘膜を丈夫にし、視力維持、癌の予防、免疫力強化、老化防止にも作用がある)<strong>カロティン</strong>:21&mu;g、(胃腸の調子を整える)<strong>食物繊維</strong>:0.5gをも含んでおり、多種多様な野菜、果物の中でも特に栄養の豊富な果物である。<br /><br />又、葡萄の糖分の殆どが<span style="font-weight: bold;">ブドウ糖</span>と<span style="font-weight: bold;">果糖</span>であり、これ等は体内に即座に吸収され、新陳代謝の経過を待たずに其のままエネルギーとなるので、疲労、体力回復に非常に効果がある。<br />更に<span style="font-weight: bold;">ブドウ糖</span>と<span style="font-weight: bold;">果糖</span>は脳の為に直接栄養源となり、脳の機能を活発にし、集中力を高める効果がある。<br />因みに余も今年は昨年の疲労と今年の夏の異常気象が悪影響して、久方振りに夏バテしたのだが、我が家の葡萄を大量に食べる事に依ってすっかり立ち直り、日常のウェイトトレーニングに復帰する事が出来たのである。<br />葡萄の皮には特に<span style="font-weight: bold;">ポリフェノール</span>と<span style="font-weight: bold;">アントシアニン</span>が多く含まれている。<br /><span style="font-weight: bold;">ポリフェノール</span>は癌や動脈硬化の予防に効果がある。<br />其の証拠に世界で最もワインを飲むフランス人はヨーロッパで最も癌の発症が少ないと言う統計がある位である。<br /><span style="font-weight: bold;">アントシアニン</span>は特に赤葡萄に多く含まれ、目の疲れ、病気の治癒、視力回復、そして活性酸素の除去、更に最近の研究では食物アレルギーの抑制にも効果があると証明されている。<br /><br />結びに我がドイツの地元Brandenburg州の葡萄にまつわるEpisode(逸話)を紹介する。<br />1701年に成立したK&ouml;nigreichⅢ(プロイセン王国)の第3代国王FriedrichⅡ世(Der Gro&szlig;e)陛下は1740年に父君Friedrich WilhelmⅠ世陛下の後を継いで御即位された。<br />故に当初はKronprinz(王子)であられた時代に御住まいになられていたSchlo&szlig; Rheinsbergより首都Berlinに御戻りになる予定であった。<br />Berlinには王室代々のK&ouml;nigliches Schlo&szlig;やSchlo&szlig; Charlottenburg等の壮麗な宮殿があるのだが、Friedrich der Gro&szlig;e陛下は喧噪な首都に御住まいになる事を望まれず、郊外のPotsdamに御自らデザインされた新宮殿Schlo&szlig; Sans Souciを1745~47年に地元出身の建築家W.Knobelsdorfの指揮の元建立されたのであった。<br />そして宮殿の下半分に階段状の&rdquo;Weinbergterasse&rdquo;(ワイン葡萄畑付きテラス)を御築きになり、ここでワイン用葡萄を栽培される計画であった。<br />にも拘わらずBrandenburg州の気候は葡萄栽培の為には余りに寒過ぎた故、葡萄は残念ながら十分なワインを収穫するまでには育たなかった。<br />其の代用として&rdquo;Weinbergterasse&rdquo;にはFeige(イチヂク)の木が現在でも一緒に栽培されている。<br />時は流れてFriedrich Wilhelm Ⅲ世陛下の統治時代になり、皇帝Napoleonの率いるフランスを打倒したプロイセン王国、オーストリア帝国、イギリス王国そしてロシア帝国によって&rdquo;Wiener Kongre&szlig;&rdquo;(ウィーン会議 1814年9月18日~1815年6月9日)が開催された。<br />此れに依って、K&ouml;nigreich Preu&szlig;enは新たな領地としてドイツ西部の州Rheinlandを獲得し、遂に念願の良質なワイン、即ちRhein Gau並びにMosel-Saal-Ruwerを自国産のワインとして製造、販売出来る様になったのである。<br /><br /><br />2022年の追伸:<br />今年は葡萄の木が予想外に巨大化し、其の蔓を隣の柘榴の木にまで巻き付けて行った。 其の結果、驚異的な数の房が実ってしまったのである。                 <br />余りにも房の数が多いので今回は正確に数えていないのだが、2020年の収穫が約220房であったが、今年は確実に其の2倍の量は収穫している。   <br />其の証拠にナイロンの買い物袋に約20房を入れたのが、計23袋にもなった事から、約<strong>460</strong>房位収穫出来たと見るべきである。                     そして此度も我が家だけではとても食べ切れない故、我が家の親戚、友人達の計14世帯に18袋を進呈した次第である。(1本の葡萄の木から此れ程大量の房が採れた事を話すと流石に皆驚いていた。)                        <br />しかし今年の収穫は今まで前例がない程手間が掛かった。              <br />と言うのはただ房の数が多いだけでなく、余の手が届かない様な高い所にまで蔓が伸びて房が実っているので、脚立に立って採ったり、「高枝切鋏」で切り取ったりしなければならなかったのである。                               <br />更に柘榴の枝の間に巻き付いた蔓に実った房を採る時には両腕を柘榴の棘で刺されるし、其の上両脚は蚊に毎回約20か所も刺される始末である。              (途中で虫よけスプレーがあるのを思い出して、此れを使う様になって以来、虫刺されはかなり防げる様になった。)                           此の様な収穫を8月7日から始めて毎日繰り返し、ようやく1か月後の9月7日になって作業を終了した次第である。                           此れ程巨大化して驚異的な数の房を実らせる我が家の葡萄の木は最早「化け物」を通り越して「御神木」にまでなったと思えるのである。<br /><br /><span style="color: #ff0000; font-weight: bold;">Kunstmarkt von Heinrich Gustav  </span><br />All rights reserved 【日記】 熱中症予防、ダイエット、そして生活習慣病の予防の為に Fri, 01 Jul 2022 23:37:47 +0900 1393864 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/1393864 本日6月18日、日中の最高気温は今年一番の暑さとなった所が多く、全国の観測地点の内3割近い269地点で30度以上の真夏日となった。<br />気象庁の予測によると、今年の夏は全国的に例年以上に高温になるので、健康管理に十分な注意が必要である。<br />昨年の7月以来全国的に「猛暑日」が続き、7月13日~19日の一週間で約6165人、7月20日~26日の一週間で約7743人が「熱中症」で病院へ搬送された。<br />更に7月27日~8月2日の一週間では1万1672人が病院へ搬送され、内25人が死亡している。<br />此れは1週間の搬送者数としては、2008年の統計開始以来最多である。<br />詰まり僅か3週間で計2万5580人が「熱中症」の被害を受けているのである!<br />最早ここまで来ると、「自然災害」と言っても過言ではない。<br />熱中症とは体温の上昇によって体温調節機能の均整が崩れ、熱が体内に蓄積する状態の事である。                                    本来人間の体は体温が上昇した場合、適度な体温を維持する為、汗をかいたり皮膚温度を上げる等によって熱を体外へと放出する。                     此の機能が正しく作用しない事により熱中症になるのである。<br /><br /><strong>熱中症になる原因</strong>として以下の事柄が挙げられる。<br />*気象条件(気温が高い、湿度が高い、風が弱い、日差しが強い)                  <br />*年齢65歳以上、又は15歳未満  *肥満体である                                 <br />*持病がある(心疾患、肺疾患、精神疾患、高血圧、糖尿病、等)                                                   <br />*極度に暑い日の野外行動(慣れない激しい運動、長時間作業、水分摂取の機会が少ない) <br />*健康状態が良くない  <br />*エアコン等の空調設備を使用しない 等<br /><br />次に<strong>熱中症の症状</strong>としては以下の<strong>「軽度」「中度」「重度」</strong>と、3段階に分けられる。<br /><strong>「軽度」</strong>:めまい、立ちくらみ、筋肉のこむら返り、手足のしびれ、気分が悪い<br /><strong>「中度」</strong>:頭痛、吐き気や嘔吐、体のだるさ、脱力感<br /><strong>「重度」</strong>:高体温、真っ直ぐ歩けない、全身の痙攣、呼びかけに反応しない、意識が無くなる、                                      <span style="text-decoration: underline;">これ等の症状が出た場合、直ちに涼しい場所に移動して、水分補給をし、濡れたタオルや氷で頸動脈を冷やす等の応急処置をした後、医療機関で診察、救護を受けなければならない。<br /></span><br />個人的な事を書くと、余はウェイトトレーニング、格闘技等の練習を週5日のペースで長年続けているし、ドイツでの芸術大学時代には芸大と同市内の医学大学にも「特別受講生」としてAnatomie(解剖学)とPsychologie(心理学)を学んでいたので、自分と家族の健康に人一倍配慮している。<br />又、余は(湿度、温度共に低い)ドイツに足掛け13年も住んでいた為か、体質が北ヨーロッパの気候に馴染んだままで、日本の夏の「蒸し暑さ」は大変堪えるのである。<br />田舎にある我がボロ別荘では、実家のある街中よりは風通しが良く、気温が4℃ないし5℃低いものの、ウェイトトレーニングに服を着用してでは、大量の汗をかくのでとても耐えられない。<br />故に短い水着とリストバンドだけを着用して運動をしている次第である。 <br />又、夏の屋内に於ける日常生活では露出度の高い&rdquo;Sexy Lingerie&rdquo;とNecklessやBracelet等の装身具だけ身に着けた、あたかも「古代インド」の若い貴族の様な出で立ちで生活している。   <br />其の御蔭で室内温度は約28℃に調整していても快適に過ごせるし、エネルギーの節約にもなっている。    <br />又、屋外と室内の温度差が大き過ぎると、免疫力が低下して伝染病にも感染し易くなるので注意が必要である。<br /><br />熱中症はただ単に気温が高いだけで起こる疾患ではなく、極端な例を挙げると体内の水分不足が原因で早4月に熱中症になった人もいる位である。<br />其れ故にテレビのニュース、特別番組等でも「水分補給を十分にして下さい。」と呼びかけているが、飲み物なら何でも飲めば良いと云うのではない。<br />「民間療法」で<strong>夏バテ予防に効果のある食物</strong>として、<strong>卵、豆腐、枝豆、トマト、西瓜、南瓜、柑橘類、鶏肉、豚肉、牛肉、鰻、</strong>等が言い伝えられているし、飲み物としては<strong>麦茶</strong>も良いと言われているが、実際の処、<strong>牛乳</strong>は更に効果的なのである。<br /><strong>牛乳</strong>は「アミノ酸」の形成に優れた良質のタンパク質、乳化脂肪、乳糖、炭水化物、ビタミンA、B2、カリウム、カルシウム、リンを豊富に含む、栄養のバランスの取れた飲料である。<br />牛乳の効能として、高血圧と動脈硬化の予防、胃潰瘍と胃炎の予防、老化と骨粗鬆症の予防、便秘予防、滋養強壮、神経の興奮、緊張の緩和、等が挙げられる。<br />同様に簡単で安価に手に入る健康に良い物として、<strong>野菜ジュース</strong>がある。<br /> <strong>野菜ジュース</strong>は複数の業者が発売しているが、大抵の場合、たんぱく質、脂質、糖質、食物繊維、ナトリウム、カルシウム、鉄、マグネシウム、カリウム、亜鉛、ビタミンA 、B6、 C、 E、 K、ヒアルロン酸、葉酸、アントシアニン、リコピン、等の栄養素を摂取出来る。<br /> 栄養学の理論では、人間(成人)が1日に必要な野菜の摂取量は約350gとしているが、1日で此れ程の野菜を食べるのは容易な事ではない。<br />しかし、良質な野菜ジュースならば200mlのコップ1杯で、此の約350gの野菜に相当する栄養分を摂取出来るのである。<br />スポーツドリンクも良いのだが、数種類ある中でプロスポーツマンの間ではサントリーの「Green DAKARA」が最も人気がある。<br />何故なら此れはスポーツドリンクの中でも珍しく、プロスポーツマンにとって最も重要な栄養素タンパク質の構成要素であるアミノ酸を補給出来るからである。(因みにタンパク質は20種類のアミノ酸で構成されている。)<br />逆に炭酸飲料と缶コーヒーはなるべく飲まない方が良い。<br />と言うのは、大抵の炭酸飲料は冷やして飲むので爽快感こそあるが、実は缶または瓶1本の中に大量の砂糖及び人工甘味料が入っていて、其れを角砂糖に換算すると、8個~13個にまでなる。(缶コーヒーも似たりよったりである。)<br />一般人が一日に必要摂取する砂糖の量は、角砂糖で4・5個位なので、1本の炭酸飲料を飲むだけで過剰摂取という事になる。<br />其の上運動を怠れば、糖分が正しく分解されず排泄されるので、膵臓に負担が掛かり糖尿病の原因となる。<br />又、炭酸飲料は長年飲み続けると、骨や歯を育成するカルシウムを著しく破壊するので、骨粗鬆症の原因にもなる。<br /><br />次に「<strong>ダイエット</strong>」についてだが、大抵の日本人は此れを「肥満を防止する事」位に思われている様だが、<br />実際"Diet"とは正しくは「<strong>食餌療法</strong>」と訳され、肥満体の人が実行するのみならず、糖尿病、癌、痛風、各臓器疾患を持つ患者方も行っている。<br />ヨーロッパの医学では<strong>代表的な"Diet"の為の食品</strong>として、<strong>ヨーグルト</strong>が挙げられる。<br /><strong>ヨーグルト</strong>の栄養価の特徴として先ず牛乳より多くのカルシウムと乳酸菌を含んでいる。<br />(ヨーグルトは乳製品故、其の栄養については前記の牛乳を参照)<br />善玉菌の代表格である乳酸菌の作用として、ビフィズス菌を増やして腸内環境を整える、悪玉菌の繁殖を抑えて腸の免疫力を高める、便秘、下痢の改善、各種癌、高血圧、肝臓障害の予防、コレステロールの軽減等がある。<br />其の中でも特に細切りにした果物が混ぜられた物が更に健康に良い。<br />生命維持の為、毎日2度ないし3度の食事は成程必要不可欠ではあるが、食物は食べ過ぎると、栄養を摂取するどころか、返って肥満を招いたり、胃や腸の消化器官に過大な負担をかける事になり、最悪の場合、胃腸の癌を発生させる事にもなりかねない。<br /><strong>食事に於いて最も大切なのは「美味い、まずい」ではなく、如何に栄養価の高い食物を合理的且つバランス良く摂取するかなのである。</strong><br />現代では仕事が多い事に関係して朝食を取らない人が少なくない様だが、実は此れは愚の骨頂とも言える行為である。<br />何故なら朝起床した直後は人間の体が栄養を吸収するのに最も適した時間帯だからなのである。<br />但しタンパク質だけは例外で、寧ろ晩に摂取する方が吸収率が高い。<br />故に余は毎回トレーニングを終えた後、黒豆ココアに牛乳と蜂蜜を入れて飲んでいる。<br />因みに<strong>蜂蜜</strong>は、ビタミンB1、B2、B6、C、K、アミノ酸、酵素、葉酸、ニコチン酸、パントテン酸、ビオチン、ミネラル類のカリウムを多く含む他、ナトリウム・カルシウム・マグネシウム・リン・亜鉛・鉄・銅・マンガン等の多種多様の栄養素を豊富に含む、<strong>非常に栄養価の高い健康食品</strong>である。<br />又、蜂蜜のカロリーを砂糖と同じ量100gで比較すると、上白糖が384kcalであるのに対し、蜂蜜は294kcalとより少ない。<br />蜂蜜の主成分はブドウ糖と果糖で、これ等は構造が単純な糖類なので、体内に入れば短時間で腸壁から吸収されて血管に伝わり、胃腸に負担を掛けずに栄養分となる。<br />此の様な特徴から、スポーツ、肉体労働後、又は病気による肉体疲労に対し、即効的に栄養を吸収出来るので、急速で効果的な疲労回復が可能なのである。<br /><br />更に<strong>「生活習慣病」の予防</strong>について書き記す。これ等の疾患を原因毎に分類すると、以下の通りである。<br /><br />・食事習慣による病気: 成人肥満、小児肥満、栄養失調、拒食症、糖尿病、胃癌、大腸癌、痛風、高脂血症、高血圧性疾患、動脈硬化、胆石、腎臓結石、心筋梗塞、胃潰瘍、腎臓病、肝疾患、骨粗鬆症、歯周病、等<br /><br />・飲酒習慣による病気: アルコール依存症、アルコール性精神病、アルコール性肝硬変、アルコール肝炎、脂肪肝 等<br /><br />・喫煙習慣による病気: 各種のガン、慢性気管支炎、肺気腫、歯周病、脳卒中、骨粗鬆症、心臓病 等<br /><br />・運動不足の習慣による病気: 肥満症、糖尿病、高脂血症、高血圧 等<br /><br />・休養不足による病気: 慢性疲労、局所の痛み、過労死 等<br /><br />・不眠習慣による病気: 不眠症、慢性疲労、睡眠時無呼吸症候群 等<br /><br />・ストレス習慣による病気: 鬱病、神経症(ノイローゼ)、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)、心筋梗塞、等<br /><br />若い世代の人達は、人間の晩年に起こりがちな「生活習慣病」には比較的無頓着かも知れない。<br />しかし、若気の至りで栄養を軽視したり、不規則、不摂生、そしてストレスを蓄積する生活を長く続けていると、必ずと言う位肉体の老化を早めるし、其の上生命を脅かす「生活習慣病」を患う事態に陥ってしまう。<br />これ等の「生活習慣病」を未然に防ぐ為には、何よりも先ず自分自身の日常生活に於ける悪習慣、悪癖をチェックして其れを出来る限り改正して行く事である。<br />自己診断が出来ない場合には、医師、栄養士、スポーツトレーナー等の専門知識の有る人に相談するのが良い。<br />長きに渡って付いている悪習慣、悪癖を直ちに改正するのは容易な事ではないので、少しずつ改めて行くのが良い。<br />一般的に日本人は欧米人に比べて、勤勉な割には自分の健康管理に無頓着な人が多い。<br />本来、「勤勉」と「努力」は世界基準で見ても日本人の傑出した長所であり美徳であるのだが、余り頑張り過ぎる事は返って自分の心身の健康を蝕んでしまう結果にもなり兼ねない。<br />諺の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の通り、<strong>栄養摂取と同様に、「勤勉」と「努力」も無理、無駄の無い様に、合理的に続ける事が肝心である。</strong><br />余の考える<strong>理想的な「勤勉」と「努力」とは、他人の方法を模倣するのではなく、自分の最も気に入った、又は最も適した方法で続けて行く事である。<br /><br /></strong>個人的な事を公表する様だが、余は長年に渡るトレーニング及び大学等で学んでいた医学知識の御陰で、脳年齢は4種類のチェックテストを受けた結果は平均25歳であるし、視力も両眼1.5あるし、毛髪も同世代の女性よりも本数が多いし、今だにスリーサイズはB:105、W:68、H:93(cm)  身長:173cm、上腕周り:37cmを維持している。