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ビューティシルク シルク美容室 の日記

美術工芸品と古書の収集と修理について

2014.08.11

今年の6月21日に東京都・板橋区の仏教美術を扱う桜清流堂より黄楊の木で細密に彫刻された年代物の「宝船」を送ってもらった。
此の船には当初より、「帆」が欠落しているのを承知の上で購入した。
何故なら、自分でマストと帆を作る自信があったからである。
本業の絵画制作を一時中断して、此の「宝船」に祝箸でマストを作り、そして帆を和紙で作り真ん中には「日の丸」の上に「寶」と書いて、裁縫用の糸で「張り線」を作って出来上がった。
船上の「恵比寿様」の釣竿も欠落していたので、竹箒の先で竿を作り、最も細いナイロン糸を釣り糸として取り付けた。
此の「宝船」は推定で30年程経年している故、其の他の船上の「七福神」や「宝物」を貼っている接着剤が劣化しているのを、新たに貼り直す事で全体の修復作業が完成した。
此の「宝船」は違例な程安価であったので更に3隻購入し、1隻目と全く同じ方法で、「日の丸」の上の「寶」と張り線の糸の色だけ変えて作り上げた。
此の中には「毘沙門天」の持つ「三叉戟」(さんさげき)の穂先が消失しているのがあったので、穂先をも金属パテで作って修復した。
そしていつも御世話になっている我が友人達に贈呈した処、皆大変喜んでくれたのであった。
(追伸:10月14日に桜清流堂の社長から御祝いの品物を複数頂戴し、余は大変感謝している。)

此れだけでは終わらず、7月13日には同じく東京の別の古美術店よりイタリア製の大理石とリジン(人工樹脂)で鋳造されたSt.Georginusが馬に乗ってDragonを退治している像を送ってもらった。
此の像にも肝心の槍が欠落していたので、三度余は祝箸のを柄にして金属パテで、穂先を作って像と同じ色を油絵の具で塗って仕上げた。
まさか2か月立て続けに「祝箸」で美術工芸品が蘇らせる事になるとは思わなかった。
模型製作や美術工芸品の修復は、(公共事業としての)個展の為に毎日絵画制作をしている余にとっては、結構面白い気分転換になるのである。

すると今度は同月20日頃に余が初めてドイツ(Bremen)に留学していた1989年に当市で購入した手鏡の柄が折れてしまった。
既に代わりにイタリア製のArt Nouveau様式の手鏡を購入しているので、此れを処分しても別段不自由は無いのだが、 何分思い出の品である上に余の一番お気に入りのRococo様式なので、どうしても捨てられず、何とか修理しようと考えた。
此の手鏡は錫鋳物による物で、溶接技術を持つ我が友人や知人等に何件か尋ねて見た処、いずれからも錫の溶接は不可能であるとの回答があった。
瞬間接着剤で貼り合わせても長持ちしないし、こうなったら唯一そして最後の手段という事で、折れた両方の部品の接合部分に電動(金属用)ドリルで穴をあけて、そこへ鉄の釘の頭を切り取った物を2本差し込んで、手鏡を上下両方から木槌で打ち込んでみた。
修理作業は思いの外功を奏し、直した手鏡は最早振り回しても折れない程丈夫になったのである。

更に8月上旬には福岡県と千葉県の古書店より明治41年(1908)から43年(1910)にかけて発行された「平家物語講義」一巻~六巻を送ってもらった。
大変安価に購入出来た割には全体的な保存状態は予想以上に良好であったが、一巻と二巻に所々(万年筆による)線引きや書き込みがあったので、これ等を消去する事にした。
紙がある程度厚いのなら「インク用消しゴム」で消去出来るのだが、今回の物は半紙の様に薄いのでそうは行かない。
今まで余は江戸時代、明治時代に発行されている書籍を幾つも購入して、汚れ、書き込み、破損した部分をその都度修理して来ている。
最近の例を挙げると、購入した「台学入門」(明治40年、1907に発行された天台仏教学入門書)にも同様に万年筆による青インクの線引きが数頁に及んであったので、其れを消去した事がある。
其の方法とは油絵の具を本の古くなって黄変した紙に色を合わせて、其れを針の様に細い筆で引かれている線を塗り潰すと云う技法で、今回も此の技法を採用するしかなかった。
しかし今回は、黒インクで線引きや書き込みがされているので、先ずプラモデル用の油性塗料の白でこれ等を塗り潰し、更にその上から本の紙に色を合わせた油絵の具を塗ると云う手法で仕上げた。
扨て、「平家物語講義」についてなのだが、此の書物は本来の「平家物語」(流布本)の一巻から十二巻全ての原文に当時の古典学者の今泉定介先生(1863~1944)によって解説、注釈が付けられている。
鎌倉時代に成立した文献を明治時代の文章で解説しているので、それぞれの時代の日本語を比較しながら読んで行くのが非常に面白いのである。

