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ビューティシルク シルク美容室 の日記

我が家の駐車場の庭に咲く野薔薇とドイツ文化の中の薔薇

2020.05.16

5月の初頭より我が館の斜め向かいに経営する駐車場の庭に、大量の赤い野薔薇が咲き乱れている。
此の木は我が家の駐車場を整備した時(1990年)より植えられていて、毎年多くの花を咲かせて、我が家族や客人達を楽しませてくれている。  
しかし今年は此の野薔薇が尋常とは思えない程(高さ:約2m、幅約:2m70cm)までに発育し、前例が無い程の沢山の花(約2400輪以上)を咲かせている。
同時に駐車場の庭で栽培している葡萄の木、欅の木、柘榴の木、其の他の草木も大変な発育をしているので驚いている。 
しかし未だ其の原因が分からないので、嬉しいと同時に不思議な思いである。 

参考に「野薔薇」についての植物学的な解説は以下の通りである。
バラ科バラ属の落葉低木。 別名で「のいばら(野茨)」とも呼ばれる。
ラテン語の学名は Rosa multiflora、(沢山の花を付ける薔薇の意味)、英語名は Japanese rose。 
日本の各地に分布し、日当たりの良い山野、草地、藪等に生え、高さは2m程になる。
枝は全体的に少し蔓性で鋭い棘がある。
葉は奇数羽状複葉で互生し、卵形から長楕円形の小葉が3~4対付く。 
5月から6月頃にかけて枝先に径2~3cmの白色五弁花を10個内外に付け、芳香のある白ないしは赤い花を咲かせる。  
果実の様に見えるのは偽果で、秋に赤く熟する。 又、乾燥した果実を生薬の「営実」(えいじつ)と呼び,利尿薬・下剤として利用される。

一方、ドイツでは野薔薇は大文豪Johann Wolfgang von Goethe先生によって書かれた詩"Heidenröslein"が有名で、後に此の詩を元にL.v.Beethoven, F.Schubert, R.Schumann, H.Werner, J.BrahmsがLied(歌曲)を作曲している。
※野薔薇はドイツ語で又の名を"Heckenröschen"とも言う。
此の詩の原文は以下の通りである。
>Sah ein Knab' ein Röslein stehn, Röslein auf der Heiden,
War so jung und morgenschön, Lief er schnell,
es nah zu sehn, Sah's mit vielen Freuden.   
Röslein, Röslein, Röslein rot, Röslein auf der Heiden.         
Knabe sprach: ich breche dich, Röslein auf der Heiden!           
Röslein sprach: ich steche dich, Dass du ewig denkst an mich, 
Und ich will's nicht leiden.                          
Röslein, Röslein, Röslein rot, Röslein auf der Heiden.           
Und der wilde Knabe brach's Röslein auf der Heiden;
Röslein wehrte sich und stach,
Half ihm doch kein Weh und Ach,
Musst'es eben leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot, Röslein auf der Heiden.

< 和訳: 「一人の童子が一輪の小さな薔薇が咲くのを見付けたり、野に咲く小さな薔薇、
其れはいと若く、朝の如く美しく、彼は急ぎ呼び、近寄りて喜び多くして見たり。
赤き小さな薔薇、野に咲く小さな薔薇。
童子曰く:野に咲く小さな薔薇よ、僕は君を摘み取るよ!
野薔薇は答える:ならば我は汝を(棘で)刺そう。汝が永遠に忘れない程に。
なれども我は汝を悩ませたくはない。
赤き小さな薔薇、野に咲く小さな薔薇。
そして、童子は小さな薔薇を野から摘み取ったり:小さな薔薇は己を守る為に彼を刺した。 
彼の(指は)痛み無けれど、(心は)悩みにけり。
赤き小さな薔薇、野に咲く小さな薔薇。」