&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;<br /><span style="text-decoration: underline;">熱中症の予防の為には、水分を時折適度に採る事が重要であるが、其れを体内に十分に貯蓄する事も更に大事なのである。<br /></span>実は人間の体の機関で水分を蓄える役割を担っているのが筋肉なのである。<br />其の証拠に毎年「熱中症」になる人の大部分は老人や子供の様な比較的筋肉の少ない人であり、逆に筋肉の多いスポーツマンが「熱中症」になる事は極稀である。<br />余は日本の蒸し暑い気候は成程堪えるのだが、上記の通り「超筋肉質」の体である故、幸いにして「熱中症」になった事は一度も無い。<br />因みに画家にとって「視力」は「技術」、「個性」、「思想」と並んで最重要条件の一つである。<br />余は自分の視力を維持する為に、絵を描く時、字を書く時、其の他の作業共に対象物から30cm以上目を離して行う様にしている。<br />更に外出時には出来るだけ遠景を見渡したり、Chromatik(色彩科学)でも目の健康に良いとされる植物の緑を見る様にしている。<br /><br />余は仕事でボランティア同然の(公共事業としての)芸術活動をしているので、個人の収益など無いが、本来の物質的財産のみならず、Gesundheit「健康」並びに彫の深い端正な顔を含むSch&ouml;nheit「美しき容姿」に恵まれている事には大層な幸福感及び充実感を感じている。<br />(これ等は日本人、ドイツ人の友人達が共に認めてくれている事なので、「この自惚れ屋め!」等と言わないで頂きたい。)<br />先祖や親から相続出来る財産なら、余程愚かで間違った事さえしなければ、失う事は先ず無い。<br />其れに対し「健康」は日常の生活態度を常に正しく整えておかなければ、次第に失われてしまう。<br />即ち「<strong>健康管理」とは財産管理以上に日頃から気を付けなければならないのである。</strong><br />厚生労働省等の統計によると、健康管理の度合いは、其の人の学歴と経済力に比例している様子である。<br /> 詰まり、高学歴、富裕層程良く健康管理が出来ていて、低学歴、貧困層程健康管理が出来ていないのである。<br /> 「格差社会」は健康管理の分野にまで影響している事を思い知らされる事実である。<br />因みに英語のbeauty(美しい、美しさ)と云う単語はラテン語のBEATITVDO(幸福、裕福、健康)、BEATVS(前単語の形容詞)から由来している。<br />詰まり古代より「健康」とは「幸福」「裕福」「美」に直接繋がる事を表しているのである。<br /><strong>何をして行くにも健康は絶対的な重要条件なので、人生に於ける無形の財産と言っても良い。</strong><br />故に<strong>人間は自分の健康のみならず、家族の健康も同様に十分留意し大事にしなければならないのである!</strong><br /><br /><strong><span style="color: #ff0000;">Kunstmarkt von Heinrich Gustav</span>   <br /></strong>All rights reserved<br /><br /> 【日記】 美容師求人! 只今、美容師募集中!  Sat, 26 Mar 2022 12:52:32 +0900 671220 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/671220 <strong><span style="font-size: large; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #ff0000; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">*美容師求人! </span><span style="font-size: large; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #ff0000; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">只今</span><span style="font-size: large; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #ff0000; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">、美容師募集中!</span></strong><br /><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: 12px/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><br /><span style="font-size: small;"><strong>雇用条件</strong>:<strong>美容師資格保持者、独身(年齢規定無し)<br />県外の方の住み込み勤務も可。(勿論、家賃、エネルギー代、食費、全て無料!)</strong></span></span><br /><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: small/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><br /><strong>(敢えて理想を言えば)グラビアアイドル系の健康で清純で家庭的な方、「着付け」の出来る方は大歓迎です!</strong></span><br /><span style="font-size: small;"><strong><span style="font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><br /></span></strong><strong><span style="font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">御希望の方は当店の電話/Fax(086-942-2677)にて御連絡下さい。</span></strong></span><br /><strong><span style="font-size: small; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><strong><span style="font-size: small; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><br />面接前に必要な物:美容師免許書のコピー、履歴書(作成法は自由)、写真(自分の一番お気に入りの物、サイズは自由)<br /></span></strong><br />雇用要項(勤務時間、給与等)に関しては直接説明致します。(経営者:奥山)<br /></span></strong><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: 12px/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><br /><span style="font-size: small;">(<strong>注意:当店は重労働を強いる事も、営業時間後の残業もありませんが、高い給与は期待なさらないで下さい。とは言え、住み込み勤務してくれる場合、我が家の財産と不労所得だけで、衣、食、住、趣味、其の他の生活には全く不自由しません。))</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>拝金主義や冷徹な競争と言った世知辛い人間関係を否定する人、又は時代、流行を超えた「個性的な永続の美」を望む人には、当店はお勧めです。</strong></span><br /></span><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: 12px/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><strong><span style="color: #ff0000;"><br />*</span></strong>因みに我が家(本ページ画像参照)は2000年にドイツの首都Berlin及びBrandenburg州公認の画家Heinrich Gustavの設計により、Deutscher Ritterorden(ドイツ騎士団)の城をモデルにしたBacksteingotik(レンガ・ゴシック様式)で新改築されており、3階建てで部屋数が計11室あります。<br />そして、ドイツを中心とするヨーロッパアンティークのコレクション及び資料を多数所蔵しており、これ等の一部は2003年、其の後2008~2016年まで毎年、徳島県「鳴門市ドイツ館」にて展示して参りました。<br />故に外観も調度品も地方の小規模な美術館、博物館を凌ぐ位の自信はあります。<br />其の上、防犯設備も充実しております。(とは言え、ここ西大寺の治安は極めて良好です。)<br />又、実家の斜め向いに駐車場を経営し、田舎に於いては農地及び(ボロ)別荘を所有しております。<br />農地は我が友人が耕作してくれる御陰で、我が家では年間180kgの米がただで入りますし、駐車場でガーデニングを<span>嗜んで</span>おります。<br />要するに生活三大要素の「衣」「食」「住」は十分過ぎる位足りているのですが、其の反面、何分人手(家族)不足なのです。<br />其れ故に<strong>上記の条件を満たす美容師の方が住み込み勤務して、最終的には我が店舗の後継者となってくれるのが、理想であり切なる願いなのであります!(我が家の財産と不労所得だけで「帝政時代」の<strong>「子爵」</strong>「男爵」並みの生活は出来ます。)<br /><br /></strong><br />※追伸:当ホームページと此れ以外の複数のプロバイダーによるホームページ宣伝の御陰で、2018年3月3時点で、女性30人、男性8人の合計38人の新しい客人が来店してくれました!<br />≪県外からは、東京都(1)、広島県(2)、兵庫県(1)、そして国外からは、ドイツの友人(1)、知人(3)、ブラジル(1)≫<br />更に地元西大寺に戻られた3人の御客さんが2015年9月以来、再来店してくれています。<br />興味深き事に、店舗を経営する我が母上が新しい客人に何処から来たのか尋ねると、何と我が店舗を基準に東西南北全ての方角から来てくれている事が判明しました。<br />2013年後半以来、インターネット上の宣伝が随分効果を生んでくれています。<br />此の事については、宣伝協力してくれているプロバイダー及び御客様方に御礼申したい処です!<br /><br /><strong>〒704-8116 岡山市東区西大寺中2-10-16 <span style="color: #ff0000;">ビューティシルク美容室</span></strong><br /></span> 【日記】 美容師求人! 只今、美容師募集中!  Sat, 26 Mar 2022 12:52:00 +0900 1091426 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/1091426 <strong><span style="font-size: large; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #ff0000; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">*美容師求人! </span><span style="font-size: large; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #ff0000; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">只今</span><span style="font-size: large; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #ff0000; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">、美容師募集中!</span></strong><br /><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: 12px/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px; font-size-adjust: none; font-stretch: normal;"><br /><span style="font-size: small;"><strong>雇用条件</strong>:<strong>美容師資格保持者、独身(年齢規定無し)<br />県外の方の住み込み勤務も可。(勿論、家賃、エネルギー代、食費、全て無料!)</strong></span></span><br /><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: small/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px; font-size-adjust: none; font-stretch: normal;"><br /><strong>(敢えて理想を言えば)グラビアアイドル系の健康で清純で家庭的な方、「着付け」の出来る方は大歓迎です!</strong></span><br /><span style="font-size: small;"><strong><span style="font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><br /></span></strong><strong><span style="font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">御希望の方は当店の電話/Fax(086-942-2677)にて御連絡下さい。</span></strong></span><br /><strong><span style="font-size: small; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><strong><span style="font-size: small; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><br />面接前に必要な物:美容師免許書のコピー、履歴書(作成法は自由)、写真(自分の一番お気に入りの物、サイズは自由)<br /></span></strong><br />雇用要項(勤務時間、給与等)に関しては直接説明致します。(経営者:奥山)</span></strong><br /><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: 12px/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px; font-size-adjust: none; font-stretch: normal;"><br /><span style="font-size: small;">(<strong>注意:当店は重労働を強いる事も、営業時間後の残業もありませんが、高い給与は期待なさらないで下さい。とは言え、住み込み勤務してくれる場合、我が家の財産と不労所得だけで、衣、食、住、趣味、其の他の生活には全く不自由しません。))</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>拝金主義や冷徹な競争と言った世知辛い人間関係を否定する人、又は時代、流行を超えた「個性的な永続の美」を望む人には、当店はお勧めです。</strong></span><br /></span><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: 12px/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px; font-size-adjust: none; font-stretch: normal;"><strong><span style="color: #ff0000;"><br />*</span></strong>因みに我が家(本ページ画像参照)は2000年にドイツの首都Berlin及びBrandenburg州公認の画家Heinrich Gustavの設計により、Deutscher Ritterorden(ドイツ騎士団)の城をモデルにしたBacksteingotik(レンガ・ゴシック様式)で新改築されており、3階建てで部屋数が計11室あります。<br />そして、ドイツを中心とするヨーロッパアンティークのコレクション及び資料を多数所蔵しており、これ等の一部は2003年、其の後2008~2016年まで毎年、徳島県「鳴門市ドイツ館」にて展示して参りました。 <br />故に外観も調度品も地方の小規模な美術館、博物館を凌ぐ位の自信はあります。<br />其の上、防犯設備も充実しております。(とは言え、ここ西大寺の治安は極めて良好です。)<br />又、実家の斜め向いに駐車場を経営し、田舎に於いては農地及び(ボロ)別荘を所有しております。<br />農地は我が友人が耕作してくれる御陰で、我が家では年間180kgの米がただで入りますし、駐車場でガーデニングを<span>嗜んで</span>おります。<br />要するに生活三大要素の「衣」「食」「住」は十分過ぎる位足りているのですが、其の反面、何分人手(家族)不足なのです。<br />其れ故に<strong>上記の条件を満たす美容師の方が住み込み勤務して、最終的には我が店舗の後継者となってくれるのが、理想であり切なる願いなのであります!(我が家の財産と不労所得だけで「帝政時代」の<strong>「子爵」</strong>「男爵」並みの生活は出来ます。)<br /><br /></strong><br />※追伸:当ホームページと此れ以外の複数のプロバイダーによるホームページ宣伝の御陰で、2018年3月3日時点で、女性30人、男性8人の合計38人の新しい客人が来店してくれました!<br />≪県外からは、東京都(1)、広島県(2)、兵庫県(1)、そして国外からは、ドイツの友人(1)、知人(3)、ブラジル(1)≫<br />更に地元西大寺に戻られた3人の御客さんが2015年9月以来、再来店してくれています。<br />興味深き事に、店舗を経営する我が母上が新しい客人に何処から来たのか尋ねると、何と我が店舗を基準に東西南北全ての方角から来てくれている事が判明しました。<br />2013年後半以来、インターネット上の宣伝が随分効果を生んでくれています。<br />此の事については、宣伝協力してくれているプロバイダー及び御客様方に御礼申したい処です!<br /><br /><strong>〒704-8116 岡山市東区西大寺中2-10-16 <span style="color: #ff0000;">ビューティシルク美容室</span></strong><br /></span> 【日記】 美容師求人! 只今、美容師募集中!  