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Der neue Deutsche Jugendfreund(新・ドイツ青年の友)と読書の勧め

2014.10.03

2013年5月25日、我が地元Brandenburg/H市の我が親友であり当市の大聖堂に勤めるCh.Radeke牧師から、待ちに待った古書”Der neue Deutsche Jugendfreund”第46巻(1891年製)、68巻(1913年製)そして69巻(1914年製)の3冊が小包で送られて来た。
と言うのは昨年余がRadeke牧師に彼が長年担当していたDommuseum(大聖堂博物館)に所属する St.Petri kapelle(1314~20年建立)を描いた絵を贈呈したからである。
Radeke牧師からのE-Mailによると、これ等の古書を発見、購入するのにBerlin、 Potsdam 等の古書店計9軒も当たってくれたのであった。
彼は大聖堂での宗教事、博物館での業務、執筆等で毎日多忙にも拘らず、余の為に即労してもらって大変有り難いと同時に申し訳ない思いである。
扨、”Der neue Deutsche Jugendfreund”についての説明なのだが、此の古書は1846年に初版号が学者Franz HoffmannによってStuttgart市のSchmidt u, Spring社から発行されて以来、毎年1巻が発行され実に何と1944年までに93巻まで発行されたと言う途轍もなく長い出版の歴史を有するのである。
因みに日本の映画「男はつらいよ」(フーテンの寅さん)が1969年から48作まで制作され、時代劇「水戸黄門」が奇しくも同年から42年間に渡り制作されたと言う世界でも例を見ない長期放送記録を樹立しているが、其れを遥かに凌いでいるのである!
では何故此れ程までに長きに渡り此の本が出版され続けたかと言うと、其の大きな理由は2つある。
1つはこれ等の本には歴史、哲学、倫理学、宗教、文学、美術、自然科学、地理学、民俗学、人物伝記等の大変豊富な内容が含まれていて、読者に多大な知識と教養を与えてくれるからである。
もう1つはこれ等の図書には挿絵として手作りのLithographie(石版画)、Kupfer u, Stahlstich(銅版及び鉄版画)が載せられており、それ等の品質の高さと美しさは額装して壁に掛けても良い程である。
一つ奇妙な事にこれ等の図書には発行年が表示されていないのである。
其れ故、余は各巻の正確な発行年をどうしても特定したいが為、其の手掛かりになる章を見つけ出して読んでいるのである。
余が此の ”Neuer Deutscher Jugendfreund”を初めて知って購入したのは、今から12年前の2001年に我が地元BerlinのHumboldt Universität(フンボルト大学)の校庭でほぼ毎日開かれているAntiquarische Buchmesse(古本市場)であった。
当時購入したのは第43巻(1888年製)で、一目見ただけで其の高い製本技術のと美しい挿絵から大層な価値のある古書であると即座に判ったのであった。
尚、此の本が当時の図書の典型でFraktur(15世紀より伝わるドイツ式印刷文字)にて表記されている事は余にとって全く問題なかった。
何故なら余は19世紀以降の近代ドイツ語のみならず、ドイツ語の古文章のFrakturを読む事、旧筆記体 Sütterlin Schriftを書く事さえ造作もなく出来るからである。
(恐らく18世紀以前のドイツ語の古文章を読み書き出来るのは、日本人では余が一人だけであろうと自負している。増して戦後生まれの大学出のドイツ人ですら専門的に勉強した者以外は出来ないのだから。)
ところが上には上がいて此の能力に関しては我が親友Radeke牧師は余もとても敵わない程優れている。
因みに此の1888年はドイツ帝国では1年に皇帝陛下が初代WilhelmⅠ世→ FriedrichⅢ世→ 最後のWilhelmⅡ世と3回も交替した事から ”Drei Kaiser Jahr”(三皇帝の年)と呼ばれている。
此の本を偶然入手して以来、余はどうしても此の大層価値のある古書を更に集めて行きたいと云う願望が芽生えたのであった。
とは言うものの、これ等の本は一部手作りによるので、大量生産はされていない故、入手する事は容易ではなかった。
増して保存状態の良好な物件になると尚更の事である。流石に此ればかりは余一人だけではどうにもならず、我が地元の友人達にも協力してもらって、根気良く収集して行く事にした次第である。
其の上、これ等の図書に関して詳細に解説している文献やウェブサイトすら未だに存在していないので、余が個人的に研究、調査して行くしかないのである。
目下の所、43巻(1888年製)、44巻(1889年製)、46巻(1891年製)、68巻(1913年製)、そして69巻(1914年製)の計5冊所蔵しているのだが、これ等を含めると余の所有する第二次世界大戦以前の図書はドイツ製、日本製を合わせて45冊までになった。
そしてこれ等の価値あるドイツ製古書や同時代のドイツ製工芸品、版画、写真、絵葉書、切手等のコレクションを余は自分の絵画個展の折、ガラスケースに入れて展示して来たのである。
此れではまるで自分の才能のみならず、財産まで見せびらかせている様でいささか不謹慎な様だが、余は思うに天賦の才能を持つ者、貴重な財産を持つ者は、其れらが世の為、人の為に有益に活用出来るのならば、「出し惜しみ」をせず提供するのが正しいのではなかろうか。
此の考えはヨーロッパ的であるのみでなく、「原始仏教」でも同様に説かれているのである。

