ビューティシルク シルク美容室 の日記
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「病は気から」、「運気」も「元気」も「根気」も全て「気」から
2018.06.26
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2018年は新年以来万事が順風満帆に進んでいたのだが、5月の「大型連休」が始まって以来、突然複数の煩わしき問題(家庭の設備、生活用品の故障)が立て続けに起きて、解決しようにも各業者が休みなので、「大型連休」が明けるまでじっと待たねばならなかった。
此の期間、余は作品制作でいつも以上に神経に負担がかかり、其の上、指に怪我までしたのでストレスが蓄積して精神的に疲れてしまった。
とは言え連休明けには問題は殆ど直ぐ解決したし、残り一つの問題も既に解決しているので安心している。
月が変わり、6月3日の夕食時にテレビのチャンネルを変えていると、長寿漫画「サザエさん」を放送していたので、懐かしさも手伝い久方振りに見入ってしまった。
其の中の二本目「ボクの命運」では、磯野家の長男カツオ君が自分のツキ(運)の無さを愚痴っていると、義理の兄のマスオさんが来て、「運は行動して自分で呼びこまなくちゃいけないよ。」と彼を諭した。
此れを見ていて余は「児童向けのアニメなのに随分良い事を言うではないか!」と感心したのであった。
誠に「運」とは訪れるのを待っているだけでは容易に手に入らない、そうではなくて自ら運を切り開いて行かねばならないのである。
此の漫画は一見素朴で単純に感じられるのだが、原作者の長谷川町子さんが1946年に福岡県の地方新聞社の雑誌「夕刊フクニチ」に発表して以来、健康上の理由で何度か中断期間こそあったが、愛好者達からの励ましもあって1974年まで連載を続けた。
ここに長谷川町子さんの「気力」が感じられるのである。
そして2018年(平成最後の年)になっても尚アニメーションとして放送されているのであるから誠に驚きである。
1770年12月16日は大作曲家Ludwig van Beethovenの誕生日とされている。
此れは後世の音楽学者の推測であって、もしかすると翌日の17日とも考えられる。
Beethovenが1802年に進行性の難聴を苦に当時の住所Wien郊外の Heiligenstadtにて遺書を認めた事はMusikwissenschaft(音楽学術)に詳しい人の間では有名な逸話である。
作曲家にとって聴力の著しい減退は、丁度我ら画家にとって視力が急激に衰えるに似たりの苦難である。
(其れ故に余は自分の両眼の視力が1.5ある事を幸せであると思い、大切にしている。)
とは言え彼が31歳の若さで遺書を認めるまで精神的に追い込まれた事は、余は彼の作品を愛好し、賞賛する者として、同時にドイツで活動していた芸術家としても心痛の思いであった。
しかしBeethovenは自分の日記に「運命は人間に忍耐力と勇気を与える。」と記した如く、其の窮状から見事に立ち直り、※交響曲、協奏曲、序曲、ピアノソナタ、ピアノ三重奏曲、弦楽四重奏曲、声楽曲、其の他、次々と傑作を生み出して行った。
これ等の作品が今も尚全世界で、繰り返し演奏、録音され、そして賞賛され続けている事は今更言うまでも無い。
(※余はこれ等の作品の大部分をCDで所有しているし、数曲は生演奏で聞いている。)
又、Walt Disney社の製作した彼の伝記映画"The Magnificent Rebel"(1961年アメリカ・オーストリア合作)を余はDVDで繰り返し観ている。
此の映画の「時代考証」はなかなか正確で、Beethovenの時代の服装、建築、楽器、等が見事に再現されている。
当時の18~19世紀のÜbergangsperiode(過渡期)のElegance(優美)とDramatische Ereignisse(激動の出来事)が同居する生活環境の中で、天才作曲家独自の”Einsamkeit”「孤独」や”Leiden”「苦悩」、そしてこれ等を克服した”Gloria”「栄光」が切実に描き出されている。
そして晩年(48歳頃)には聴力が殆ど失われても、1827年3月26日(享年56歳)其の偉大なる生涯を閉じる前年まで作曲を続けた事は、Beethovenの音楽と人生が世界中に感動を与え賞賛される由縁なのである。
此の彼の生き方こそが「運命」は人間の「気力」(精神力)によって克服出来る事を実証しているのである。
ドイツ、オーストリア以外の国では、Beethovenの耳が全く聞こえなくなったと誤解している人が少なくない。
しかし実際はある程度聞こえていたのである。
Bonnに彼の生家が記念館”Beethoven Haus”として保存されていて、余が1994年に当館を訪ねた時にも、彼の遺品として大量の補聴器が残っているのが何よりの証拠である。
耳の全く聞こえない人間が補聴器を使う訳が無い。 其れは盲目の人間がメガネをかける訳が無いのと似たりである。
大抵の「天才」、「英雄」、「偉人」とは同時に「奇人」、「変人」である事は多くの心理学者、又は伝記作家が証明している。
Beethovenも其の代表者で、驚くべき逸話として彼は生涯の中で何と70回以上も引っ越しをしているのである!