Sat, 26 Mar 2022 12:51:26 +0900 1397116 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/1397116 <strong><span style="font-size: large; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #ff0000; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">*美容師求人! </span><span style="font-size: large; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #ff0000; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">只今</span><span style="font-size: large; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #ff0000; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">、美容師募集中!</span></strong><br /><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: 12px/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px; font-size-adjust: none; font-stretch: normal;"><br /><span style="font-size: small;"><strong>雇用条件</strong>:<strong>美容師資格保持者、独身(年齢規定無し)<br />県外の方の住み込み勤務も可。(勿論、家賃、エネルギー代、食費、全て無料!)</strong></span></span><br /><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: small/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px; font-size-adjust: none; font-stretch: normal;"><br /><strong>(敢えて理想を言えば)グラビアアイドル系の健康で清純で家庭的な方、「着付け」の出来る方は大歓迎です!</strong></span><br /><span style="font-size: small;"><strong><span style="font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;"><br /></span></strong><strong><span style="font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">御希望の方は当店の電話/Fax(086-942-2677)にて御連絡下さい。<br /></span></strong></span><br /><strong><span style="font-size: small; font-family: &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; font-variant: normal; white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; font-style: normal; text-align: left; display: inline !important; letter-spacing: normal; line-height: 14px; background-color: #ffffff; text-indent: 0px;">面接前に必要な物:美容師免許書のコピー、履歴書(作成法は自由)、写真(自分の一番お気に入りの物、サイズは自由)<br /><br />雇用要項(勤務時間、給与等)に関しては直接説明致します。(経営者:奥山)<br /></span></strong><br /><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: 12px/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px; font-size-adjust: none; font-stretch: normal;"><span style="font-size: small;">(<strong>注意:当店は重労働を強いる事も、営業時間後の残業もありませんが、高い給与は期待なさらないで下さい。 とは言え、住み込み勤務してくれる場合、我が家の財産と不労所得だけで、衣、食、住、趣味、其の他の生活には全く不自由しません。))</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>拝金主義や冷徹な競争と言った世知辛い人間関係を否定する人、又は時代、流行を超えた「個性的な永続の美」を望む人には、当店はお勧めです。<br /><br /><span style="color: #ff0000;"><br />*</span></strong></span></span><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: 12px/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px; font-size-adjust: none; font-stretch: normal;"><span style="font-size: small;">因みに我が家(本ページ画像参照)は2000年にドイツの首都Berlin及びBrandenburg州公認の画家Heinrich Gustavの設計により、Deutscher Ritterorden(ドイツ騎士団)の城をモデルにしたBacksteingotik(レンガ・ゴシック様式)で新改築されており、3階建てで部屋数が計11室あります。<br />そして、ドイツを中心とするヨーロッパアンティークのコレクション及び資料を多数所蔵しており、これ等の一部は2003年、其の後2008~2016年まで毎年、徳島県「鳴門市ドイツ館」にて展示して参りました。 <br />故に外観も調度品も地方の小規模な美術館、博物館を凌ぐ位の自信はあります。<br />其の上、防犯設備も充実しております。(とは言え、ここ西大寺の治安は極めて良好です。)<br />又、実家の斜め向いに駐車場を経営し、田舎に於いては農地及び(ボロ)別荘を所有しております。<br />農地は我が友人が耕作してくれる御陰で、我が家では年間180kgの米がただで入りますし、駐車場でガーデニングを嗜んでおります。<br />要するに生活三大要素の「衣」「食」「住」は十分過ぎる位足りているのですが、其の反面、何分人手(家族)不足なのです。<br />其れ故に<strong>上記の条件を満たす美容師の方が住み込み勤務して、最終的には我が店舗の後継者となってくれるのが、理想であり切なる願いなのであります!(我が家の財産と不労所得だけで「帝政時代」の「子爵」「男爵」並みの生活は出来ます。)<br /></strong><br /><br />※追伸:当ホームページと此れ以外の複数のプロバイダーによるホームページ宣伝の御陰で、2018年3月3日時点で、女性30人、男性8人の合計38人の新しい客人が来店してくれました!<br />≪県外からは、東京都(1)、広島県(2)、兵庫県(1)、そして国外からは、ドイツの友人(1)、知人(3)、ブラジル(1)≫<br />更に地元西大寺に戻られた3人の御客さんが2015年9月以来、再来店してくれています。<br />興味深き事に、店舗を経営する我が母上が新しい客人に何処から来たのか尋ねると、何と我が店舗を基準に東西南北全ての方角から来てくれている事が判明しました。<br />2013年後半以来、インターネット上の宣伝が随分効果を生んでくれています。<br />此の事については、宣伝協力してくれているプロバイダー及び御客様方に御礼申したい処です!<br /><br /></span></span><span style="white-space: normal; word-spacing: 0px; text-transform: none; float: none; color: #333333; text-align: left; font: 12px/14px &#39;MS ゴシック&#39;, monospace; display: inline !important; letter-spacing: normal; background-color: #ffffff; text-indent: 0px; font-size-adjust: none; font-stretch: normal;"><strong><span style="color: #ff0000;"><span style="color: #000000;">〒704-8116 岡山市東区西大寺中2-10-16 </span>ビューティシルク美容室<br /></span></strong></span> 【日記】 F.BoucherとTh.Rousseauの絵画を基にした鉄版画と銅版画 Sat, 12 Mar 2022 17:41:05 +0900 2061110 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/2061110 本日5月19日、良く取引をしている京都の古美術商より、フランスのRococo絵画の巨匠Fran&ccedil;ois Boucher(1707~1770年)の絵画を基にJaques Firmin Beauvarlet(1731~97年)が制作した鉄版画"Ansehnte Botschaft"(「待ち望んだ使い」ドイツ製:Druck u, Verlag A.H.Payne Leipzig/Dresden 1840年代後半発行)、及び同じくフランスのBarbizon派の巨匠Th&eacute;odore Rousseau(1812~1867年)の絵画を基にDelauneyが1880年に制作した銅版画"Clairir&egrave;re"(「森の隙間」フランス製:A.Salmon Paris発行)を入手した。<br />本来、当古美術商は専ら着物等の和装、並びに日本の古美術、伝統工芸品を中心に取り扱っているので、今回の様に思い掛けないヨーロッパの古美術品を当店で見付けて購入した事には大変喜ばしき事である!<br /><br />鉄版画"Ansehnte Botschaft"(待ち望んだ使い)は表面に多くの油紙から付着した染みが見られる為、外見の美しさを考慮した上で、余が自らの手で修復した。<br />其の方法とは、先ず食器用漂白剤を付けた筆で染みを除去し、染みが除去されて白くなった部分に、焦げ茶色の色鉛筆で紙の色に合う様に極薄く着色するのである。<br />以前にも余は2001年に我が地元BerlinのAlexanderplatzにて開催されていたWeihnachtsmarkt(クリスマスマーケット)にて購入したF.W.Opitz著の"Heilige Stunden&nbsp;einer Jungfrau"(Verlag von E.Haynel 1875年)(「乙女の聖なる時間」)の挿絵の鉄版画の油染みを水で薄めた食器用漂白剤で綺麗に洗浄した事があるので、躊躇無く作業を進められた。<br />早速、額縁に入れて見たが、修復後の違和感も全く無く見栄えがする様になった。<br /><br />此の版画の題名"Ansehnte Botschaft"は主役の女性が見つめる方向から飛んで来るBrieftaube(伝書鳩)を意味している。<br />Rococo美術では意図的にKurve(曲線)を常に採り入れる事に従って、此の絵も楕円形の画面に曲線によるKomposition(構成)によって描かれている。<br />又、当美術では"L&auml;ndliche Atmosph&auml;re"(田園的雰囲気)が好まれたので、風景の中には女性の傍らに羊と犬がいて、花籠も置かれている。<br />余はBoucherの絵画作品は1987年にParisのMus&eacute;e de Louvreで大量に見たのと、我が地元Bandenburg州の都PotsdamにあるFriedrich大王様の居城であったSans Souci宮殿のGem&auml;ldegalerie(絵画館)更には首都BerlinのGem&auml;ldegalerieに数点あるのをはっきりと記憶している。<br />18世紀のRococoは余の最愛のKunststil(美術様式)であるが故、自分のAtelier(仕事部屋)も此の様式を模倣して形成している。<br />とは言え今回入手した此のドイツ製鉄版画を飾る空間がもう無いので、1階の我が家の事業所の壁に飾っている。<br />余の美術工芸品の収集趣味は未だ止まる事が無いので、我が家は住居としてだけでなく、最早「美術館」としての性質が相当強くなっている様である。<br /><br />Th.Rousseau画伯の作品をいつの日か手に入れる事は余の念願であった。<br />と言うのは1986~87年に開催された巡回絵画展"Exposition du Mus&eacute;e Saint-Denis, Reims"(サン・ドニ美術館名品展)を余が訪ねた折、彼の2点の油彩画"La Mare"(沼地 1842~43年作) "L'Abreuvoir"(水飼い場 制作年不明)に途轍もなき感銘を受けたのであった!<br />其れ以来、余はTh.Rousseau画伯の作品に魅了され続け、機会ある毎にParisのMus&eacute;e d'Orsayを始めドイツや日本の各美術館と特別展にて、彼の作品45点以上を油彩画中心にデッサン、銅版画と目の当たりにして来たのであった。<br />其の都度「Th.Rousseau画伯の作品を我が手元に置けたらどんなに幸せだろうか。」と憧れを抱いたが、彼の油彩画を買い取る等、昔の「公爵」から「伯爵」等の上級貴族、ないしは今日の「超富裕層」位でなければ到底不可能である。<br />辛うじて実家に昔の「男爵」(爵位第5位)程度の資産しかない余にとっては、此の様な銅版画が手に入っただけでも感無量の喜びなのである!&nbsp;<br /><br />参考にTh&eacute;odore Rousseau(ルソー)画伯の略歴を以下の通り記す。<br />1812年4月15日、フランスの首都Parisでブティックを経営する裕福な家庭に生まれる。<br /> J.F.Millet(ミレー)、C.Corot(コロー)、C.Troyon(トロワイヨン)、C.F.Daubigny(ドビーニー)、N.V.Diaz(ディアズ)、V.Dupre(デュプレ)の画家達と共にBarbizon(バルビゾン)村周辺に居住し、近隣の風景を描いた事から"L'Ecole de Barbizon"「バルビゾン派7星」と呼ばれた。<br /> 中でも特にMilletとは生涯の友情で結ばれていた。<br /> 1830年に単身フランス国内を旅行して歩いた事が後の画業に重要な意義を持つ様になる。<br /> 自ら「地方画家」を標榜し、博物学者、民族学者、地質学者の観点から、光と構図と風俗とを充分考慮した絵を描きたいと念願する。 <br />1832年末から&nbsp;Fontainebleau(フォンテーヌブロー)を訪れ、エチュードとデッサンを制作する最中、森の神秘に深く感銘を受ける。 <br />そして彼は「私は樹木の声を聴いた。 其の動きの驚き、形の変化、更には光の持つ特殊な魅力に至るまで、たちまちにして私は森の言葉の啓示を受けた。」と言っている。<br /> 次いでAlpen(アルプス)山岳風景にも感銘を受け、1836年から美術史家Th&eacute;ophile Thor&eacute;-B&uuml;rger(テオフィル トレ・ビュルガー)の勧めでBarbizonに住む事が多くなる。 <br />1836年以来、長い間Salon(官展)で落選を繰り返していたが、1848年「2月革命」以降はSalonに復活し、長い雌伏の後ようやく陽の目を見る事が出来た。<br />更に晩年には日本美術に大層な関心を示したと言われる。<br />人生最後の年1867年には"Regi&oacute;n de Honur"(レジオン・ド・ヌール)勲章(4等・Officier)を叙勲した。&nbsp;<br /><br />こうして額装した2枚の版画を手に取って見ていると、ふとKunstakademie Dresden(ドレスデン国立芸術大学)に於ける我が学生時代(1991~95年)を思い出した。我が母校には校舎が2軒あり、1つは観光地として世界的に有名な"Br&uuml;hlische Terasse 1番地に立ち、ここにはAbteilung Malerei/Grafik(絵画/グラフィック科)とAula(大型企画/準備室)がある。<br />もう1つはG&uuml;ntz Str.34番地に立ち、ここにはStudienangelegenheiten(事務局)、Kunstwischenschaft(学術), Bh&uuml;nengestaltung(舞台芸術), Gem&auml;lderestaurierung(絵画修理), Maskenbildnung(仮面美術)等の学科、並びにBibliothek(図書館), 所謂 Kupferstichkabinett(銅版画室)が配置されている。<br />此のKupferstichkabinettでは16~20世紀のヨーロッパ絵画の巨匠達の膨大な数の版画(銅、鉄、石)、素描(デッサン、クロッキー)、水彩画、等が所蔵されており、当校の学生はこれ等を手に取って見る事が出来るのである。<br />余も学生時代には度々此のBibliothek(図書館)及び Kupferstichkabinett(銅版画室)を訪ね、数多くの巨匠達の作品、そして歴史的図書を閲覧させてもらった。<br />一般的には美術館で展示されている作品群を鑑賞する事は出来ても、作品を手に取って見る事までは容易には出来ない。<br />そう言う意味では大変有意義な経験をさせてもらったと今でも尚思えるのである。<br /><br />更に5月20日、東京の古書店よりフランス製の画集"L'Univers de Th&eacute;odore Rousseau"(H.Spr&eacute;pel社・1976年)が届いた。<br />此の図書には彼の油彩画以外の技法(例:鉛筆、クレヨン、パステル、インク、水彩、グァシュ)によるEtude(習作)作品計35点が収録されている。<br />余はRousseau画伯の単独の画集は予てより長年に渡って探していたのだが、今まで全く見つける事が出来なかった。<br />そこで多数の美術書や購入した"Ecole de Barbizon"の展覧会の図録の中から彼の作品の画像をコピーしてファイルブックに整理して集めていた。<br />其れ故に此度入手した画集は残存数が少ない上に既に絶版になっているので、ある意味では希少価値があると考えられる。<br />同時期に大好きなRousseau画伯の銅版画と画集が手に入ったので、我が喜びは倍増したのである!<br />余は歴史的な美術工芸品を入手する度に、其のK&uuml;nstliche Sch&ouml;nheit(芸術的な美)を楽しむだけでなく、其れ等が制作された遥かなる時代に憧憬の念を感じるのである。<br /><span style="font-weight: bold;"><span style="color: #ff0000;"><span style="font-weight: bold;"><span style="color: #ff0000;"><br />Kunstmarkt von Heinrich Gustav   <br /></span></span></span></span><span style="color: #000000;">All rights reserved</span> 【日記】 版画「東海道五十三次」の事、浮世絵師・安藤広重の生涯 Sat, 12 Mar 2022 15:33:20 +0900 2213469 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/2213469 2022年3月8日、大阪の古美術商から余の最愛の浮世絵師・安藤広重殿原作「東海道五十三次」の内、第17番「由比・薩埵嶺」並びに第19番「江尻・美保遠望」の手摺りの版画が届けられた。<br />此の2点の作品は「東海道五十三次」の中でも特に余が気に入っている駿河の山水のある美しい眺望を描いた風景画である。<br />更に同月10日には同様に第1番「日本橋・朝之景」と第55番「京師・三条大橋」が届けられた。<br />第1番は「東海道五十三次」の中で最も有名な作者の地元・江戸の風景で、55番は東海道の大尾(締め括り)の京都を描いている。