又、17世紀ドイツの詩人であり神学者であったAngegelus Silesius (J.Scheffler)は彼の詩集”Cherubinischer Wandersmann”の中で、以下の詩を書いている。
>Die Rose ist ohn warumb / sie blühet weil sie blühet. Sie achtt nicht jhrer selbst / fragt nicht ob man sie sieht.<
和訳: 「薔薇は自分が咲く訳も知らずに咲いている。 彼女は人が自分を見ているかどうか気にも留めないし、尋ねる事も無い」。
此の詩への余の個人的なInterpritation(解釈)を述べると、薔薇を類稀なる美人にVermenschlichung(擬人化)している様に思えるのである。
類稀なる美人とは自分が何故美しいかと云う理由も、そして他人が自分をどう見ているかも気にも留めない。
即ち虚栄心の無い全くの“Natürlichkeit“(自然体)であると言う事である。

余は少年時代より此のGoethe先生のドイツ語原文のGedichte(詩集)もF.SchubertのLied(歌曲)も共に所有して親しんでいた。
そして大学卒業直後、余の最愛のフランスの作曲家H.BerliozがTh.Gautierの詩を元に作曲した歌曲集"Nuis d'été"(夏の夜)をCDで購入した。
其の中に、"Le spectre de la rose" (薔薇の精)と言う何とも優美な歌がある。
其れ故、我が家の経営する駐車場の庭に咲く赤い野薔薇に大層な愛着を感じるのである。
人間の手によって交配、品種改良された鑑賞用の薔薇も勿論美しいのだが、野薔薇の様な原生品種も又美しく、其れなりの魅力を持っているのである。

因みに赤い薔薇のBlumensprache(花言葉)は”Liebe und Leidenschaft”(愛と情熱)、黄色い薔薇は”Eifersucht”(嫉妬)そして野薔薇のBlumensprache(花言葉)は複数の作曲家が此のGoethe先生の詩"Heidenröslein"を元にLied(歌曲)を作曲した事から、"Gedicht und Lied"(詩歌)そして "Geniales Talent"(天性の才能)だそうである。
更にドイツ語ではRose(薔薇)は其の他の花の名前の表現にも使われる。
例:Christrose(キリストの薔薇=クリスマスローズ)、 Pfingstenrose(聖霊祭の薔薇=シャクヤク)、Seerose(湖の薔薇=睡蓮)、 Rosenlorbeer(薔薇+月桂樹=キョウチクトウ) そして女性の名前Rosa, Rose, Rosi, Rosabella, Rosalba, Rosalia, Rosalie, Rosamunde, Rosanna, Rosangela, 等としても使われる。

ドイツの伝統工芸の代表格であるPorzellan(陶磁器)のManifaktur (工房)は世界的に有名な Meißen, Berlin KPM, Dresden, Fürstenberg, Höchst, Hutschenreuther, Ludwigsburg, Nymphenburg, Plaue, Rosenthal, Rödental, Scheibe-Alsbach, Volkstedt, Wallendorfを始め多数存在している。
余もPorzellan(陶磁器)をドイツ各地の美術館、宮殿、城の中で多数見て来たし、自分でも多数収集しているので熟知しているのだが、これ等の作品のBlumenornament(花柄)で最も多く使われているのも薔薇である。
又、王侯貴族の宮殿、城のAusstattung(調度品)のデザインと主題でも薔薇は特に好まれ、よく使われている。
余も同様に自分のBekleidung u, Schlafzimmer(衣装室兼寝室)のZimmerdekoration(室内装飾)も”Rosen Motiv”(薔薇主題)に統一している。
(※此の趣味は最近の表現で「姫系」と言ってからかわれる事がある。)

世界中で有名なBrüder Grimm(グリム兄弟)が編集した童話集“Kinder und Huasmärchen”の中にも、薔薇に因んだ“Dornröschen”(茨姫)や “Schneeweißchen und Rosenrot”(白雪と薔薇紅)と云った物語があるし、”Kinderlegenden”(子供達の伝説)の中にも“Die Rose”(薔薇)と云う北ドイツのMecklenburg州の方言で書かれた伝説がある。
他にも19世紀後期のドイツの作曲家R.Straußが作曲した歌劇“Rosenkavalier”(薔薇の騎士)と云うのもある。
これ等数々のKultureller Beispiel(文化的実例)を見ても、正に>Die Rose ist Königin der Blumen<(薔薇は花の女王)と言われる所以である。