8月18日には10年使ったお気に入りのWhite Gold(白金)製スクリューネックレスの留め金のバネが壊れて、閉まらなくなった。
購入した大手業者に尋ねた処、此れはイタリア製なので、同じ留め金が入手不可能な故、此の品物を当社に送って、日本製の「引き輪」で代用して修理するしかないと云う返事であった。
一般の人なら宝石店に修理を依頼する処だが、余は少年時代よりJewelryが好きで、小学校の頃からNecklessを身に着けていた事もあって、当時から自分で修理までしていた位である。
早速、近所の親しいメガネ、時計、宝石を扱う店に行って「引き輪」について尋ねてみると、幸い在庫があり、古い物という事で親切にも原価で分けてくれたのである。
御蔭で余は此のお気に入りのWhite Goldのスクリューネックレスを直ぐに修理する事が出来た。
日本女性の感覚では「男のくせにJewelryが好きだなんて!」と不思議に思われるかも知れないが、実はヨーロッパの貴族社会では中世(11世紀頃)から18世紀頃まで、貴金属宝石の装身具は専ら女より男の方が多く身に着けていたのである。
余は本来「天台宗徒」である事から、天台宗専用の「平数珠」を当然持っているが、Brandenburgの教会から大恩を受けた事とDeutscher Ritterorden(ドイツ騎士団)への憧れがある事、そしてSaphir(サファイア)が自分の誕生石であり、キリスト教では修道士の「純潔」「貞操」「忠節」の象徴であり、「魔除け」でもある事から、Saphir、Gold、White Gold、Platina製の十字架のPendantをいつも身に着けている。
ついでに言うなら、余の愛用するBoots(革製長靴)も同様で、本来は貴族男性、又は軍隊の将校が履く物で、19世紀以前のヨーロッパでは寧ろ女性がBootsを履く事自体、先ず滑稽で有り得なかったのである。

其の他、割れた陶磁器製の人形を修理するには、瞬間接着剤で各部品を貼り合わせ、素焼きの場合は瞬間接着剤とゴム系の接着剤の両方で貼り合わせるのが相応しい。
其の後、接合部に隙間がある場合は其の部分にパテ等を爪楊枝で埋めて、ある程度乾燥するとカッターナイフや細い鑢等で表面を平らに成形し、其の上から油絵の具で表面と同じ色を塗り、これが乾燥すると其の上に透明のニスを塗って仕上げるのである。
あらゆる美術工芸品の修復に共通している重要事項として、如何にして破損部分を目立たない様に直すかという事と、場合によっては以前の状態よりも美しく、頑丈に修理する事なのである。
又、美術工芸品を購入、収集するに当たって余が気を付けているのは、金銭価値や一般の評判に惑わされない事である。
何故ならこれ等の要素は、しばしば人間本来の「鑑定能力」(審美眼)を狂わせる事があるからである。
実に世の中には価格だけが高い見かけ倒しの粗悪な物があれば、安価でも品質の優れた物も数多くあるのである。

日本に在住している又は長期滞在した事のあるドイツ人が皆同様に指摘しているのが、「日本人の生活は成程裕福ではあるが、余りにも無駄が多過ぎる。」と言う事である。
実例を挙げると、一部のブランド品の様に名前だけで大して価値の無い物を法外な値段で買い取る。
まだ使える物や、修理可能な物まで安易に捨てる。
食料品を余りにも多く捨てている。(呆れた事に日本国内で1年に廃棄処分される食料品はアメリカの其れより多いらしい。)
リサイクル、再利用出来る物をしない。政府、各自治体の予算の非合理的な無駄遣い。等
余自身が既にドイツに足掛け13年住んでいるので、ドイツ人の合理化されたLebenshaltung(生活態度)並びに Haushalt(家計、生計)を経験して、成程多くの感心と共感を得る物があった。
人間は「裕福」に慣れ切ってしまうと、其れに対する感謝の念を忘れがちになる事がある。
「裕福」を過信して、不合理で理不尽な浪費を続けて行くと、最後には「貧困」又は「破滅」にまで零落する事を心得ておかねばならない!