<br />尚、これ等の作品は題名こそ「五十三次」となっているが、実際の作品数は計55点ある。<br />余は此の作品の紙の保存状態からして平成時代の初期頃に制作されていると推定するのだが、これ等の制作法は絵師・広重殿の(江戸)時代とほぼ同じ手法、即ち「絵師」が原画を描き、其れを元に「彫師」が木版を造り、其れを「摺師」が顔料を載せて「ばれん」で摺って印刷する手順で仕上げている。<br />流石に江戸時代以来の伝統の手摺の版画は、機械で印刷した画像とは全く異なる天然顔料の「色合い」、独特の深みのある「味わい」、そして手作りの「温もり」がはっきりと感じられる。<br />又、此の2点の版画の表面を触ってみると、紙を版木に押し付けて摺る事によって出来る凹凸が認められるのである。<br />余は広重殿の画集「東海道五十三次」、「木曽街道六十九次」、「名所江戸百景」(全て集英社)、「富士三十六景」(二玄社)、及び絵葉書「近江八景」を所蔵している。<br />いつもの好奇心で此度入手した版画と此の画集の同画像4点とを比べて見ると、色や細部に僅かに違いがあるが、広重殿の原画を忠実且つ見事に再現していると評価出来るのである。<br /><br />余が広重殿の作品を初めて知り、興味を持ったのは早くも7歳の頃である。<br />其のきっかけと言うのは、何とあの「永谷園」が製造販売しているインスタント茶づけ(ふりかけ)に同封されていた「東海道五十三次」のカードなのである。<br />流石に余も当時は小学校1年生であったので、後に習得する美術理論、歴史、地理、等の学術的知識はまだ無かったが、少年なりの感性でこれ等の小さなカード(14.3&times;6.3cm)に印刷された広重殿の作品を見て興味、感銘を受けて集めていたのを今でもはっきりと覚えている。<br />僅か3歳の頃より絵を描き始めて天性の才能を発揮していた余が広重殿の作品を斯(か)くも早く知り、彼の作品が余を画家への道へ誘い(いざな)、そして後の余の代表作Berlin, Brandenburg, Ost,West-Preu&szlig;en, Pommern地方の名所・文化財の連作を生み出すInspiration(ひらめき)の原点にまでなったのである。<br />因みにこれ等のカードは「永谷園」が1965年に初版を発行して以来、高い人気を得て、「浮世絵シリーズ」(安藤広重、葛飾北斎、喜多川歌麿、東洲斎写楽)のみならず洋画の「印象派シリーズ」(E.Manet, P.C&eacute;zanne, E.Degas, G.Seurat, A.Renoir, V.v.Goch, P.Gauguin)、「竹久夢二」、「日本の祭り」までもが発行され、実に1997年まで続いた多種多様な大変息の長い「おまけ」であった。<br />そして民間からの要望に応えて、2016年11月より広重殿の「東海道五十三次」のみが再発行されている。<br />此れ以外にも郵便分野に於いて特殊切手「国際文通週間」の図柄として、広重殿の「東海道五十三次」の図柄が採用されているので、余も切手コレクターの1人として約30枚所有している。<br /><br />扨、是より浮世絵師・安藤広重殿の生涯について書き記して行く。                    <br />広重殿は寛政9年(1797)に江戸の八代(やよ)洲(す)河岸(がし)定火消(じょうびけし)同心(どうしん)・安藤源右衛門の長男として生まれた。            <br />本名は安藤重右衛門と称した。 <br />文化6年(1809)2月、母上が御逝去され、同月に父上が隠居されて、僅か数え13歳になった時に家職を継ぐ事になるが、同年12月には父上までもが御逝去された。 <br />幼少の頃より絵がお好きで才能を表し、絵師・歌川豊広(1774~1829年)の元に入門される。  <br />翌年(1812)に師匠の苗字(芸名)と自分の名をそれぞれ採って「歌川広重」の名を与えられ、文政元年(1818)に一遊斎の号を称して絵師として世に出られた。                <br />文政4年(1821)には同じく江戸の火消同心・岡部弥左衛門の娘と御結婚された。<br />文政6年(1823)には、養祖父(安藤家方の)嫡子・仲次郎に家督を譲り、御自身は「鉄蔵」と改名し其の後見となられたが、まだ仲次郎が若干8歳であったので引き続き火消同心職の代番を勤められた。<br />本業の絵画制作に於いては先ず「役者絵」から始め、やがて「美人画」も手掛ける様になるが、文政11年(1828)師匠の豊廣の没後は彼の根幹主題となる「風景画」を主に制作する様になられた。   <br />天保元年(1830)画号「一遊斎」から「一幽斎廣重」と改められ、「花鳥図」をも描かれる様になる。天保3年(1832)、家督を継がせた仲次郎が17歳で元服したので正式に同心職を譲り、絵師に専念する事が出来る様になった。                                   <br />此れを機に「一立齋」(いちりゅうさい)と画号を改め、又は「立斎」とも号した。                                       <br />入門から20年以来、師匠は豊廣だけであったが、此の頃大岡雲峰に就いて「南画」を修めている此の天保3年(1832)に公用で東海道を旅し、絵を描いたと伝えられる。               <br />(現在の研究では此の事は疑問視されている。)                                         <br />翌、天保4年(1833)から代表作「東海道五十三次」を発表され、江戸にて大人気を博される。                             <br />此れにて広重殿の風景画家としての名声は決定的な物となった。<br />翌年以降も種々の「東海道」シリーズを発表された。                       <br />天保6年(1835)には「近江八景」を発表。                         <br />天保9年(1838)から翌年にかけて「木曽街道六十九次」の制作を進められたが、途中より1841年頃まで一時中止の時期はあったものの天保13年(1842)に完成させた。(此の画集の内45点が広重殿による作品である。)                                     <br />安政元年(1854)に発生した「安政東海地震」、更に立て続けに、翌、安政2年(1855)に発生した「安政江戸地震」によって江戸の町は壊滅的な損害を被った。<br />此の大惨事により多くの江戸の住人達が困窮と絶望に打ちひしがれていたのを目の当たりにした広重殿は、地元の人々を勇気付けようと安政3年(1856)に「名所江戸百景」を制作し発表された。 <br />此の翌年以降も各種の「江戸名所」シリーズも多く手掛けられており晩年の代表作となった。<br />更には短冊版の「花鳥画」に於いても優れた作品を出し続けられ、其の他、肉筆画(肉筆浮世絵)、歴史画、張交絵、戯画、玩具絵、摺物、団扇絵、双六、絵封筒、そして絵本、合巻や狂歌本等の挿絵も制作されている。                                         <br />これ等の肉筆画、印刷された作品を合わせると総数で約2万点にも及ぶと言われている。                             <br />安政5年(1858)には最後の作品集「富士三十六景」を発表され、同年の旧暦9月6日(新暦10月12日)享年62歳で其の生涯を閉じられた。 死因はコレラであったと伝えられている。                 <br />広重殿の墓所は東京都足立区伊興町の「東岳寺」にあり、法名は「顕功院徳翁立斎居士」と称する。<br /><br />興味深き事に画家としての広重殿と余を比較してみると、実に多くの共通点が見出されるのである。<br />第1に<strong>互いに「士族」出身である事</strong>: 広重殿は江戸の定火消同心・安藤家の生まれ、余は源義仲公の実の妹・宮菊姫の流れを汲む奧山家、親族にも同じく源氏の流れを汲む小西家、讃岐の国の大名・蓮井家、松平、高松藩、家老職・市森家、等がある。<br />第2に<strong>幼少の時に父親が他界している事</strong>: 即ち広重殿は13歳の折、余は10歳の折である。<br />第3に<strong>御互いに一国の首都で活躍した事</strong>: 広重殿は江戸(現在の東京)、余はBerlin(ドイツの首都)である。<br />第4に<strong>根幹主題が風景画である事</strong>: 広重殿は江戸を中心とした日本各地の名所の連作、余はBerlin, Brandenburg, Ost,West-Preu&szlig;en, Pommern地方、其の他ドイツ各地の名所・文化財の連作をそれぞれ描いている。<br />第5に<strong>御互いに使っている絵の具に共通の顔料がある事</strong>: 其の名は広重殿の時代には「べろ藍」、余の油絵の具はドイツ語で&rdquo;Preu&szlig;isch Blau&rdquo;と呼ばれる。<br />実は広重殿が空や水の表現に使っていた此の「べろ藍」は元々Berlin(当時は&rdquo;Preu&szlig;en王国の首都)で発明された藍色の顔料の事で、日本に初めて輸入された時には「ベルリン藍」を短縮して「ベル藍」、更に此れがもじれて「べろ藍」となった次第である。<br /><br />実際の言い伝えによると、広重殿の人柄は教養豊かにして、行儀良く、言葉丁寧で、謙虚で人当たり良く、几帳面で、節度ある規則正しい生活を営まれたていたそうである。<br />此れに対し同世代の浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849年)が傲慢で不摂生でだらしない(場合によっては淫らな)不安定な生活をしていたらしい。<br />要するに此の2人の「天才」は人格に於いても生活態度に於いても正に対照的であったと言える。<br />本来なら医学的理論からは、広重殿の様な生活習慣を採っている方が長生き出来るのだが、実際の処、北斎は放蕩生活をしていたにも拘わらず、何と89歳まで生き延びたのであった。<br />「人間(人生)五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如く也。」と言った時代からすれば、驚異的な「大往生」であったと言える。<br />此れ又言い伝えによると、広重殿が北斎の才能と作品に感銘を受けて、自ら本人を訪ねて行った時、広重殿が丁寧に挨拶と自己紹介をすると、無礼にも北斎はいきなり広重殿に筆を投げ付けたそうである。<br />此の北斎の広重殿に対する態度を心理学的に分析してみると、37歳も年下であった広重殿を見下したのではなく、其の才能に脅威を感じていたのかも知れない。<br /><span style="text-decoration-line: underline;"><br />芸術家を評価するに於いて、其の作品は最も大事である事は言うまでもない。<br /></span><span style="text-decoration: underline;">しかし芸術家の人柄や生き方も大事な要素である</span>と余は思うのである。<br />「<strong>絵は人也</strong>」(絵画は作者の人格を反映する)と言う格言がある様に、Kunstpsychologie(芸術心理学)と云う芸術作品に秘められた芸術家のPsyche(心理)、Pers&ouml;nlichkeit(人格)、Idee, Meinung(思想)、Emotion(情念)、其の他を分析、解析する学問がある位である。<br />此の学術を習得する事によって、芸術作品をVisuelles Element(視覚的要素)だけで観察するのみならず、Geistiges od, spirituales Element(精神的要素)も一緒に把握出来るのである。<br />余自信も我が母上から「人間の能力も大事だけれど、人柄はもっと大事よ。」と何度も教えられているし、かつて広島カープの「黄金期」の主力選手で「国民栄誉賞」受賞者である衣笠祥雄氏も、其の著書「限りなき挑戦」の中で「ぼくはプロ野球選手は、プレーヤーである前に、まず健全な人間であれ!と叫びたいのである。グラウンドでどんな大記録を作っても"人間失格"ではぼくは価値が無いと思う。」と書かれている位である。<br />では、此の様な事を書く余の人柄とは如何なる物かと言うと、「高慢な自惚れ屋」である事以外は、人柄や生き方に於いても広重殿と共通しているのである。<br /><span style="color: #ff0000;">&nbsp;<br /><strong>Kunstmarkt von Heinrich Gustav</strong></span> <strong> </strong>All rights reserved 【日記】 西洋美術史の中の人間の理想像   Sat, 23 Oct 2021 13:02:52 +0900 671185 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/671185 人間の理想像は其の美的感覚と密接な関係で結びついている。<br />其の美的感覚とは&ldquo;Fashion&ldquo;(ファッション)の流行と類似していて、常に時代と其の思想並びに精神と共に変動する物であって、時代毎に大きな違いが見られる。<br /><br />ヨーロッパの美術史の中で例を挙げれば、<strong>Gotik(ゴシック)</strong>時代(1120~1430年頃)にはキリスト教の教義の元に世の中は神を中心に動いていた故、宗教上の戒律及び規制により人間の裸体の表現は、聖書神話中のキリスト像位に制限されていた。<br />又、此の時代に於いてヨーロッパ諸国は、当時世界の文明を先駆けていたアラビア等のイスラム教諸国に比べて立ち遅れていた。<br />医学の学術及び技術も同様に宗教上の戒律及び規制により遅れていた為、人体に関する解剖学的な研究も進んではいなかった。<br />其れ故に当時の美術の中では、人物は乏しい解剖学的知識によって稚拙で平板な体格に描かれていた。<br /><br />しかし次に到来する<strong>Renaissance(ルネッサンス)</strong>時代(1430~1600年頃)には『文芸復興』の言葉の如く、時代精神及び思想は宗教による束縛から解放され、此れに代わって人間を中心とした芸術や哲学、其の他の学問、技術が目覚しく発展して行った。<br />其の上、地理学、物理学及び交通手段の発展により、国際的な交流、交易も盛んになった。<br />同時に医学も目覚しく発展した事によって、初めてヨーロッパに於いて人体に関する解剖学的研究が進歩して行ったのであった。<br />此の時代では充実した解剖学的知識により人体は絵画、彫刻に於いて中世時代とは比較にならない程、正確に表現されていた。<br />又、当時は古代ギリシャ彫刻を手本とした均整の取れた体格が理想として追求されていた為、人体は「8頭身」等の様に実際より理想化して表現されている例が多かった。<br />又、<strong>絵画の理想的な寸法「黄金比」(1:1.6)</strong>が定着して行った。<br />此のイタリアから発祥したRenaissance『文芸復興』によってヨーロッパ諸国は世界の文化、文明両方に於いて頂点に到達したのであった。<br /><br /><strong>Barock(バロック)</strong>時代(1600~1740年頃)には『宮廷』(貴族)と『教会』(僧侶)が結びつく事によって権力と富を独占し、其の結果芸術は専ら王侯貴族及び僧正の権力と富の宣伝道具として、大規模で壮麗な物になった。<br />極端な例を挙げると、人体は絵画、彫刻に於いて「等身大」はおろか実物以上に大きく描かれる事もしばしばであった。<br />此の時代の芸術は「迫力」や「壮大さ」を追求していた事から、モデルは極端に肉の付いた体格の30代の年齢が好まれていた。<br /><br /><strong>Rococo(ロココ)</strong>時代(1740~1800年頃)にはBarock時代の反動から各芸術作品が小規模になり、「優美」「軽快」「享楽」の性質が如実に現れた。<br />Renaissance及びBarock時代では芸術的な思想、理念が様式と強く結び付いたのに対し、Rococoは専ら"Dekorations Kunst"(装飾芸術)としての性質が強かった。<br />同時に当時の「風変わり」「幻想」「夢想」「異国趣味」等の発想は当時の貴族の享楽的な感覚を反映していた。<br />又、人体のモデルとしては成熟しきっていない10代後半の年齢が好まれた。<br /><br /><strong>19世紀</strong>に入ると「市民革命」及び「産業革命」によってヨーロッパ社会では貴族と教会の絶対的権力は薄れ、所謂「自由」「平等」「博愛」の精神が誕生し、同時に『産業革命』によって著しく文明の近代化が進んだ。<br />此の時代の人体表現は、再び均整の取れた体格を理想として表現するHistorismus(歴史主義)か、人体を理想化せずそのまま写実的に描写するRealismus(写実主義)、又は光と色彩に重点を置いたImpressionismus(印象主義)かのいずれかであった。<br />美術史全体で見ると絵画、彫刻のモデルは往々に女性はGlamour(豊満な)、男性は筋肉質な肉体が「理想像」として扱われている。<br />しかし此の世紀の後期(1880年頃)になると1839年に発明された「写真技術」が普及し、人々の理想像は画家や彫刻家が創り出した理想像から実存する人間像へと変貌して行った。<br /><br />そして<strong>20世紀</strong>に入っても二度に渡る世界大戦を通じて、人体の理想像は前記の19世紀後期の美的感覚がほぼ継承されていた。<br />しかし「第二次世界大戦」(1939-45)が終結して1950年代から人間の理想像は流行と共に目まぐるしく変化して行った。<br />例えば1950年代から60年代は相変わらず女性はGlamour(豊満な)、男性は筋肉質な肉体が好まれ、70年代には逆に男女共に華奢で引き締まった体格が流行した。<br />80年代になって民間でもFitness Exercises(健康管理の為の体操)が盛んになり、其の結果再び男性は筋肉質、女性はGlamour(豊満な)肉体がもてはやされる様になった。<br />此の頃から欧米諸国では俳優やモデルでも定期的にスポーツジムにてトレーニングをして健康で美しい体形を維持する事が常識になっている。<br /><br />前述の通りRenaissance時代(15世紀)以来、美術界では理想の人体のProportion(均整の取れた比率)として所謂「8頭身」が定着していた。<br />ところが実際は余の様な芸術家以外にも、医学の専門家達の中ではこの定義を否定する方々が多い。<br />余は特別受講生としてMedizinische Akademie Dresden(ドレスデン国立医学大学)で学んでいた時、担任の外科医P.F&auml;hrmann先生と此の事について話し合ったのだが、先生も「8頭身」を非現実的な理想として否定されていた。<br />先ず歴史的に考察しても、Renaissance時代(15世紀)のヨーロッパの成人男性の平均身長は165cm程で、第二次世界大戦頃のヨーロッパの成人男性の平均身長ですら173cm程であった。<br />平均身長が格段に伸びた現代人でさえ、まして平均身長世界一と言われるオランダ人男性ですら「8頭身」を満たすのはかなり難しい。<br />例えば頭長が25cmある人が「8頭身」になる為には2mの身長が必要とされる。<br />比較的体の小さい日本人女性ですら平均頭長が23cmあるのだから、身長184cmになるのは非常に厳しい。<br />故に余は個人的に<strong>理想の人体のProportionとして男性7.5頭身、女性7.0頭身</strong>と定義付けたのである。<br />此の定義にはF&auml;hrmann先生も全面的に同意してくれた。<br /><br />Renaissance時代(15世紀)からRococo時代(18世紀)頃までの画家達が女性の裸体を描く為に、女性のヌードモデルを調達する事は決して現代程容易ではなかった。<br />何故なら此の時代は道徳及び風紀上、女性が安易に其の裸体を晒す事は淫らで不謹慎であると考えられていたし、美術学校や美術工房がが専属ヌードモデルを抱えている事も殆ど無かったからである。<br />其の為、当時の画家、彫刻家達は個人で(大抵の場合は自分の家族、親族、友人の範囲内にて)ヌードモデルを見つけるか、そうでなければ男性のヌードモデルで代用して、女性の裸体らしく表現し変えなければならないのであった。