余が「薔薇」に特別な愛着を持っている一番の理由は、自分のPersönlichkeit(総合的人間性)を花に譬えたら断然Rote Rose(赤い薔薇)であると思えるからである。
*薔薇の花のSchönheit(美しさ)は成程比類無き物ではあるが、場合によっては其の美しさがHochmut(高慢)、Überheblichkeit(気位の高さ)の象徴と見なされる事すらある。
*余の描く絵画作品も其のSchönheit(美しさ)、Deteilisiesrung(細密描写)そして Vollkommenheit(完成度)では比類無き物ではあるし、其の上天性の才能のみならず容姿の美しさでも誰からも賞賛される。
だが其れがHochmut(高慢)、Überheblichkeit(気位の高さ)ないしはNarzißmus(自惚れ)と云う悪しき性格を形成してしまった。
正に全く共通しているドイツ語の諺>Keine Rose ohne Dornen.<と、日本語の諺「美しい薔薇には棘がある。」其の者となっている。
詰まりSchönheit(美しさ)と同時に他人を傷付けるGefahr(危うさ)も共有していると言う事である。
又、ドイツ語の諺には>Dummheit und Stolz wachsen auf einem Holz..<(愚かさと高慢は一本の木から生える)と言うのもある。 
即ちStolz, Hochmut(高慢)への戒めである。
*園芸業者によると、薔薇は他の植物に比べて、非常に扱いにくいとの事である。
例: 大雨に脆く、寄生虫の害にも弱い。
*余も同様に雨が降る日は体調が優れないし、怪我には強いが、ウィルスへの抵抗力が弱い。
*そして薔薇は美しい花を咲かす事は出来ても、実を生らす事は出来ない。
*余も芸術家として、業績、名声、地位、人気は獲得して来たが、金儲けは出来なかった。 (しかし、Rosengarten(バラ園)の薔薇が人為的に守られているが如く、余は我が家の財産の御蔭で生活には全く困らない。)
此の様に薔薇の性質、特徴は良きにつけ悪しきにつけ、て余のPersönlichkeit(総合的人間性)にそっくり適合しているのである。
「自分で其れだけ分かってるのなら、少しは反省して改めろ!」と言われるかも知れないが、Charakter(性格)とは完全に治せないので、Gedanke(考え方)、Bereitschaft(心得)を改めるしか方法は無いのである。

其れでも余はただ美しいだけで所詮「見世物」にしかならない薔薇よりも、寧ろ「麦」の様に踏まれる度に強く育ち、しかも人間の食の足しになる穀物の方に遥かに価値があると思えるのである。
人間界でも同様で、美しさだけを見せびらかして、賞賛される事で己惚れている者よりも、たとえ地味でも「勤勉」、「謙虚」、「忍耐」等の美徳を備えて、世の為、人の為に貢献している人こそ、誠に価値があって称賛に価するのである。

追伸:6月中旬から我が家の駐車場の庭では、野薔薇に続き赤や白の鑑賞用の薔薇も咲き始めている。
これ等は野薔薇程数多くは咲かないが、大輪、中輪の薔薇なので個々の美しさが味わえるのである。
「花の命は短い」と言うが、余はこれ等を見る時には「毎年美しい花を咲かせて、健やかに長生きしろよ!」と願いを込めて話しかけてやっている。
そして花々の命が短い物であるがこそ、余はこれ等を写真に撮ったり、絵に描く事によって、其の美しさを画像として残してやる様にしている。

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我が家の駐車場の庭に咲く野薔薇とドイツ文化の中の薔薇

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