10月29日に茨城県の骨董屋より送られた、江戸時代前期の名工・野々村仁清の様式を受け継ぐ「京焼」の非常に見事な「鳳凰」の置物を手に入れた。
此の作品は仁清の傑作と言われる国宝・「色絵雉香炉」を彷彿させる物があり、保存状態、絵の具の色から明治時代初期に制作されたと推定される。
 「鳳凰」とは本来、古代中国の伝説に現れる空想上の奇跡を起こす神聖な鳥ではあるが、作者は想像力を生かして、孔雀と尾長鶏を掛け合わせた様な姿に造形しており、鮮やかな十二色の絵の具で細密に彩色していて、其の上保存状態も極めて良好なのである。
余も今まで日本とヨーロッパ10か国にて、多種多様の陶磁器製Figur(フィギア、像)を見て、収集して来ているが、「鳳凰」の彫像は見るのも初めてである。
京焼は信楽焼、瀬戸焼、九谷焼と並んで日本の窯業の中でも特にFigur(像)を多数制作しており、これ等の窯元では明治初期の時代には今現在の様な「七福神」「十二支」「高砂」と云った典型的な「縁起物」のみならず、他にも様々なFigur(フィギア、像)が制作されていた様である。

2019年の追伸:
余はドイツに1989年に初めてSchwäbisch-Hall及びBremenに留学して以来"Deutsche Porzellansammlung"(ドイツ製陶磁器のコレクション)を始めており、1991年~95年までKunstakademie Dresdenで学び卒業し、1994年以来、我が地元となる首都Berlin、及びBrandenburg州で公認の芸術家として2003年まで活動し、此の時代も引き続き陶磁器を収集し、日本へ帰国しても尚此のコレクションを続けている。
今まで集めて来た作品を制作したPorzellanmanifaktur(陶磁器工房)の地名は以下の通りである。
Arzberg(1881), Berlin KPM(1763), Bremen(1883), Dresden(1866), Fürstenberg(1747), Gräfenthal(1861), Höchst(1756), Kübs(1890), Meißen(1711), Neuses(1958), Nymphenburg(1761), Plaue(1817), Rödental(1871), Scheibe-Alsbach(1838), Selb・Hutschenreuther(1814), Selb・Rosenthal(1879), Sitzendorf(1850), Staffelstein(1872), Tettau(1794), Unterweißbach(1880), Varel(1953), Volkstedt(1767), Waechtersbach(1832), Waldsassen(1866), Wallendorf(1764) ※( )は各工房の創設年を示す。

5月16日及び18日、更にGräfenthalのFitis(鳥の名)のフィギュリン及びUnterweißbachの"Dame mit Bouquet"(花束を持った貴婦人)のフィギュリンを入手した。
更に23日にはGoebelのHummel-figurの"Abendlied"(夕べの歌)、25日にはHutschebreutherの"Karussel Spieldose"(メリーゴーランド・オルゴール)を入手した。  そして終に我が誕生日9月5日には、1991年以来探し続けて、半ば諦めていたHöchstのフィギュリン”Magd im Wind”(風の中の少女)と“Teegenießerin”(お茶を嗜む女性)を入手した。
此れはあたかも幸運の女神が我が誕生日の祝福に授けてくれた様な思いである!
此れにて我がドイツ製陶磁器のコレクションは合計87個となった!
集め始めた頃には精々30個集めれば上等と思っていたが、まさか此れ程の数にまで達するとは思わなかった。
誠に諺の「継続は力也。」又はラテン語の諺"IN PERSEVERANTIA VERITAS"(執着こそ真実也)とは良く言った物である。

尚、余が個人的に収集したドイツ、フランス、イギリス、イタリア、ハンガリー、デンマーク、日本、中国、等の代表的な陶磁器のコレクション”Porzellansammlung”(54点収録。解説:ドイツ語/日本語)は我がヤフーボックスの次のアドレスにて閲覧出来る。
(https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-qlpzqscyxup5xp5cnxltptm5zm-1001&uniqid=61722d12-6186-466c-b909-5066d636c848)

Kunstmarkt von Heinrich Gustav  
 
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