<br />又、日本や中国に代表されるアジア絵画に比べてヨーロッパ絵画には裸体を描いた作品が多い事に疑問を感じる人がいる様だが、其の最たる理由の一つとして所謂&ldquo;K&ouml;rperkult&ldquo;(肉体崇拝)の理想が挙げられる。<br /> 此の理想は元来古代ギリシャ、ローマの美術と美学から起因しているのだが、Renaissance時代(15世紀)よりヨーロッパ各国に普及する様になった。<br /> 白人は其の他の人種に比べて、男性は筋肉質、女性はGlamour(豊満な)体格であると云う肉体的な優越性をおのずから強調する事になったのであろう。<br /> 奇妙な表現ではあるが、此の傾向はRassistischer Narzi&szlig;mus(民族的自己愛)とも解釈出来る。<br /><br />扨、余の母校Kunstakademie Dresden(ドレスデン国立芸術大学)に於ける学生時代の実技の授業について記すのだが、本場ヨーロッパの芸大ではギリシャ、ローマ神話の神々を模った、又は過去の大家の彫刻作品を模倣した石膏像を描く事は最早行われていない。<br />そうではなくて、生きたヌードモデルを見て描く事が主流であった。<br />即ち理想化された偶像ではなく、生身の人間を直に描くと言った現実肯定的な方針なのである。<br />とは云うものの余は個人的に魅力を感じないモデルを目の当たりにしても、とてもではないが制作意欲は起きなかった。<br />其れ故に余は学校から与えられたヌードモデルを描く事を一切拒否して、自分で選んだ風景や建築物や静物ないしは医学大学の解剖実習の授業内で解剖された人体を描いていた。<br />又、余はヌードモデルをしているGlamour(豊満な)体格の処女にこそ大層魅力を感じるが、其の反対に見るからに不潔、不純そうな阿婆擦れ女、清純そうな振りをしている売女まがいの女には軽蔑の念しか湧かない。&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br /><br />人間の本来の姿は「裸体」なのであるが、他の哺乳類の様に毛に覆われている訳ではないので、人間は地球上で唯一、衣服や装飾品を身に着ける生物である。 <br />故に人間の生活文化の中でのみ多種多様な衣服、装飾品が&ldquo;Fashion&ldquo;として長い歴史を通じて発明、発展して行った。&nbsp;&nbsp;&nbsp;<br />心理学的に観察しても、衣服や装飾品はこれ等を身に着ける人の&ldquo;Pers&ouml;nlichkeit&ldquo;(人格、人間性)を象徴する品物であると言っても良い程である。&nbsp;&nbsp;<br />美術史の分野に於いても、各時代の様々な衣服や装飾品が当時の絵画、彫刻、等で描写されている事を、歴史的資料として研究している。<br /> 又、余の個人的な美学理論の上では、「<span style="text-decoration: underline;">真に容姿の美しい人間とは、衣服、装飾品、化粧、等の助けを借りずとも、素顔、素裸の状態で美しい者である</span>。」と断言出来るのである!<br /><br />世界各国の心理学者が統計を取った処によると、長続きする恋人や夫婦の間の身長の差は、どこの国でも平均約13cm程、男性が女性より高い事が判明している。<br />即ち男女共に無意識に其の位の身長差のある相手を求めているという事なので、男女間の理想の身長差は13cm程であると定義付ける事が出来る。<br />今日まで、体型とPersonality(人間性)の関係を研究した心理学者は数多いが、近年では異性の体への興味のあり方と人間性の関係についての研究が進んでいる。<br />此の研究主題の実用例として、かのアメリカの有名男性誌Playboyの中に、(男性)読者の恋人を当雑誌社が探し出して紹介してくれると云う特設サービスがある。<br />其の方法とは、雑誌に多くの女性の顔写真及びビキニを着た全身写真を載せて、読者が好みの女性の写真にチェックマークを入れて、Playboyの此の特設サービス編集部に送付すると、当雑誌社に登録された人達の中から、読者が好みの女性に容姿の似た同系統の女性を紹介してくれる言う具合である。<br />何と此の特設サービスで出会った男女は、恋人関係から目出度く結婚まで漕ぎ着けた例が多いのである!<br />此の事から、男女関係にはCharakter(性格)よりも、寧ろSexuality(性)の好みが一致する事の方が重要であると考えられる。<br /><br />人間は誰しも自分自身が出来る限り美しくありたいと願う。<br />同時に自分の相手(友人、恋人、配偶者)に対しても出来る限り魅力のある人である事を望む。<br />其の為に「人間の理想像」を個々に抱いているものである。<br />希に理想の人間像を特に持たない人がいるが、こう云った人は何でも安易に妥協してしまうので、自分を向上させる事も、理想の人に決して巡り会う事も出来ないのである。<br />其れとは逆に特定の人間を余り理想化すると、其の人の本来の人間像が正しく見えなくなり、遂には「実像」ならぬ「虚像」に成り変るので危険であると言う考え方もある。<br />確かに「現実」を直視し、且つ肯定する事は成程大切ではある。<br />しかし、余は思うに<strong>人間は「理想」と言う物があるからこそ、其れを目指して追求なり努力なり続けて、自分を向上させて行く事が出来るのではなかろうか。<br /></strong><br />余自身もウェイトトレーニング及び格闘技の練習を長年続ける事によって、自らが理想とする健康で美しい体形を維持する事に努めている。<br />其の甲斐あって古代ローマ神話の戦争と軍隊の神Marsの様な肉体(スリーサイズ、B:105、W:68、H:93(cm)身長:173cm、、上腕周り:37cm)を維持している。(此の事は自他共に認める事なので、ただの自惚れと言わないでもらいたい。)<br />其れが評価されて、余は我が母校Kunstakademie Dresdenで学生時代に御世話になった当時の学部長で画家のC.Weidensdorfer先生、及び大阪出身の我が親友の似顔絵描きの地本さんに余の水着姿の写真をモデルに絵を描いて頂いた事と、広島県のある彫刻家の方の依頼でヌードモデルを(水着を着用して)務めた事がある。<br />此の御三方によると、芸術分野ではボディービルダーまで筋肉が着くと、最早美しいを通り越して気持ち悪いと見なされ、絵画や彫刻の男性ヌードモデルはボディービルダーの一歩手前位が理想なのだそうである。<br />(いつもの如く己惚れる様だが)芸術的且つ美学的感覚からは、余はどうやら理想的なヌードモデルらしい。<br /> 其の様に認めてくれた事を余は大層光栄に思えるのである!&nbsp;&nbsp;<br /> 余は自分の顔が「彫りが深い」とか「端正で美しい」とか「女性的な美しさを感じる」等と褒められる事を成程嬉しく思うのだが、其れ以上に自分の超筋肉質な肉体を褒めてもらえる事には更なる喜びを感じるのである。<br /> 何故なら<span style="text-decoration: underline;">「美しい顔」とは生まれながらに授かった幸福なのだが、「超筋肉質な肉体」とは自分の<span style="font-weight: bold;">意思</span>と<span style="font-weight: bold;">理想</span>と<span style="font-weight: bold;">努力</span>で鍛え上げた、言わば芸術家が作り上げた作品の様な物なのである。&nbsp;<br /><span style="text-decoration: underline;">即ち其れを称賛される事は、肉体美のみならず自分の<span style="font-weight: bold;">意思</span>と<span style="font-weight: bold;">理想</span>と<span style="font-weight: bold;">努力</span>をも称賛される事に繋がるからである。<br /><span style="text-decoration: underline;">誠に自分の思い描いた「理想」が「現実」になったら、此れ程大きな喜びと幸せは無いのではなかろうか!</span></span></span><br /><strong><span style="color: #ff0000;"><br />Kunstmarkt von Heinrich Gustav   </span></strong><br />All rights reserved 【日記】 服飾史の中の"Sexy Lingerie"と"Bikini"の起源と色彩効果 Thu, 07 Oct 2021 01:34:17 +0900 925939 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/925939 今回は服飾の歴史の中の"Sexy Lingerie"と"Bikini"の起源について書き記す。<br />日本で「セクシーランジェリー」の名称で通っている此の種の下着の事を、英語圏では&rdquo;Erotic&nbsp;Lingerie"とも表現する。<br />一般人の殆ど全ての人が「こんな下着は20世紀後半の産物だ。」と思われているかも知れない。<br />しかし実は紀元前の「古代エジプト」と「古代インド」では既に"Sexy Lingerie"に相当する衣装が日常で着用されていたのである。<br />然も其れは「下着」と云う概念ではなく、当時の&ldquo;Fashion&ldquo;(ファッション)の一環としての装いだった様である。<br />言うまでも無くエジプトやインドは温暖地域に属する「常夏の国」であるが故、一年を通じて殆ど裸で生活しても健康上の問題は無かった。<br />日本や中国では古来より肉体を衣服で覆い隠す文化であったのに対し、古代インド、エジプト、ギリシャ、ローマ等の温暖地域の古代文明では、寧ろ「肉体美」に人間の優越性を追求し、其れを誇示する文化であった。<br />フランスParisのMus&eacute;e du Louvre、ドイツBerlinの&Auml;gyptisches Museum、そしてオーストリアWienのKunsthistorisches Museum等、  ヨーロッパの主要美術館で、余が直接古代エジプトの出土品群に属する彩色された彫刻、レリーフ等を見ても、当時の衣装は腰簑(スカートの様な衣類)か、体の外線がくっきり出る程薄い物であったのが認識出来た。<br />又はイギリスのテレビ局BBCの衣装担当チーフ・デザイナーのJohn Peacock氏の著書"The Chronicle of Western Costume"の中で、古代エジプトの衣装の再現図を見ても、体が透けて見える現代のシースルーの様な薄い衣服が殆どで、それどころか王侯貴族の若い女性に至っては乳房を露わにしていた様である。<br />日本で原始仏教学と古代インドの考古学の権威であり、文化勲章叙勲者でもある中村元先生の著書「古代インド」や「原始仏教・その思想と生活」の中にも、当時彼らは衣服を殆ど持っていなかったと云う事が記述されている。<br />古代インドでは古代エジプトより更に露出度が高く、王侯貴族の若い女性でも腰簑か褌の様な衣類と宝石、貴金属で作った耳飾り、首飾り、腕輪、足輪、等の装身具だけ身につけて、殆ど裸の出で立ちだった様である。<br />「肉体美」を誇示する文化であるだけに、古代インドでは当時から日常生活に於いて"Yoga"の体操や薬草の食事を採り入れて、美しい体形を維持する事に専念していたらしい。<br />当時の証拠として、インドの<span style="color: #000000;">Mathura</span>, Ahicchatora, Pauni, SanchiやスリランカのSigiriya等で発見<span style="color: #000000;">されている</span>原始仏教の彫刻、レリーフ、壁画には、当時の風俗や服装が正確に表現されている。<br />これ等の古代文明の&rdquo;Erotismus"(性的魅力)を含んだ服飾文化は、ヨーロッパで1430年頃に始まった&rdquo;Renaissance&rdquo;(文芸復興)から現在に至るまで白人社会にある程度受け継がれ、長い時代を経て遂には"Sexy Lingerie"のデザインへと進化したと考えられる。<br /><br />更にSexy Lingerieに類似したBikini(ビキニ)についても言及するのだが、此の水着は1946年7月1日のアメリカ軍によるBikini環礁に於ける水素爆弾の実験から4日後の7月5日に、ファッションデザイナーJacques Heimと自動車技師Louis R&eacute;ardによってフランスで発表された。<br />其の露出度の高い最新の水着が、水爆の様な衝撃を世間に与えた事から、此の環礁の名が付けられた。<br />しかし、古代ローマの服飾文化の歴史を調べてみると、何と紀元前500年頃には、女性の踊り子達が革製のBikiniそっくりの衣装を身に着けて踊っていたのである。<br />此の情景がイタリアのSicilia島にある&rdquo;Villa romana del Casale&rdquo;のモザイク画に描かれている。<br /><br />イギリスの服飾史家James Lavorが其の著書&ldquo;Taste and Fashion&rdquo;(1937年)の中で、服装の流行の変遷について以下の法則を提唱している。                    <br />流行の10年前:indecent(下品)                                    流行の5年前:shameless(恥知らず)                                    流行の1年前:daring(大胆な)                                       流行の年:smart(格好良い)                                     流行の1年後:dowdy(みすぼらしい)                                    流行の10年後:hideous(醜い)                                    流行の20年後:ridiculous(滑稽な)                                    流行の30年後:amusing(面白い)                                    流行の50年後:quaint(古風で趣のある)                                  流行の70年後:charming(魅力的な)                                   流行の100年後:romantic(ロマンチックな)                                  流行の150年後:beautiful(美しい)                                 <br /><br />Sexy LingerieもBikiniも共に年代が進むに連れてデザインも次第に大胆なまでに露出度が高まり、遂には"G-string"や"Micro Bikini"にまで進化して、愛好家達に認められている。 <br />詰まり両方共に此の「Lavorの法則」に該当すると言える。<br />これ等の欧米諸国(白人)の「肉体美」を誇示するファッション感覚は、古来より「慎み」や「廉恥」を美徳として来た日本人には長い間受け入れ難かったかも知れないが、現在では「肉体美」を見せつける文化は日本でも一般的に認められて来ている様である。<br />言うまでも無い事だが、人間は地球上で唯一、衣服や装飾品を身に着ける生物である。     <br />故に人間の生活文化の中でのみ多種多様な衣服、装飾品が&ldquo;Fashion&ldquo;として長い歴史を通じて発明、発展して行った。<br />心理学的に観察しても、衣服や装飾品はこれ等を身に着ける人の&ldquo;Pers&ouml;nlichkeit&ldquo;(人格、人間性)を象徴する品物であると言っても良い程である。<br />心理学者で千葉大学教授の多湖輝先生は其の著書「深層心理術」の中で、「人間は、裸、つまり本当の自分を隠すために衣服を着ているつもりである。 しかし実は何かを着るという事で、逆に自分をさらけ出す事になっているのである。 と言うのは、その人が自分で選んで身につけた衣服は、裸の肉体からはうかがい知る事が出来ない、その人の心の内側を表現しているからである。」と書き記されている。 &nbsp; &nbsp; &nbsp;<br />更に多湖先生は同著書の中で、以下の様な「服装による深層心理術の実用例」を挙げている。     &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;<br />*社会通念に反した服装をする人は、強烈な優越感を持っている。    <br />*極端に派手な服装をしている人は、自己顕示欲・金銭欲が強く、ヒステリー性格である。      <br />*地味な服装の人は、体制順応型で主体性に乏しい。   <br />*自分の嗜好と関わりなく、ひたすら流行を追う人は、自信・個性が無く、孤独感・空虚感がある。<br />*流行に全く無頓着な人は、個性は強いが、協調性に乏しい。<br />*会う度に服装の好みが変わっている人は、情緒不安定で、現実逃避の願望が強い。&nbsp; <br />*服装の好みが突然変わるのは、心境の変化もしくは新しい決意を抱いている場合が多い。<br /><br />其れとは逆にある特別な衣服や装飾品が、身に着ける人の &ldquo;Pers&ouml;nlichkeit&ldquo;(人格、人間性)に著しい影響を及ぼす事もある。 <br />かのフランスの皇帝にまで上り詰めたNapoleonは「人は其の制服通りの人間になる。」とも言っている位である。<br />例えば、戦爭中では社会にいる時は虫も殺せない程気の優しい男が一度(ひとたび)軍服を着て戦場に赴くと、平気で破壊や殺戮をやってのける様になるし、又、平和な時代では肉体は豊満だが恥ずかしがりの女子が、一度(ひとたび)グラビアアイドルとしてBikiniを着て撮影をする様になると、自分の肉体に自信を持って誇示する様にまでなる、と言った具合である。                                    <br />Sexy LingerieやBikiniについて更に心理分析すると、これ等を好んで身に着ける人とは、衣服による制限から自分を解放して、自由奔放に振る舞いたいと云う欲求、そして殆ど裸に近い姿で異性を魅惑したいと云う目的がある以外に、自分の裸体に見惚れる様な相当にNarzissmus(自己愛)の強い性格である、又は場合によっては「性的欲求不満」を満たす為にこれ等を着用しているとも推測出来るのである。<br /><br />カタログ等でSexy LingerieやBikiniのモデルになっている人を観察すると、これ等の似合う人にはどの様な特徴があるかは一目瞭然である。<br />先ず男女共に美しい顔である事、そして女は豊満(特に胸や臀部に肉付きの良い)、男は筋肉質な体形である事、其の上肌が綺麗である事である。  <br />詰まりこれ等は、並外れて性的魅力に溢れる容姿の美しい人でなければ着こなせないとも言える。                                    余の個人的な美学理論の上では、「<strong>真に容姿の美しい人間とは、衣服、装飾品、化粧、等の助けを借りずとも、素顔、素裸の状態で美しい者である。</strong>」と断言出来るのである!<br />医学的な観点からも人間の容姿には大きな「個人差」があり、生まれつき顔の美しい人、筋肉質な体格の男や豊満な体格の女がいるが、こう言った人達は正に「天性の美」に恵まれていると言える。<br />しかしながら人間の肉体とは、だらしない怠惰な日常生活を送っていたり、不摂生、不養生を続けていては、、自(おの)ずから不細工、不健康になるのは必然である。  <br />だからこそ、たとえ生まれつき容姿の美しい人でも、油断していると容姿どころか健康まで損なう事にもなりかねないので、<span style="text-decoration: underline;">日頃からの健康管理は生まれながらにして義務付けられている、</span>と言っても過言ではない。                    <br /> <br />             <br />万物には多種多様な色がある様に、Sexy Lingerie並びにBikiniにも様々な色がある故、各色が象徴する抽象的意味、並びに人間に与える感情及び生理作用について以下の通り書き記す。<br /><br /><span style="color: #000000; background-color: #ff0000;"><strong>赤</strong></span><span style="color: #ff0000;"><strong>:</strong></span>≪情熱、愛情、積極性、自信、活動、怒り≫ 活動性、精神的刺激作用が強いので、脈拍を増加させ、興奮させるので衝動性、創造性、攻撃性を増進する。 憂鬱な気持ちを高揚させる効果や、男性生殖腺を刺激する効果がある。<br /><br /><strong><span style="color: #ff6600;"><span style="color: #000000; background-color: #ff6600;">橙</span>:</span></strong>≪明朗、快活、社交性、賑い、精力、多弁≫ 情緒的刺激色で、脈拍を僅かに増加させ、活力と注意力を与えるが、過度の刺激は返って不安を招く。<br /><br /><span style="color: #ffcc00;"><strong><span style="color: #000000; background-color: #ffff00;">黄</span>:</strong></span>≪希望、健康、自由、開放感、楽観性、変動性≫ 気分転換をしたり、浮ついた気分を引き締める効果があるが、長時間の使用は疲労を招く。<br /><br /><span style="color: #339966;"><strong><span style="color: #000000; background-color: #008000;">緑</span>:</strong></span>≪安心、安定、慰安、均整、平穏、爽快感≫ 精神系統に作用して、鎮静、睡眠、鎮痛の効果を与える。 緊張を解いて、血圧を下げたり、 神経痛や頭痛を緩和する。 更には目の健康にも良い。<br /><br /><span style="color: #0000ff;"><span style="color: #000000; background-color: #0000ff;">青</span>:</span>≪理性、冷静、沈着、几帳面、謙虚、受動性≫ 動脈を収縮させ、血圧を高める。 又、化膿、冷え性、リューマチ、癌腫瘍の悪化をも防ぐが、過度の使用は倦怠、憂鬱を引き起こす。<br /><br /><span style="color: #800080;"><strong><span style="color: #000000; background-color: #800080;">紫</span>:</strong></span>≪神秘性、芸術性、創造性、感受性、高貴、優美≫ 心臓、肺、血管に作用して、組織の抵抗力を増進する。 又、女性生殖腺を刺激する効果がある。<br /><br /><span style="color: #993300;"><strong><span style="color: #000000; background-color: #993300;">茶</span>:</strong></span>≪現実性、保守性、堅実、自己満足、信頼≫ 自分自身や其の環境や状況を変えたくないと云う保守的な考えを持つ人が好んで使う色。 精神的に円熟させる作用がある。<br /><br /><strong><span style="color: #ff99cc;"><span style="color: #000000; background-color: #ff99cc;">ピンク</span>:</span></strong>≪幸福、愛、温情、可憐、処女性≫ 興奮や激情を癒し和らげ、安楽感や幸福感を与える効果があるが、場合によっては筋肉に脱力作用をもたらす事もある。<br /><span style="color: #000000;"><strong><br />白:</strong></span>≪潔白、清楚、清潔、純粋、衛生≫ 感性、直感を活性化する作用があるが、反面論理的思考力を鈍化させる。禅や瞑想に於ける「無我」「無心」の境地を表す色でもある。<br /><br /><strong><span style="color: #000000; background-color: #999999;">グレー</span>:</strong>≪真面目、勤勉、遠慮、節制、従順≫ 問題や迷いがある時、精神的な落ち着きをもたらす効果があるが、無個性、無情、無関心と見受けられる事がある。<br /><strong><span style="color: #c0c0c0; background-color: #000000;"><br />黒</span>:</strong>≪重厚、荘厳、陰気、悪心、反抗性、不満≫ 精神を落ち着かせ、引き締める効果があるが、其れに対し気分を暗鬱にしたり、他人との意思の伝達を阻害する効果もある。<br /><br />赤、朱、橙、黄、等の色を「暖色」又は「進出色」と名付け、青、藍、紺、等を「寒色」又は「後退色」と名付ける。<br />緑、紫、等は「中間色」、白、黒は「無彩色」と名付ける。<br />性別で統計を取って見ると、比較的には男性が「寒色」を好む傾向が強く、女性が「暖色」を好む傾向が強い。<br />又、地理的に統計を取って見ると、温暖地域の人が「寒色」を好む傾向が強く、寒冷地域の人が「暖色」を好む傾向が強い。<br /><strong><span style="color: #ff0000;"><br />Kunstmarkt von Heinrich Gustav</span>  &nbsp;&nbsp;<br /></strong>All rights reserved<br /><br /><br /> 【日記】 美術工芸品と古書の収集と修理について Thu, 06 May 2021 03:23:39 +0900 721176 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/721176 今年の6月21日に東京都・板橋区の仏教美術を扱う桜清流堂より黄楊の木で細密に彫刻された年代物の「宝船」を送ってもらった。<br />此の船には当初より、「帆」が欠落しているのを承知の上で購入した。<br />何故なら、自分でマストと帆を作る自信があったからである。<br />本業の絵画制作を一時中断して、此の「宝船」に祝箸でマストを作り、そして帆を和紙で作り真ん中には「日の丸」の上に「寶」と書いて、裁縫用の糸で「張り線」を作って出来上がった。<br />船上の「恵比寿様」の釣竿も欠落していたので、竹箒の先で竿を作り、最も細いナイロン糸を釣り糸として取り付けた。<br />此の「宝船」は推定で30年程経年している故、其の他の船上の「七福神」や「宝物」を貼っている接着剤が劣化しているのを、新たに貼り直す事で全体の修復作業が完成した。<br />此の「宝船」は違例な程安価であったので更に3隻購入し、1隻目と全く同じ方法で、「日の丸」の上の「寶」と張り線の糸の色だけ変えて作り上げた。<br />此の中には「毘沙門天」の持つ「三叉戟」(さんさげき)の穂先が消失しているのがあったので、穂先をも金属パテで作って修復した。<br />そしていつも御世話になっている我が友人達に贈呈した処、皆大変喜んでくれたのであった。<br />(追伸:10月14日に桜清流堂の社長から御祝いの品物を複数頂戴し、余は大変感謝している。)<br /><br />此れだけでは終わらず、7月13日には同じく東京の別の古美術店よりイタリア製の大理石とリジン(人工樹脂)で鋳造されたSt.Georginusが馬に乗ってDragonを退治している像を送ってもらった。<br />此の像にも肝心の槍が欠落していたので、三度余は祝箸のを柄にして金属パテで、穂先を作って像と同じ色を油絵の具で塗って仕上げた。<br />まさか2か月立て続けに「祝箸」で美術工芸品が蘇らせる事になるとは思わなかった。<br />模型製作や美術工芸品の修復は、(公共事業としての)個展の為に毎日絵画制作をしている余にとっては、結構面白い気分転換になるのである。<br /><br />すると今度は同月20日頃に余が初めてドイツ(Bremen)に留学していた1989年に当市で購入した手鏡の柄が折れてしまった。<br />既に代わりにイタリア製のArt Nouveau様式の手鏡を購入しているので、此れを処分しても別段不自由は無いのだが、 何分思い出の品である上に余の一番お気に入りのRococo様式なので、どうしても捨てられず、何とか修理しようと考えた。<br />此の手鏡は錫鋳物による物で、溶接技術を持つ我が友人や知人等に何件か尋ねて見た処、いずれからも錫の溶接は不可能であるとの回答があった。<br />瞬間接着剤で貼り合わせても長持ちしないし、こうなったら唯一そして最後の手段という事で、折れた両方の部品の接合部分に電動(金属用)ドリルで穴をあけて、そこへ鉄の釘の頭を切り取った物を2本差し込んで、手鏡を上下両方から木槌で打ち込んでみた。<br />修理作業は思いの外功を奏し、直した手鏡は最早振り回しても折れない程丈夫になったのである。<br /><br />更に8月上旬には福岡県と千葉県の古書店より明治41年(1908)から43年(1910)にかけて発行された「平家物語講義」一巻~六巻を送ってもらった。<br />大変安価に購入出来た割には全体的な保存状態は予想以上に良好であったが、一巻と二巻に所々(万年筆による)線引きや書き込みがあったので、これ等を消去する事にした。<br />紙がある程度厚いのなら「インク用消しゴム」で消去出来るのだが、今回の物は半紙の様に薄いのでそうは行かない。<br />今まで余は江戸時代、明治時代に発行されている書籍を幾つも購入して、汚れ、書き込み、破損した部分をその都度修理して来ている。<br />最近の例を挙げると、購入した「台学入門」(明治40年、1907に発行された天台仏教学入門書)にも同様に万年筆による青インクの線引きが数頁に及んであったので、其れを消去した事がある。<br />其の方法とは油絵の具を本の古くなって黄変した紙に色を合わせて、其れを針の様に細い筆で引かれている線を塗り潰すと云う技法で、今回も此の技法を採用するしかなかった。<br />しかし今回は、黒インクで線引きや書き込みがされているので、先ずプラモデル用の油性塗料の白でこれ等を塗り潰し、更にその上から本の紙に色を合わせた油絵の具を塗ると云う手法で仕上げた。<br />扨て、「平家物語講義」についてなのだが、此の書物は本来の「平家物語」(流布本)の一巻から十二巻全ての原文に当時の古典学者の今泉定介先生(1863~1944)によって解説、注釈が付けられている。<br />鎌倉時代に成立した文献を明治時代の文章で解説しているので、それぞれの時代の日本語を比較しながら読んで行くのが非常に面白いのである。<br /><br />8月18日には10年使ったお気に入りのWhite Gold(白金)製スクリューネックレスの留め金のバネが壊れて、閉まらなくなった。<br />購入した大手業者に尋ねた処、此れはイタリア製なので、同じ留め金が入手不可能な故、此の品物を当社に送って、日本製の「引き輪」で代用して修理するしかないと云う返事であった。<br />一般の人なら宝石店に修理を依頼する処だが、余は少年時代よりJewelryが好きで、小学校の頃からNecklessを身に着けていた事もあって、当時から自分で修理までしていた位である。<br />早速、近所の親しいメガネ、時計、宝石を扱う店に行って「引き輪」について尋ねてみると、幸い在庫があり、古い物という事で親切にも原価で分けてくれたのである。<br />御蔭で余は此のお気に入りのWhite Goldのスクリューネックレスを直ぐに修理する事が出来た。<br />日本女性の感覚では「男のくせにJewelryが好きだなんて!」と不思議に思われるかも知れないが、実はヨーロッパの貴族社会では中世(11世紀頃)から18世紀頃まで、貴金属宝石の装身具は専ら女より男の方が多く身に着けていたのである。<br />余は本来「天台宗徒」である事から、天台宗専用の「平数珠」を当然持っているが、Brandenburgの教会から大恩を受けた事とDeutscher Ritterorden(ドイツ騎士団)への憧れがある事、そしてSaphir(サファイア)が自分の誕生石であり、キリスト教では修道士の「純潔」「貞操」「忠節」の象徴であり、「魔除け」でもある事から、Saphir、Gold、White Gold、Platina製の十字架のPendantをいつも身に着けている。<br />ついでに言うなら、余の愛用するBoots(革製長靴)も同様で、本来は貴族男性、又は軍隊の将校が履く物で、19世紀以前のヨーロッパでは寧ろ女性がBootsを履く事自体、先ず滑稽で有り得なかったのである。<br /><br />其の他、割れた陶磁器製の人形を修理するには、瞬間接着剤で各部品を貼り合わせ、素焼きの場合は瞬間接着剤とゴム系の接着剤の両方で貼り合わせるのが相応しい。<br />其の後、接合部に隙間がある場合は其の部分にパテ等を爪楊枝で埋めて、ある程度乾燥するとカッターナイフや細い鑢等で表面を平らに成形し、其の上から油絵の具で表面と同じ色を塗り、これが乾燥すると其の上に透明のニスを塗って仕上げるのである。<br />あらゆる美術工芸品の修復に共通している重要事項として、如何にして破損部分を目立たない様に直すかという事と、場合によっては以前の状態よりも美しく、頑丈に修理する事なのである。<br />又、美術工芸品を購入、収集するに当たって余が気を付けているのは、金銭価値や一般の評判に惑わされない事である。<br />何故ならこれ等の要素は、しばしば人間本来の「鑑定能力」(審美眼)を狂わせる事があるからである。<br />実に世の中には価格だけが高い見かけ倒しの粗悪な物があれば、安価でも品質の優れた物も数多くあるのである。<br /><br />日本に在住している又は長期滞在した事のあるドイツ人が皆同様に指摘しているのが、「日本人の生活は成程裕福ではあるが、余りにも無駄が多過ぎる。」と言う事である。<br />実例を挙げると、一部のブランド品の様に名前だけで大して価値の無い物を法外な値段で買い取る。<br />まだ使える物や、修理可能な物まで安易に捨てる。<br />食料品を余りにも多く捨てている。(呆れた事に日本国内で1年に廃棄処分される食料品はアメリカの其れより多いらしい。)<br />リサイクル、再利用出来る物をしない。政府、各自治体の予算の非合理的な無駄遣い。等<br />余自身が既にドイツに足掛け13年住んでいるので、ドイツ人の合理化されたLebenshaltung(生活態度)並びに Haushalt(家計、生計)を経験して、成程多くの感心と共感を得る物があった。<br />人間は「裕福」に慣れ切ってしまうと、其れに対する感謝の念を忘れがちになる事がある。<br />「裕福」を過信して、不合理で理不尽な浪費を続けて行くと、最後には「貧困」又は「破滅」にまで零落する事を心得ておかねばならない!<br /><br />10月29日に茨城県の骨董屋より送られた、江戸時代前期の名工・野々村仁清の様式を受け継ぐ「京焼」の非常に見事な「鳳凰」の置物を手に入れた。<br />此の作品は仁清の傑作と言われる国宝・「色絵雉香炉」を彷彿させる物があり、保存状態、絵の具の色から明治時代初期に制作されたと推定される。<br />&nbsp;「鳳凰」とは本来、古代中国の伝説に現れる空想上の奇跡を起こす神聖な鳥ではあるが、作者は想像力を生かして、孔雀と尾長鶏を掛け合わせた様な姿に造形しており、鮮やかな十二色の絵の具で細密に彩色していて、其の上保存状態も極めて良好なのである。<br />余も今まで日本とヨーロッパ10か国にて、多種多様の陶磁器製Figur(フィギア、像)を見て、収集して来ているが、「鳳凰」の彫像は見るのも初めてである。<br />京焼は信楽焼、瀬戸焼、九谷焼と並んで日本の窯業の中でも特にFigur(像)を多数制作しており、これ等の窯元では明治初期の時代には今現在の様な「七福神」「十二支」「高砂」と云った典型的な「縁起物」のみならず、他にも様々なFigur(フィギア、像)が制作されていた様である。<br /><br />2019年の追伸:<br /> 余はドイツに1989年に初めてSchw&auml;bisch-Hall及びBremenに留学して以来"Deutsche Porzellansammlung"(ドイツ製陶磁器のコレクション)を始めており、1991年~95年までKunstakademie Dresdenで学び卒業し、1994年以来、我が地元となる首都Berlin、及びBrandenburg州で公認の芸術家として2003年まで活動し、此の時代も引き続き陶磁器を収集し、日本へ帰国しても尚此のコレクションを続けている。<br /> 今まで集めて来た作品を制作したPorzellanmanifaktur(陶磁器工房)の地名は以下の通りである。 <br /><span style="font-weight: bold;">Arzberg</span>(1881), <span style="font-weight: bold;">Berlin KPM</span>(1763), <span style="font-weight: bold;">Bremen</span>(1883), <span style="font-weight: bold;">Dresden</span>(1866), <span style="font-weight: bold;">F&uuml;rstenberg</span>(1747),<span style="font-weight: bold;"> Gr&auml;fenthal</span>(1861), <span style="font-weight: bold;">H&ouml;chst</span>(1756), <span style="font-weight: bold;">K&uuml;bs</span>(1890),<span style="font-weight: bold;"> Mei&szlig;en</span>(1711), <span style="font-weight: bold;">Neuses</span>(1958), <span style="font-weight: bold;">Nymphenburg</span>(1761), <span style="font-weight: bold;">Plaue</span>(1817), <span style="font-weight: bold;">R&ouml;dental</span>(1871), <span style="font-weight: bold;">Scheibe-Alsbach</span>(1838), <span style="font-weight: bold;">Selb</span>・Hutschenreuther(1814), <span style="font-weight: bold;">Selb</span>・Rosenthal(1879), <span style="font-weight: bold;">Sitzendorf</span>(1850), <span style="font-weight: bold;">Staffelstein</span>(1872), <span style="font-weight: bold;">Tettau</span>(1794), <span style="font-weight: bold;">Unterwei&szlig;bach</span>(1880), <span style="font-weight: bold;">Varel</span>(1953), <span style="font-weight: bold;">Volkstedt</span>(1767), <span style="font-weight: bold;">Waechtersbach</span>(1832), <span style="font-weight: bold;">Waldsassen</span>(1866), <span style="font-weight: bold;">Wallendorf</span>(1764) ※( )は各工房の創設年を示す。<br /><br />5月16日及び18日、更にGr&auml;fenthalのFitis(鳥の名)のフィギュリン及びUnterwei&szlig;bachの"Dame mit Bouquet"(花束を持った貴婦人)のフィギュリンを入手した。