ビューティシルク シルク美容室 の日記
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新時代「令和」の到来と「平成」時代を振り返って
2019.04.30
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4月1日、日本史上最初の元号「大化」から数えて248番目の新元号「令和」(今年の5月より始まる)が内閣府より発表された。
予てより新元号は日本の古典を参考に選定すると聞いていたので、大方「万葉集」か「古今和歌集」位が参考にされると予想していた。
「令和」とは「万葉集」の第三十二首「梅花(うめのはな)の歌」「初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す。」よりの二文字を選出して命名されたとの事である。
日本の歴史の中で過去の元号を調べて見ると、「和」の字を使った物は20例もあるが、「令」の字は此度が初めての事で、誰もが予想していなかった様である。
1989年に元号が「昭和」から「平成」に変わった時、余は「昭和」時代が64年も続いた関係で、「平成」時代は左程長く続かないのではないかと予想していたが、結局の処31年も続いたのであった。
此れも天皇陛下の御健康と長寿の賜物であると存じ上げている。
天皇家の歴史を紐解いて見させて頂くと、天皇陛下の譲位は過去に119件あり、今回の陛下の大御心による退位は光格天皇(文化14年・1817)以来である。
1889年(明治22年)に制定された大日本帝国憲法及び旧・皇室典範・第10条にて、天皇の崩御によって皇位の継承が行われることが規定され、天皇の譲位を認めない事が明文化されている事からは異例と言える。
しかしながら陛下は御自ら取り行われる国事行為を完全に遂行しなければならないと言う責任感と、御自分の年齢による健康状態を御配慮された上での御決断であったと思われる。
戦前の昭和時代までの天皇陛下は正に国民にとっては「生き神様」の如き畏れ多き存在であったが、平成時代の天皇陛下は国民の位置まで降りて来て下さる様に、国民にとって親しみ易い「国家の象徴」として過去に例の無い存在となられた。
本日4月30日、天皇陛下は退位礼正殿の儀で次の御言葉を述べられた。
「今日をもち、天皇としての務めを終える事になりました。 只今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。 即位から三十年、此れまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得た事は、幸せな事でした。 象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。 明日(あす)から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くある事を、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。」
多くの国民同様に余も陛下の31年に亘る御在位と御務めに心より感謝と敬意を申し上げます。
そして上皇陛下となられてからの御安息と御健康を心より祈らせて頂きます。
本来「平成」とは「平和に成り立つ」と言う願いを込めての命名であったが、思い起こせば此の時代(1989~2019年)は憲法による「戦争放棄」と「平和維持」の取り決めと精神により、明治時代から昭和時代前半の様に日本が戦争に参加する事こそ無かったが、政治、経済、そして自然環境に於いては誠に激動の時代であった。
平成前半期の政治部門では自民党と此れに対立する野党が政権を何度も奪い合った事に影響してか、国民の政治家に対する期待や信頼性も著しく低下している。
経済部門では平成の到来と同時に所謂「バブル経済」が崩壊し、日本では株が急速に暴落し、多くの企業が業績不振に陥り、事業縮小、又は倒産の負い目に遭った。
此れに呼応して各業界からの求人、雇用が急激に減少した。
更に市場では中国から安価で(低級な)製品が大量に輸入され出回った事も影響して、価格の安さを最重要視する傾向が著しくなり、Deflation(デフレ)現象に歯止めがかからず、物価の下落が急速に進み、物品の品質まで低下してしまった。
そして自然環境では1995年1月17日の「阪神淡路大震災」(死者6400人以上)、2011年3月11日の「東北大震災」」(死者2万人以上)、「平成30年7月豪雨」(死者200人以上)の様な戦後未曾有の自然災害が多発した。
扨、余個人にとって「平成」時代は正に"Die Zeit der Entwickelung und Gloria"「躍進と栄光の時代」であった!
と言うのも1989年に余は念願の初のドイツ留学(Goethe-Institut, Schwäbisch=HallとBremen)を果たし、後の1991~95年に名門芸大Kunstakademie Dresdenにて大変有意義な学生生活を送り、既に在学中の1994年に公共事業によってプロの画家としてのデビューを飾った。
其の後一旦日本に帰国し、1997年よりドイツの首都Berlin及び此れを取り囲むBrandenburg州にて度重なる公共事業としての個展を幾度も開催し、我が作品を当地の複数の公立博物館、教会、等に寄贈し、様々な賞賛と授与、叙勲を賜り、我が作品と名前を歴史に未来永劫に残す事を決定付けたのである。
其の後2003年に我が地元となったBerlin、Brandenburgを後にし、徳島県鳴門市のドイツ館にて2016年まで9度に渡る個展を開催し、其の上、天台宗総本山・比叡山延暦寺より委託を受けた作品群を2011年、12年に奉納する事によって、ドイツのみならず日本でも功績を積み重ねた。
そして2016年の個展(日独通算20回目)を最後に、己の活動と功績に十分満足した事と、家庭の用事が増えた事を理由に、公共事業から一旦引退させてもらう事にした。
其の後も複数の展覧会の依頼はあったが全て断って、今日では芸術制作は専ら個人の趣味として続けている。
平成時代に「格差社会」と云う言葉が蔓延して以来、今日でも尚「経済格差」は開く一方である。
そんな社会情勢を物ともせず、余は今まで公共事業としての我が個展の為にだけ作品を描き続け、其の後には作品を開催地に寄贈して来た。
要するに自分の営利を度外視して、無報酬、無所得で公益の為に貢献して来たのである。
一般庶民なら此の様な事を続けていては自分の生活を保持する事が出来ないが、余は幸いにして我が家の「財産」(金融、不動産、物品)及び8種類に及ぶ「非労働収入」(不労所得)の御蔭で何不自由無く生活出来るのである。
此の事には我が親や御先祖様に心より感謝したい処である!