扨、更に余がこの ”Neuer Deutscher Jugendfreund”を閲覧して感じた事だが、これ等の本は発行された当時でもかなり高価な物件であった為、Aristokratie(貴族階級)、Bourgeoisie (有産階級)、学者等の所謂「上流」ないしは「特権階級」の人々にしか所有されていなかったと推測される。
と言うのも当時19世紀から20世紀初頭ではKlassengesellschaft(階級社会)のシステムが引き続き根強く残っていて、 Wissenschaftliche Ausbildung(学術的な教養)はほんの僅かな(国民全体の約15~20%位)の「支配階級」の所属者にのみ享受出来きる「特権」であった。
一方でProletarier(無産階級)の者は大抵の場合、学問とは殆ど無縁であった。
ところが貧困層、下層社会に生まれ育ったにも拘らず、後に「大人物」になった人々を余は世界の長い歴史の中で聞き知っている。
彼らの名前を挙げるときりが無いので今回は省略するが、其の人々の伝記を読んでみて彼らのある重大な共通点に気づいた。
其れは彼らが並外れて学習意欲が旺盛で、忍耐強く、勤勉で、其の上大きな『志』を持っていた事である。
当然の事ながら彼らは其の学習の為に大量の本を活用したであろう。
即ち『読書』と言う行為こそが、人生に於ける成功、勝利を得る為の「礎」(いしずえ)であると言っても過言ではない。
かの福沢諭吉先生は其の名著「学問のすすめ」の中で「これからの時代は学問を修めざる者には富貴栄達は有り得ない。」と提唱している。
其れに対し、ドイツの哲学者A.Schopenhauerは其の著作の中で「人間は読書によって多くの知識を得るが、次第に自ら考える意思を失って行く。」と言う独自の理論を展開させている。
此れに対して余の方針は我らが『伝教大師』こと最澄様の御教え「比叡山での十二年間の修行の内、前の六年は学習に専念し、後の六年は自ら考え行う事に専念せよ。」の如く、我が芸大時代も前の2年は学習に重点を置き、後の2年は自分の制作、個展の為に努力したのであった。
即ち確固としたIndividualität(個性)、Persönlichkeit(人格、人間性)を持っているなら、たとえ沢山の書物を読んでも、自らの思考力、行動力が減退する事は無いのである。

他方で余が呆れ返ってしまうのは、最近の所謂「出版不況」の言葉に象徴されるが如く、何と最近の日本人は本を読む事が少ないかである!
出版社、マスコミ等の調査によると、ここ20年間で日本国民の読書率が大幅に減少しているのである。
中でも特に地方の若者の半数が1年に殆ど本(雑誌を除く)を読まないそうである。
其の代わりに彼らは四六時中「携帯電話」で遊んでいる者が大半を占めている。
此れは正に古代ローマの後期Stoikerの哲学者Senecaの云う「多くの人が人生の時間を無駄に消費している。」の如くである。
一方我が地元である首都Berlinでは今でもHandy(ドイツ国内での携帯電話の呼び名)を四六時中使用する者など殆ど見かけない。
何故なら我々にはHandyはあくまで単なる「通信手段」に過ぎないからである。
そう言うBerlin市民の目には(他州のドイツ人にも同様だが)今日の日本人の所謂「ケータイ依存症」は誠に病的にしか映らないのである!
今日の日本人とは逆にドイツ人は相変わらず大の本好きである。
ドイツ語のUmgangsprach(俗語)に”Bücherwurm”(本の虫)とか”Buchhai”(図書鮫)等の表現がある位、本を貪り食うが如く買いあさる人が多い。
歴史の中に其の原因を探求してみると、ドイツではJ.Gutenbergが1445年にMainzにて「活字印刷機」を発明して以来、他国に先駆けて急速に製本と出版業が発展して行った。
其の為ドイツ語圏では人々が本と親しむ機会が増化したのであった。
参考に余の友人の政治家、大学教授、牧師、新聞記者、等は皆彼らの家を訪ねて、ざっと見渡しただけで800冊ないしは1200冊位の書物を所有している。
そして余も約1300冊の図書を所有している。 
又、上には上がいて中でも特に我が友人で前Berlin都議で文化局長だったR.Sauter氏は凡そ3000冊以上は持っている。
此の様にドイツでは学歴、功績、名声、地位等の高い人程沢山の本を所有しているのである。
ラテン語の諺”NOBLES OBRIGE”(貴族は義務付けられる)の如く、高貴な血統、家柄に生れし者も、少なくとも平均以上の教養を身に付けておかねばならない。
又、我が友人で本を1000冊以上持って、”Wandellexikon”(歩く百科事典)と渾名されるS.Schilaskiはこう言っている。「本は僕の最高の友人だ。色々な事を教えてくれるし、文句一つ言わないし、決して裏切らないからさ。」

最近の若い世代に自分の周囲に尊敬に値する教師や上司がいない事を指摘する者が多いと聞く。
其れならばこそ自分の尊敬出来る、偉人、英雄、賢人、人傑に関する本を読めば良いのである。
其れによって彼らの思想、行動、価値観等を学べるのである。
ドイツの児童文学作家W.Busch の代表作"Max und Moritz"の中に登場する教師がこう述べている。
>Also lautet ein Beschluß daß der Mensch was lernen muß, lernen kann man, Gott sei dank, aber auch sein lebenslang.<
(最後に申しておきますが、人間は何を学ぶべきか?其れは人間は学習能力がある事を神に感謝する事です。そして其れは一生涯続くと言う事です。)
人間は「学習」によって己の能力や人格を向上させる事が出来るのである。
学習をせず本能的な欲望のみで生きる者は最早、人間界に於ける「畜生」又は「餓鬼」にまで落ちぶれるのである!
そうならない為にも人間は皆、能動的且つ受動的に学習して行かねばならないのである。

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