<br /> 更に23日にはGoebelのHummel-figurの"Abendlied"(夕べの歌)、25日にはHutschebreutherの"Karussel Spieldose"(メリーゴーランド・オルゴール)を入手した。&nbsp; そして終に我が誕生日9月5日には、1991年以来探し続けて、半ば諦めていたH&ouml;chstのフィギュリン&rdquo;Magd im Wind&rdquo;(風の中の少女)と&ldquo;Teegenie&szlig;erin&rdquo;(お茶を嗜む女性)を入手した。<br />此れはあたかも幸運の女神が我が誕生日の祝福に授けてくれた様な思いである!<br /> 此れにて我がドイツ製陶磁器のコレクションは合計87個となった!<br /> 集め始めた頃には精々30個集めれば上等と思っていたが、まさか此れ程の数にまで達するとは思わなかった。<br /> 誠に諺の「継続は力也。」又はラテン語の諺"IN PERSEVERANTIA VERITAS"(執着こそ真実也)とは良く言った物である。<br /><br /> 尚、余が個人的に収集したドイツ、フランス、イギリス、イタリア、ハンガリー、デンマーク、日本、中国、等の代表的な陶磁器のコレクション&rdquo;Porzellansammlung&rdquo;(54点収録。解説:ドイツ語/日本語)は我がヤフーボックスの次のアドレスにて閲覧出来る。<br />(<a href="https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-qlpzqscyxup5xp5cnxltptm5zm-1001&amp;uniqid=61722d12-6186-466c-b909-5066d636c848" target="_blank">https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-qlpzqscyxup5xp5cnxltptm5zm-1001&amp;uniqid=61722d12-6186-466c-b909-5066d636c848</a>)<br /><strong><span style="color: #ff0000;"><br />Kunstmarkt von Heinrich Gustav  <br />&nbsp;</span></strong>All rights reserved 【日記】 我が家のドイツ製陶磁器コレクションと其の歴史 Thu, 24 Sep 2020 23:18:52 +0900 2031222 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/2031222 余はドイツに1989年に初めてSchw&auml;bisch-Hall及びBremenに留学して以来"Deutsche Porzellansammlung"(ドイツ製陶磁器のコレクション)を始めており、1991年~95年までKunstakademie Dresdenで学び卒業し、1994年以来、我が地元となる首都Berlin、及びBrandenburg州で公認の芸術家として2003年まで活動し、此の時代も引き続き陶磁器を収集し、日本へ帰国しても尚此のコレクションを続けている。<br />今まで集めて来た作品を制作したPorzellanmanifaktur(陶磁器工房)の地名は以下の通りである。<br /><br />&nbsp;<strong>Arzberg</strong>(1881), <strong>Berlin KPM</strong>(1763), <strong>Bremen</strong>(1883), <strong>Dresden</strong>(1866), <strong>F&uuml;rstenberg</strong>(1747),<strong> Gr&auml;fenthal</strong>(1861), <strong>H&ouml;chst</strong>(1756), <strong>K&uuml;bs</strong>(1890),<strong> Ludwigsburg </strong>(1758), <strong>Mei&szlig;en</strong>(1711), <strong>Neuses</strong>(1958), <strong>Nymphenburg</strong>(1761), <strong>Plaue</strong>(1817), <strong>R&ouml;dental</strong>(1871),<strong>Scheibe-Alsbach</strong>(1838), <strong>Selb</strong>・Hutschenreuther(1814), <strong>Selb</strong>・Rosenthal(1879), <strong>Sitzendorf</strong>(1850), <strong>Staffelstein</strong>(1872), <strong>Tettau</strong>(1794), <strong>Unterwei&szlig;bach</strong>(1880), <strong>Varel</strong>(1953), <strong>Volkstedt</strong>(1767), <strong>Waechtersbach</strong>(1832), <strong>Waldsassen</strong>(1866), <strong>Wallendorf</strong>(1764)<br />※( )は各工房の創設年を示す。<br />&nbsp;<br />今年の5月16日及び18日、更にGr&auml;fenthalのFitis(鳥の名)のフィギュリン及びUnterwei&szlig;bachの"Dame mit Bouquet"(花束を持った貴婦人)のフィギュリンを入手した。<br />更に23日にはGoebelのHummel-figurの"Abendlied"(夕べの歌)、25日にはHutschebreutherの"Karussel Spieldose"(メリーゴーランド・オルゴール)を入手した。<br />そして終に我が誕生日9月5日には、1991年以来探し続けて、半ば諦めていたH&ouml;chstのフィギュリン&rdquo;Magd im Wind&rdquo;(風の中の少女)と&ldquo;Teegenie&szlig;erin&rdquo;(お茶を嗜む女性)を入手した。<br />此れはあたかも幸運の女神が我が誕生日の祝福に授けてくれた様な思いである!<br /><br />年が変わって2020年2月には所謂"Die acht &auml;lteste deutsche Porzellanmanifaktur"(ドイツ8大古窯)の中で、余が唯一未だに所蔵出来ていないLudwigsburgの花瓶を手に入れた。<br />更に9月15日にはGoebel Hummel-figurの1種である"Kunstmaler"を手に入れた。     <br />此のフィギュリンは1992年に制作されて、即ち余がKunstakademie Dresdenの絵画・グラフィック科にて学んでいた2年目である。<br />当時、余は同市内の陶磁器店にて品物購入の際、Goebel Hummel-figurの小カタログを貰っており、其の中に此のフィギュリンが掲載されていた。<br />余自らが画家であるが故、此の愛嬌のある男の子の画家を模ったフィギュリンには愛着を感じていた。<br />余は学生時代(1991~95年)には我が母校や学生寮の近くにある市の中心部の2軒の陶磁器店で様々なドイツ製陶磁器を購入していたが、以外にもこれ等の店には普段Hummel-figurを取り扱っていなかったので、此の"Kunstmaler"を入手するには至らなかった。<br />其れだけに28年前から思いを寄せていたフィギュリンが手に入った事は大変喜んでいる。<br /><br />9月25日にはHutschenreutherのErdbeere(苺)を描かれている絵皿を入手した。<br />此の絵皿は裏側のMarke(マーク)を専門書で照合した処、1939~45年即ちNazis政権下の第2次世界大戦の真っ只中に制作されている事が判明した。<br />此の可憐で美しいErdbeere(苺)の絵は、とても殺伐とした戦争中に描かれたとは思えないである。<br />因みに余は先の第1次世界大戦(1914~18年)中に制作されている我が地元Berlin K.P.Mの絵皿も所有しているのだが、此の絵皿は我が最愛の18世紀のRococo様式を見事に引き継いだ美しいデザインで、花の絵も色彩豊かで細密に描かれている。<br />此の絵皿の裏側には当戦時中に制作された事を証明するドイツ帝国の国家勲章や国籍マークとして有名なEisernekreuz(鉄十字)が描かれており、此れを&ldquo;Kriegmarke&rdquo;(戦争印)と名付けている。<br />此れにて我がドイツ製陶磁器のコレクションは合計90個となり、此れにて当コレクシンを一通り完成させたのである!<br />集め始めた頃には精々30個集めれば上等と思っていたが、まさか此れ程の数にまで達するとは思わなかった。<br />誠に諺の「継続は力也。」又はラテン語の諺"IN PERSEVERANTIA VERITAS"(執着こそ真実也)とは良く言った物である。<br /><br />余は既に少年時代より18世紀ヨーロッパの貴族文化であるRococo様式に多大なる憧れと関心と関心があった。<br />故に其の時代の美術部門の代表格であるPorzellan(陶磁器)を、いつの日か収集して行きたいと言う願望を抱いていた。<br />そして念願かなってドイツの名門芸大の一つであるKunstakademie Dresdenにて1991年以来学業を始めると同時に、本格的にPorzellan(陶磁器)の収集を始めたのであった。<br />コレクションのいずれの分野でも共通して言える事だが、<span style="text-decoration: underline;">良き品物を収集する為には、ただ単に費用を懸けるだけではなく、何よりも先ず其の分野についての学術的資料と研究と知識が必要とされるのである。</span><br />そこで余も学業と制作以外に暇を見つけては、数多くの美術館、博物館、宮殿、城、等を訪ねて、館内の所蔵品、調度品を撮影したり、書店にて大量の美術品に関する図書を買いあさっていた。<br /><br />明くる年には"Deutsche Porzellanmarken von 1708 bis heute"(Battenberg Verlag) と言う歴代のドイツ陶磁器のマークを完全収録した図書を入手して、ドイツ国内のPorzellanmanifaktur(陶磁器工房)及び陶磁器のマークを正確に確認、鑑定出来る様になった。<br />上記の通りドイツの代表的な工房の作品は、我が地元BerlinのK,P,M(K&ouml;nigliche Porzellan Manifaktur=王立陶磁器工房)、Niedersachsen州にある旧Braunschweig侯爵家御用達のF&uuml;rstenberg、Bayern州の一大陶磁器の産地Selp市にあるスウェーデン王室御用達のHutschenreuther、陶磁器業界最大の企業Rosenthal、同州R&ouml;dental町のGoebel等を中心に殆ど同国内で入手して来た。&nbsp;&nbsp;<br />其れでもH&ouml;chst、Ludwigsburg、SitzendorfそしてUnterwei&szlig;bachの作品は我が13年間にも及ぶドイツ滞在時代の中でも遂に見つける事さえ出来なかった。<br />即ち30年近くの歳月を経て、此度これ等の作品を立て続けに全て入手出来た事には感無量の喜びを感じている。<br /><br />&nbsp;尚、余が個人的に収集したドイツ、フランス、イギリス、イタリア、ハンガリー、デンマーク、日本、中国、等の代表的な陶磁器のコレクション&rdquo;Porzellansammlung&rdquo;(54点収録。解説:ドイツ語/日本語)は我がヤフーボックスの次のアドレスにて閲覧出来る。<br /><span style="color: #800080;"><a href="https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-qlpzqscyxup5xp5cnxltptm5zm-1001&amp;uniqid=61722d12-6186-466c-b909-5066d636c848" target="_blank"><span style="color: #800080;">https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-qlpzqscyxup5xp5cnxltptm5zm-1001&amp;uniqid=61722d12-6186-466c-b909-5066d636c848</span></a></span><br /><span style="color: #ff0000;"><strong><br />Kunstmarkt von Heinrich Gustav  </strong></span><br />All rights reserved 【日記】 薬師如来様と御守の歴史 Thu, 13 Aug 2020 22:54:50 +0900 1910943 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/1910943 もう長い間に渡りブログに我が論文や随筆を120件以上投稿、公開しているのだが、元日に記事を書くのは今回が初めてである。<br /> 我が家の菩提寺、祈祷山・成願寺(天台宗)でも毎年恒例の「除夜の鐘」と本堂での祈祷、並びに参拝客の接待が山主であり我が親友の甘露和尚と彼の弟殿によって執り行われる。<br /> 昨年の大晦日、余は母上と共に「おせち料理」の詰め合わせを終えた。<br /> 我が家の正月用の器は「飛騨春慶」の二段と三段の重箱、六角箱、飯櫃、「美濃焼」の木米(もくべい)風蓋付き茶碗、織部の大皿、そして「安政時代」(1855~60年)からの「輪島塗」の屠蘇器、汁椀、更に「会津塗」の三段重箱、汁椀、及び「津軽塗」の三段重箱とあるが、今年は全て余の一存で「飛騨春慶」と「輪島塗」の赤系の器で統一した。<br /> 彼女が寝床に入ったのを確認して、午後11時50分頃、成願寺にこれ等年末年始の儀式を見に参拝して来た。<br /> 除夜の鐘が突かれると同時に、甘露和尚が本堂で「般若心経」を太鼓を打ち鳴らしながら16回も繰り返し読経し、本尊の「薬師如来」様から始めて諸仏及び七福神にまで、世の中の幸福、安泰、等を祈祷するのである。(にも拘わらず、本堂内には余以外参拝者が一人もいなかった。)<br /> 余も何度となく見せてもらっているが、此の儀式は大層体力、精神力の必要な物であるとつくづく感心させられると同時に、此の人気の無さはいささか憐憫に思えるのである。<br /><br /> 因みに「薬師如来」様について書き記すと、元来サンスクリット語では&rdquo;Bhaisajyaguru&rdquo;(バイシャジヤグル)と云う名前で、「医者の長」という意味である。<br /> 日本語訳された正式名は「薬師瑠璃光如来」(やくしるりこうにょらい)である。<br /> 彼がまだ菩薩であった時代に以下の「12の大願」を立てられている。<br />これ等の項目は「薬師如来本願功徳経」の中に記されている。<br /> 1. 全ての人々の仏性を目覚めさせる。 <br /> 2. 全ての人々を明るく照らし、人々が善い行いを出来る様にする。 <br /> 3. 全ての人々が必要なものを手に入れる事が出来る様にする。 <br /> 4. 全ての人々を大乗仏教の正しい教えに導く。 <br /> 5. 全ての人々に戒律を保たせる。 <br /> 6. 全ての人々の身体上の障害を無くす。 <br /> 7. 全ての人々の病を除き窮乏から救う。 <br /> 8. 女である事によって起こる修行上の不利な点を取り除く。 <br /> 9. 全ての人々を魔から救い、菩薩の修行を修習させて完全な悟りに到達させる。 <br /> 10. 国法による災い等の災難や苦痛から解放する。 <br /> 11. 全ての人々が飢えや渇きに苦しむ事が無い様にする。 <br /> 12. 全ての人々に衣服を与え、心慰めるものを与えて満足させる。<br /><br />医学が現在程発達していなかった古代、中世、近世の時代では、人々の病気、怪我を治癒してくれる所謂「現世利益」の御仏として階級、身分を問わず広く信仰され、平安時代の頃から多数の「薬師如来」様の仏像、仏画が制作された。<br /> 右手に「施無畏印」(せむいいん)を結び、左手の上にはあらゆる病気、怪我を治癒する薬の入った「薬壺」(やっこ)を持たれている。<br /> 「十三仏」の中では四十九日(七七日)導師の役を担当され、「三十日秘仏」ではの八日仏に数えられている。<br /> 又、「薬師三尊」として祀られる場合には、脇侍に「日光菩薩」、「月光菩薩」を従えておられ、更には「十二神将」を従える事もある。<br /> 又、我ら天台宗では開祖・最澄大師が一乗止観院(後の延暦寺・根本中堂)に御灯(不滅の法灯)を掲げられた時、薬師如来様の宝前にて「あきらけく後の仏の御世までも、光り伝へよ法の灯。」と云う御歌を詠まれ、「鎮護国家済生利民」(国家を護り人民を救済する)を御誓約された。<br /> 同宗の古書には、法華経・本門の骨子である「如来寿量品」(によらいじゅりょうほん)の聖説に基づいて崇め奉った、※「三身即一」の薬師如来様であったと記されている。<br />※(三身、即ち「釈迦」「薬師」「阿弥陀」の三名の如来様が一仏像に融合される事。)<br /> 故に天台宗で薬師如来様は「三大如来」の一尊として最も崇められているのである。<br /><br /> 祈祷が終わった後、甘露和尚と本堂にて善哉を食べながら午前2時過ぎ位まで、仏教や倫理学や哲学の話題、更には寺院境内のすぐ後ろにある竹藪の処理問題について語り合った。<br /> 先ず、「小さな善行でも長年積み重ねて行けば、其れは大きな善行(正業)となり、一隅を照らす事になります。そんな人達が手を取り合う事によって世の中は更に輝くでしょう。」<br />と云う天台仏教の根本教理に始まり、「正しい智恵とはただ理論だけに終わらず、正しい実践が伴って初めて価値があります。(天台仏教の「教門」と「観門」の関係)<br /> 「人から知恵や助けを借りる事も時には必要ですが、やはり最後には自分の事は自分で成し遂げなければなりません。」(「自力」と「他力」の関係)<br /> 「結果がどうであれ、何事も真剣に取り組む事(正精進)が大切です。さすれば「力」が付いて来ます。」<br /> 「たとえ一時的に失敗しても、其れが人生の教訓になり、最後に何らかの成功に繋がれば、其の失敗は生かされた事になります。」<br /> 「最近の若い世代には現象や情報に振り回される人が多い様です。そうではなく正し心(正念)や正しい考え(正思)やしっかりとした自分(正定)を保ち、人や物の本質を見抜く目(正見)を養わなければなりません。」等の格言、法話を語り合った次第である。<br /> 戦後生まれの僧侶の中には、檀家で盆、法事、葬式、等の時に経だけ読み上げて、お布施だけ貰って、信徒の為になる様な法話等を全くしない(又は出来ない)、商業化した仏事のみを取り行う「売僧」(まいす)や仏教本来の「戒律」を平気で破り欲望の趣くままに私腹を肥やし、破廉恥な遊興に耽る「生臭坊主」が多くなっている今日此の頃に於いて、尚、僧侶として仏道、人道を貫き、そして会う度に世の為、人の為になる格言、法話を語り合える甘露和尚を余は親友として快く思うのである!&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br />&nbsp;<br />(※其の一方で一部の檀家の間では、彼が生まれ故郷と比叡山(学習修行時代)のみしか住んだ事が無い事、海外へも一度も行った事が無い事、未だにパソコン、スマートフォンいずれも使わずインターネット事情にも疎い事から、「井の中の蛙」「時代遅れ」「情報弱者」だのと軽視にして、更には彼が読経をしょっちゅう読み間違えたり、法話をどもりながらする事から、「阿呆坊主」「糞坊主」「低能」「半分台湾の出来損ない」だの、そして仏事以外はぶらぶらしているから「狸の金玉」等と馬鹿にする輩も多々いる様である。)<br /><br /> 其れから今回は御守を3個も拝受させてもらったのである。