余にとって「令和」時代は"Die Zeit des Ruhestand"「隠棲(又は閑居)の時代」となりそうである。
とは言え古の諺「小人閑居して不善を為す。」の様にならない為、余は財産の上にあぐらをかいて其れに甘んじて生きる様な事だけはしない様に心掛けている。
即ち今までは公共事業の個展と云う表舞台で常に「主役」として花を咲かせて来たのが、此れからは「縁の下の力持ち」ないしは木を支える根の様な役割を担う事になるのである。
花は散っても木は生きていられるが、根が腐ると木は忽ち枯れしてしまう。
要するに根は一見地味ではあるが、花以上に重要な役割を担っているのである。
我らが天台宗の高祖・智顗大師は其の著書「天台小止観」更に「摩訶止観」の中で、「※大人(たいじん)は閑居すべし。」と隠棲(又は閑居)の生活を勧められている位である。
(※徳の高い立派な人。度量のある人。大人物。地位や身分の高い人。)
実に智顗大師も御自ら575~585年の10年間、38歳から48歳の間、天台山に閑居されて学習と修行を続けられると同時に、自ら開基された「天台教団」の指導、運営に勤めておられた。
後に最晩年の595~97年にも、再び天台山に閑居されて御入寂されたのである。
大師の此の御言葉を「大人は下層社会に浸り過ぎて其の気高き精神や志を汚してはならない。そして下世話に振り回される事無く、己に精神を集中させて志を果たすべきである。又、人間社会を正しく知るに為は、そこから逸脱して外側から観察する事が必要である。」と余は解釈している。
他方で今年の3月29日、内閣府は40~64歳の「引きこもり」の人が全国で何と61万3千人もいるとの統計結果を公表した。
中高年対象の調査は今回が初めなのだが、2015年度の調査で推計した15~39歳の54万1千人を遥かに上回っている。
引きこもりの原因は様々であろうが、最も多いのは「退職」(又は失職)で36.2%、「人間関係」(21.3%)、「病気」(21.3%)、「職場に馴染めなかった」(19.1%)と続く。
確かに現在の日本の社会構造にも改善すべき問題が多々あるのかも知れないが、此の様な人達は少なくとも自分の人生に於ける「価値観」や「目的」そして「希望」だけは見失ってはならないのである。
又、今日の日本人は先進国の中で「幸福感」や「自己満足度」が最も低いとの統計も出ている。
心理学的に分析すると、これ等のNegativ Mentality(自己否定的な精神構造)も引きこもりの原因であると余は推測している。
家の財産の御蔭で何不自由無く生活出来る上、骨の髄までNarzißt(自惚れ屋)の余にはとても此の様な精神構造は理解出来ないが、彼等には誠に深刻で気の毒な状況であると思えてならない。
此の様な状況下では彼等の為にも自治体や医療福祉団体やNPO(非営利団体)による「心理療法」や「就職相談」又は「ボランティア活動」等の社会復帰への特別な支援対策も必要なのかも知れない。
元号が変わるのを機に、余は此れまでの我が人生を振り返って見て余りにも幸せで恵まれていたと言わざるを得ない。
何故なら余は少年時代から「天才」とか「巨匠」と称される過去の芸術家達の伝記を読む事によって、芸術家として生きる事は大変な苦悩や困難、又は非業な運命が伴う事を幼心なりに知っていた。
そして自分も彼等の様な経験をする事を覚悟していたからである。
ところが実際には自分がやりたい事を思う存分成し遂げて、自分の理想以上のErfolg「成功」、Lobpreisung「賞賛」、Gloria「栄光」そしてEwigkeit「永久」と言う美徳を獲得出来たからである。
此れにて芸術家として為すべき事は全て成し遂げて来たと自覚している。
そして「愚か者」や「軟弱者」が陥り易い大食、遊興、姦淫、其の他、悪質な「依存症」等に全く関わる事無く、常に健康、堅実、禁欲、合理、誠実、真面目、を重んじて生きて来た故、我が人生に大いなる満足はあれども何ら後悔は無い。
故にいつ此の世を去っても惜しげは無いと思っている。(正直な処、長生きしたいと言う欲も無い。)
因みにロシアの大文豪L.Tolstòj の格言に「死への準備をすると云う事は、良い人生を送ると云う事である。 良い人生程、死への恐怖は少なく、安らかな死を迎える。 崇高な行いを成し遂げた人には、最早死は無いのである。」(即ち「不滅の人」になれるという事。)
此の格言に余は多大な共感を得るのである。
余は後何年生きて行けるかは分からないが、此れよりは現世で命ある限り我が人生最大の恩人であり、我が命より愛しき人である母上の為に貢献して生きていたいと思っている。
そして一人の「隠居」の身としては、せめて日本国と日本国民にとって新時代「令和」に禍少なく幸多き事を願うばかりである。
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