其れは何故かと言うと、彼はドイツ人としては珍しく「整理整頓」が大の苦手で、部屋の中は散らかり放題(所謂「ゴミ屋敷」)であったらしい。
そして、部屋がゴミで一杯になり住みにくくなる度に、引っ越していたと言うのである。
余も天性の才能に恵まれ、同時に凡人共からは「奇人」、「変人」と思われている事はBeethovenと同じではあるが、反対にAkkuratesse(几帳面)、 Ordnung(整理整頓)に関しては「鬼」と言う程である。
例えば、鉛筆1本、消しゴム1個でも使った後は元の位置に戻さないと気が済まないし、部屋の調度品の位置も誤差が5mm以上では我慢がならない程である。
(ドイツ語ではTtypischer Preußischer Charakter (典型的なプロイセン根性)と言うべきだろうか。)
因みに余のドイツの地元Brandenburg/H市のDom(大聖堂)のCh.Radeke牧師は余の1997年以来の親友で、今ではドイツと日本と12000kmと離れていても尚、誕生日の祝い、近況報告等と定期的に連絡し合っている。
此のRadeke牧師もBeethovenと似た処があって、天才肌で智慧多く慈悲深いと同時に、大変個性的で風変わりな人柄である。
彼も又ドイツ人としては珍しく「整理整頓」が大の苦手で、部屋の中はいつも散らかり放題であった。
余が当Dom(大聖堂)の施設Prediger Seminar(牧師の教習所)の2階の住居に住んでいた時には、彼はすぐ近所の当Dom(大聖堂)に属する住居の屋上に住んでいたので、彼が留守の時に余が訪ねると、いつも置き手紙を残すと同時に、彼の部屋を片付けて行ったのである。
余が当市に住んでいた時にはRadeke牧師に我が個展、住居、学術研究、其の他の事で本当に色々と世話になったので、今でも彼には感謝している。
思い起こせば余が首都Berlin及びBrandenburg州に住んでいた1997~2003年は、恵まれ過ぎた我が人生の中で特に幸福感に満ちた充実した時代で、正に”Arkadia in Brandenburg” (ブランデンブルクの理想郷)と呼べる位であった。
今では日本国内でDeutscher Ritterorden(ドイツ騎士団)の城を手本に自らデザイン・設計した”Backsteingotik”(レンガゴシック様式)の館(実家)で我が母上の健康を気遣い、彼女の事業所、家事を手伝いながら、絵画作品及び文学作品を制作して暮らしている。
我が館はGeistige Heimat(心の故郷)Berlin及びBrandenburgを長い間離れて暮らす余にとって、当地を思い出させる、正にGeistige Unterstützung(心の支え)なのである。
そして我が母上の経営する事業所も2017年で遂に創業以来遂に60年を超えてしまった。
一つの仕事(事業)を半世紀以上続ける等、並大抵の人間で出来る事ではない!
全く我が母親ながら頭が下がる思いなのである。
此れも正に「運気」、「元気」、「根気」を全て揃えていたから出来たのだと確信している。
彼女の類稀な健康、慈愛、勤勉が我が家の財産を増やし、其れが余に銭儲けに縁の無い「道楽」とも思われる芸術活動を自由にさせてくれたのである。
此の事に関しても余は母上に心からの感謝と恩返しをしなければならないと思い、我が残りの人生を実家にて彼女との生活の為に捧げる事を決心しているのである。
故に余はドイツで生活していた時代に比べて、自由な行動が制限され、新しい刺激や変化の少ない生活になったが、それでも※栄光に満ちた過去を持ち、現在も健康にも容姿にも財産にも恵まれ、自分の最も好きな事を続けられて、衣・食・住に全く不自由しないだけでも十分幸せだと幸せだと信じたい処である。
(※いつもの様に己惚れる様だが、自分が今まで芸術家としての業績、名声、地位、人気、そして鍛え上げた肉体美も全て「天賦の才能」の上に我が母上同様に「運気」、「元気」、「根気」を全て揃えていたから築き上げて来られたのだと確信している。
但し、営利は全く度外視して来た。)
又、同時に日本とドイツの両国を長年行き来して生活して来ただけに、1年を2年程に感じたのである。
そう言う意味では実際年齢よりも遥かに長く、十分に生きて来た様な気がするのである。
そして我が人生は急ぎ足ではあったが、自分で成したい事は成し遂げ、得たいと願う物も殆ど獲得して来た。
故に我が人生に何一つ悔いは無いつもりである。