<br /> 今回頂いた御守は年号が変わる最初の年の元日に当寺院の初版号の御守で、余が最初に頂いた事になると言う大変縁起の良い要素が揃っている。<br /> 今まで成願寺では、総本山・比叡山延暦寺から分配された「護摩札」を御守として檀家や参拝者に配布していたのだが、今回の初版号の御守は錦の袋も赤地と緑地の2種類あり、平均的な御守袋より一回り大きく、中身の御守も檜の板の表側に当寺院の本尊・薬師如来様の御姿が刻まれ、裏側には当寺院の落款が押されている、なかなかに上等な御守である。<br /> 余は個人的に西日本を中心に名立たる天台宗寺院を参拝すると、参拝記念と寺院への寄付という意味で御守を購入して、袋の中の厚紙に参拝の日付を書き込む様にしている。<br /> 扨、ここで御守の歴史について書くのだが、人類が&rdquo;Homo Sapiens&rdquo;(ラテン語:知恵ある人間)として誕生した頃の太古の時代より、&rdquo;Naturkult&rdquo;(ドイツ語:自然崇拝)が成立したと同時に何らかの形で存在していたと考えられる。         <br />詰まり御守は元来自然物が有する力をもらい守護してもらおうと云う観念を具体化した物であると言える。<br /> 日本で今日の様な御守が普及し始めたのは平安時代で、当時寺社の功徳を全国に普及する為に巡回していた「御師」(おし)と云う役職があり、占術、方術、祭祀を司る官職「陰陽師」(おんみょうじ)と共に貴族達に配布していたのが始まりで、当時は「懸け守」(かけまもり)と呼ばれていた。                   平安末期から鎌倉時代になると、御守は武士達の間にも広がり、江戸時代には庶民の間にも普及する様になり、様々な形が出来上がって行った。        <br /> 其れ故に我が家の菩提寺でも独自の御守が発行される様になった事を嬉しく思うのである。<br /> 帰宅後、早速いつもの如く日付を書き込み、1つを我が家の仏壇に供え、1つを我が母上の部屋に、そして1つを我がAtelier(仕事部屋)に供えて置いた。<br /> <strong>余は本来、「幸福」も「成功」も「自力」で獲得する物だと自負しているが、我ら天台宗の教理では「幸福」と「成功」の半分は「自力」残り半分は「他力」(御仏の加護)により獲得出来るとある。</strong><br />そんな意味で今年は大変縁起の良き御守を拝受させて貰ったと我が家の菩提寺に感謝している。<br /> (※成願寺の歴史については我がブログの記事「我がゆかりの天台寺院、成願寺、義仲寺の歴史と、源義仲公の伝記」 (<a href="https://ameblo.jp/hochmeister/entry-12470489466.html">https://ameblo.jp/hochmeister/entry-12470489466.html</a>) 参照) <br /><br /> 追伸:<br /> 明後日の1月3日午前10時、再び成願寺を我が母上と我が家の農地を耕作してくれている友人の鶴海さんと共に訪れ、客殿にて世間話や前記の竹藪の処理問題について語り合った。<br /> 有り難き事に鶴海さんが此の竹藪の手入れをボランティアとして引き受けてくれる事になった。<br /> 其れでも甘露和尚は人の恩に必ず報いる人柄なので、其れ相応の御礼をする事は必定であろう。<br /> 彼は日頃から「人は神仏、恩人そして自然にも感謝の気持ちを持たなければなりません。」と言う様に、此れを自ら実践しているのは誠に立派な事である。<br />それから甘露和尚は我ら3人を本堂に案内してくれて、皆の健康、幸福、安泰を願って御本尊の薬師如来様に向かって祈祷してくれた。<br /> 其の後、正午前に帰宅する道中、晴れた空を見上げて来世で行けると信ずる「極楽」を思い浮かべたと同時に、昨年多発した自然災害の甚大な被害を思い出して、ふと我が親父殿と日蓮上人の御言葉「<strong>極楽、地獄もあの世(来世)にあるだけではない。既にこの世(現世)にあるのだ。</strong>」を思い付いた。<br /> 過去の多くの偉人、英雄、天才達が「幸福」について論じている中で、「<strong>人間の幸不幸は本人の考え、気持ち、そして生き方次第である。</strong>」と云う考え方が最も多く共通して述べられている。<br /> 即ち<strong>幸福と満足で満ちた人生は「極楽」、其の正反対は「地獄」なのである。</strong><br /> 其の様な意味で<strong>「現世利益」の最大要因の一つである「健康」を象徴する「薬師如来」様、並びに人間の為「正しい教え」を布教された「釈迦如来」様、そして不滅の光で万物を照らしてくれる「大日如来」様(太陽)は如何に有り難く尊き存在であるかをつくづく感じさせられるのである。</strong><br /><br /> <strong><span style="color: #ff0000;">Kunstmarkt von Heinrich Gustav   </span></strong><br />All rights reserved 【日記】 我が家の駐車場の庭に咲く野薔薇とドイツ文化の中の薔薇 Sun, 31 May 2020 03:26:47 +0900 2057739 https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/2057739 5月の初頭より我が館の斜め向かいに経営する駐車場の庭に、大量の赤い野薔薇が咲き乱れている。<br /> 此の木は我が家の駐車場を整備した時(1990年)より植えられていて、毎年多くの花を咲かせて、我が家族や客人達を楽しませてくれている。&nbsp;&nbsp; <br />しかし今年は此の野薔薇が尋常とは思えない程(高さ:約2m、幅約:2m70cm)までに発育し、前例が無い程の沢山の花(約2400輪以上)を咲かせている。 <br />同時に駐車場の庭で栽培している葡萄の木、欅の木、柘榴の木、其の他の草木も大変な発育をしているので驚いている。  <br />しかし未だ其の原因が分からないので、嬉しいと同時に不思議な思いである。&nbsp;<br /> <br />参考に「野薔薇」についての植物学的な解説は以下の通りである。<br /> バラ科バラ属の落葉低木。 別名で「のいばら(野茨)」とも呼ばれる。 <br />ラテン語の学名は Rosa multiflora、(沢山の花を付ける薔薇の意味<span style="font-family: &#39;MS 明朝&#39;,serif; font-size: 9pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin; mso-bidi-font-family: &#39;Times New Roman&#39;; mso-bidi-theme-font: minor-bidi; mso-ansi-language: EN-US; mso-fareast-language: JA; mso-bidi-language: AR-SA;">)、</span>英語名は Japanese rose。  <br />日本の各地に分布し、日当たりの良い山野、草地、藪等に生え、高さは2m程になる。 <br />枝は全体的に少し蔓性で鋭い棘がある。 <br />葉は奇数羽状複葉で互生し、卵形から長楕円形の小葉が3~4対付く。  <br />5月から6月頃にかけて枝先に径2~3cmの白色五弁花を10個内外に付け、芳香のある白ないしは赤い花を咲かせる。   <br />果実の様に見えるのは偽果で、秋に赤く熟する。 又、乾燥した果実を生薬の「営実」(えいじつ)と呼び,利尿薬・下剤として利用される。<br /> <br />一方、ドイツでは野薔薇は大文豪Johann Wolfgang von Goethe先生によって書かれた詩"Heidenr&ouml;slein"が有名で、後に此の詩を元にL.v.Beethoven, F.Schubert, R.Schumann, H.Werner, J.BrahmsがLied(歌曲)を作曲している。 <br />※野薔薇はドイツ語で又の名を"Heckenr&ouml;schen"とも言う。<br /> 此の詩の原文は以下の通りである。 <br />>Sah ein Knab' ein R&ouml;slein stehn, R&ouml;slein auf der Heiden, <br />War so jung und morgensch&ouml;n, Lief er schnell, <br />es nah zu sehn, Sah's mit vielen Freuden.   <br /> R&ouml;slein, R&ouml;slein, R&ouml;slein rot, R&ouml;slein auf der Heiden.         <br /> Knabe sprach: ich breche dich, R&ouml;slein auf der Heiden!            <br />R&ouml;slein sprach: ich steche dich, Dass du ewig denkst an mich, <br />Und ich will's nicht leiden.                          <br />R&ouml;slein, R&ouml;slein, R&ouml;slein rot, R&ouml;slein auf der Heiden.            <br />Und der wilde Knabe brach's R&ouml;slein auf der Heiden; <br />R&ouml;slein wehrte sich und stach, <br />Half ihm doch kein Weh und Ach, <br />Musst'es eben leiden. <br />R&ouml;slein, R&ouml;slein, R&ouml;slein rot, R&ouml;slein auf der Heiden.<br /><br />< 和訳: 「一人の童子が一輪の小さな薔薇が咲くのを見付けたり、野に咲く小さな薔薇、<br />其れはいと若く、朝の如く美しく、彼は急ぎ呼び、近寄りて喜び多くして見たり。 <br />赤き小さな薔薇、野に咲く小さな薔薇。 <br />童子曰く:野に咲く小さな薔薇よ、僕は君を摘み取るよ!<br /> 野薔薇は答える:ならば我は汝を(棘で)刺そう。汝が永遠に忘れない程に。 <br />なれども我は汝を悩ませたくはない。 <br />赤き小さな薔薇、野に咲く小さな薔薇。 <br />そして、童子は小さな薔薇を野から摘み取ったり:小さな薔薇は己を守る為に彼を刺した。 <br />彼の(指は)痛み無けれど、(心は)悩みにけり。<br /> 赤き小さな薔薇、野に咲く小さな薔薇。」<br /> <br />又、17世紀ドイツの詩人であり神学者であったAngegelus Silesius (J.Scheffler)は彼の詩集&rdquo;Cherubinischer Wandersmann&rdquo;の中で、以下の詩を書いている。 <br />&gt;Die Rose ist ohn warumb / sie bl&uuml;het weil sie bl&uuml;het. Sie achtt nicht jhrer selbst / fragt nicht ob man sie sieht.&lt; <br />和訳: 「薔薇は自分が咲く訳も知らずに咲いている。 彼女は人が自分を見ているかどうか気にも留めないし、尋ねる事も無い」。 <br />此の詩への余の個人的なInterpritation(解釈)を述べると、薔薇を類稀なる美人にVermenschlichung(擬人化)している様に思えるのである。 <br />類稀なる美人とは自分が何故美しいかと云う理由も、そして他人が自分をどう見ているかも気にも留めない。 <br />即ち虚栄心の無い全くの&ldquo;Nat&uuml;rlichkeit&ldquo;(自然体)であると言う事である。<br /> <br />余は少年時代より此のGoethe先生のドイツ語原文のGedichte(詩集)もF.SchubertのLied(歌曲)も共に所有して親しんでいた。 <br />そして大学卒業直後、余の最愛のフランスの作曲家H.BerliozがTh.Gautierの詩を元に作曲した歌曲集"Nuis d'&eacute;t&eacute;"(夏の夜)をCDで購入した。 <br />其の中に、"Le spectre de la rose" (薔薇の精)と言う何とも優美な歌がある。 <br />其れ故、我が家の経営する駐車場の庭に咲く赤い野薔薇に大層な愛着を感じるのである。<br />人間の手によって交配、品種改良された鑑賞用の薔薇も勿論美しいのだが、野薔薇の様な原生品種も又美しく、其れなりの魅力を持っているのである。<br /> <br />因みに赤い薔薇のBlumensprache(花言葉)は&rdquo;Liebe und Leidenschaft&rdquo;(愛と情熱)、黄色い薔薇は&rdquo;Eifersucht&rdquo;(嫉妬)そして野薔薇のBlumensprache(花言葉)は複数の作曲家が此のGoethe先生の詩"Heidenr&ouml;slein"を元にLied(歌曲)を作曲した事から、"Gedicht und Lied"(詩歌)そして "Geniales Talent"(天性の才能)だそうである。 <br />更にドイツ語ではRose(薔薇)は其の他の花の名前の表現にも使われる。<br /> 例:Christrose(キリストの薔薇=クリスマスローズ)、 Pfingstenrose(聖霊祭の薔薇=シャクヤク)、Seerose(湖の薔薇=睡蓮)、 Rosenlorbeer(薔薇+月桂樹=キョウチクトウ) そして女性の名前Rosa, Rose, Rosi, Rosabella, Rosalba, Rosalia, Rosalie, Rosamunde, Rosanna, Rosangela, 等としても使われる。<br /><br />ドイツの伝統工芸の代表格であるPorzellan(陶磁器)のManifaktur (工房)は世界的に有名な Mei&szlig;en, Berlin KPM, Dresden, F&uuml;rstenberg, H&ouml;chst, Hutschenreuther, Ludwigsburg, Nymphenburg, Plaue, Rosenthal, R&ouml;dental, Scheibe-Alsbach, Volkstedt, Wallendorfを始め多数存在している。 <br />余もPorzellan(陶磁器)をドイツ各地の美術館、宮殿、城の中で多数見て来たし、自分でも多数収集しているので熟知しているのだが、これ等の作品のBlumenornament(花柄)で最も多く使われているのも薔薇である。 <br />又、王侯貴族の宮殿、城のAusstattung(調度品)のデザインと主題でも薔薇は特に好まれ、よく使われている。 <br />余も同様に自分のBekleidung u, Schlafzimmer(衣装室兼寝室)のZimmerdekoration(室内装飾)も&rdquo;Rosen Motiv&rdquo;(薔薇主題)に統一している。 <br />(※此の趣味は最近の表現で「姫系」と言ってからかわれる事がある。)<br /> <br />世界中で有名なBr&uuml;der Grimm(グリム兄弟)が編集した童話集&ldquo;Kinder und Huasm&auml;rchen&rdquo;の中にも、薔薇に因んだ&ldquo;Dornr&ouml;schen&rdquo;(茨姫)や &ldquo;Schneewei&szlig;chen und Rosenrot&rdquo;(白雪と薔薇紅)と云った物語があるし、&rdquo;Kinderlegenden&rdquo;(子供達の伝説)の中にも&ldquo;Die Rose&rdquo;(薔薇)と云う北ドイツのMecklenburg州の方言で書かれた伝説がある。<br /> 他にも19世紀後期のドイツの作曲家R.Strau&szlig;が作曲した歌劇&ldquo;Rosenkavalier&rdquo;(薔薇の騎士)と云うのもある。 <br />これ等数々のKultureller Beispiel(文化的実例)を見ても、正に&gt;Die Rose ist K&ouml;nigin der Blumen&lt;(薔薇は花の女王)と言われる所以である。<br /> <br />余が「薔薇」に特別な愛着を持っている一番の理由は、自分のPers&ouml;nlichkeit(総合的人間性)を花に譬えたら断然Rote Rose(赤い薔薇)であると思えるからである。 <br />*薔薇の花のSch&ouml;nheit(美しさ)は成程比類無き物ではあるが、場合によっては其の美しさがHochmut(高慢)、&Uuml;berheblichkeit(気位の高さ)の象徴と見なされる事すらある。 <br />*余の描く絵画作品も其のSch&ouml;nheit(美しさ)、Deteilisiesrung(細密描写)そして Vollkommenheit(完成度)では比類無き物ではあるし、其の上天性の才能のみならず容姿の美しさでも誰からも賞賛される。<br /> だが其れがHochmut(高慢)、&Uuml;berheblichkeit(気位の高さ)ないしはNarzi&szlig;mus(自惚れ)と云う悪しき性格を形成してしまった。 <br />正に全く共通しているドイツ語の諺&gt;Keine Rose ohne Dornen.&lt;と、日本語の諺「美しい薔薇には棘がある。」其の者となっている。<br /> 詰まりSch&ouml;nheit(美しさ)と同時に他人を傷付けるGefahr(危うさ)も共有していると言う事である。 <br />又、ドイツ語の諺には&gt;Dummheit und Stolz wachsen auf einem Holz..&lt;(愚かさと高慢は一本の木から生える)と言うのもある。  <br />即ちStolz, Hochmut(高慢)への戒めである。 <br />*園芸業者によると、薔薇は他の植物に比べて、非常に扱いにくいとの事である。<br /> 例: 大雨に脆く、寄生虫の害にも弱い。 <br />*余も同様に雨が降る日は体調が優れないし、怪我には強いが、ウィルスへの抵抗力が弱い。 <br />*そして薔薇は美しい花を咲かす事は出来ても、実を生らす事は出来ない。 <br />*余も芸術家として、業績、名声、地位、人気は獲得して来たが、金儲けは出来なかった。 (しかし、Rosengarten(バラ園)の薔薇が人為的に守られているが如く、余は我が家の財産の御蔭で生活には全く困らない。) <br />此の様に薔薇の性質、特徴は良きにつけ悪しきにつけ、て余のPers&ouml;nlichkeit(総合的人間性)にそっくり適合しているのである。 <br />「自分で其れだけ分かってるのなら、少しは反省して改めろ!」と言われるかも知れないが、Charakter(性格)とは完全に治せないので、Gedanke(考え方)、Bereitschaft(心得)を改めるしか方法は無いのである。<br /> <br />其れでも余はただ美しいだけで所詮「見世物」にしかならない薔薇よりも、寧ろ「麦」の様に踏まれる度に強く育ち、しかも人間の食の足しになる穀物の方に遥かに価値があると思えるのである。 <br />人間界でも同様で、美しさだけを見せびらかして、賞賛される事で己惚れている者よりも、たとえ地味でも「勤勉」、「謙虚」、「忍耐」等の美徳を備えて、世の為、人の為に貢献している人こそ、誠に価値があって称賛に価するのである。<br /> <br />追伸:6月中旬から我が家の駐車場の庭では、野薔薇に続き赤や白の鑑賞用の薔薇も咲き始めている。<br /> これ等は野薔薇程数多くは咲かないが、大輪、中輪の薔薇なので個々の美しさが味わえるのである。 <br />「花の命は短い」と言うが、余はこれ等を見る時には「毎年美しい花を咲かせて、健やかに長生きしろよ!」と願いを込めて話しかけてやっている。<br /> そして花々の命が短い物であるがこそ、余はこれ等を写真に撮ったり、絵に描く事によって、其の美しさを画像として残してやる様にしている。<br /><span style="font-weight: bold;"><span style="color: #ff0000;"><br />Kunstmarkt von Heinrich Gustav   <br /></span></span> All rights reserved