6月6日、朝目が覚めていつもの様に寝床で暫く瞑想していると、ふと次の言葉が閃いた。
「人間いつか此の世を去る運命なら、怒りや悩みを持って生きるより、喜びや楽しみをもって生きる方が遥かに幸せである。」
余の生き方は一見Ausschweifer(道楽者)の様だが、実際はMelancholiker(憂鬱人間、詰まりネクラ)、 Pessimist(悲観主義者)なのである。
本来多大な幸福に恵まれているのに、其の中に小さな不満を見つけては怒り、将来起こり得る問題を予測しては憂いるのである。
此の日閃いた言葉を常に念頭に置いて生きて行けば、どんなに自分の心も軽く清らかに晴れるであろうかと思えるのである。
以前余が編集した「世界の幸福に関する格言・名言集」(https://beautysilk.on.omisenomikata.jp/diary/671192)の中にも「人の幸、不幸は本人の考え方次第である。」と言う西洋の諺を記しているが、正に幸福も人間の「気力」次第であると改めて感じたのである。
其の為には日常の小さな事にも、感動や感謝の気持ちを起こす事が、良い効果を生み出すと思える様になったのである。
ストレスが貯まり易い現代社会では、自分の人生に於ける不平不満を紛らわせるのに、多種多様なやり方で「現実逃避」をしている人が何とも大勢いる様である。
しかし、人間がどんなに一時的に「現実逃避」をした処で、結局の処いつもの如く「現実」に逆戻りして、逃げ切る事等絶対に不可能なのである。
それならば寧ろ素直に開き直って「現実」を受け入れ、対処する事の方が理にかなっているのである。
医学的の分野で解説すると、ホルモンの一種であるSerotonin(セロトニン)は必須アミノ酸のTryptophan(トリプトファン)から生成され、Noradrenalin(ノルアドレナリン)やDopamine(ドーパミン)と並んで、体内で特に重要な役割を果たしている「三大神経伝達物質」の一つである。
此の物質には精神的な安らぎや幸福感、気持ちをpositiv(肯定的、前向き)optimistisch(楽観的)にして、ストレスを貯めにくくする作用がある。
故にSerotonin(セロトニン)は俗に「幸せホルモン」と呼ばれている。
Tryptophan(トリプトファン)は※大豆製品、牛乳やヨーグルト等の乳製品、ピーナッツやアーモンド等のナッツ類、卵黄、バナナ、等に多く含まれているので、食生活でこれ等を摂取する事も大事なのだが、更に日常生活で喜びや楽しみを感じる事もSerotonin(セロトニン)を良く分泌させるのである。
(※医学を学んだ余は健康維持の為、自分と家族でこれ等の食物を長年毎日摂取して来ている。)
此の随筆の題名にある「運気」も「元気」も「根気」も人間が生きて行く上では、「幸福」、「成功」を獲得する為に必要不可欠な条件である。
「気力」とは正にこれ等を生成するGeistiges Element”(精神的要素)なのである。
今回題材にしている日本語の「気」をドイツ語で表現すると、「気持ち」は”Gefühl”と訳せるが、「気」は“Geist”(精神)ないしは”Seele”(魂)と訳すべきである。
「精神」又は「魂」に因んで、最後に「仏教聖典」の中に記されている以下の譬え話を紹介する。
≪昔ある所に大層な長者(大富豪)がいた。 而も彼には4人の妻がいた。
長者はある日、遥か遠くの国に旅立つ事になり、二度と我が家に帰る事は出来なくなった。
そこで彼は4人の妻達に自分の伴をする様に頼んだ。 すると1番目の妻は「誠に残念ながら私は貴方の御伴は致せません。」と言った。 2番目の妻は「貴方は私を力ずくで物にしたのですから、御伴は出来ません。」と言った。 3番目の妻は「せめて町の防壁の門まで御見送り致しましょう。」と言った。 すると4番目の妻が「私が貴方の御伴を致しましょう。」と言ってくれたのである。≫
此の話の深い意味を解説すると、「長者」とは「自分自身」で、「遥か遠くの国」とは「来世」(あの世)の事で、1番目の妻は自分の「肉体」を意味し、2番目の妻は自分の「財産」を意味し、3番目の妻は自分の「家族、親族、友人」を意味し、そして4番目の妻は自分の「魂」を意味しているのである。
即ち人間が「来世」に持って行けるのは「魂」のみなのだから、現世で大事にして汚す事の無い様に心掛けよ、と云う啓示なのである。
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