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比叡山・滋賀院門跡に於ける大僧正猊下との謁見

2016.11.16

今年の5月の8日、余は滋賀県大津市坂本に新たな主題の天台寺院の取材及び参拝に出向いて来た。
流石に当地は総本山・比叡山延暦寺の御膝下だけに、約50件もの天台寺院が集中的に建っている。
今回は其の中でも特に重要な、『聖衆来迎寺』、『生源寺』、『律院』、『滋賀院門跡』、其の他「養光寿庵」、「公人屋敷」、「日吉御田神社」、「大将軍神社」、「寿量院」、「実蔵坊」「恵実院」(慈眼堂)を訪ねて来た。

先ず、『聖衆来迎寺』(しょうじゅらいごうじ)は延暦九年(790)、最澄大師によって「地蔵教院」として開基され、長保三年(1001)に源信和尚(恵心僧都)が当地に於いて紫雲に乗った阿弥陀如来が25人の聖衆(菩薩)を連れて善人の魂を迎えに来るのを見た事に因んで、当寺を「紫雲山・聖衆来迎寺」と名付けた。
境内の重要文化財に指定される主な御堂として、本堂、客殿、開山堂がある。
本堂には本尊の「阿弥陀」、「釈迦」、「薬師」の三如来を始め、多数の文化財に指定されている仏像がある。
当寺の数ある寺宝の中でも鎌倉時代に描かれた「六道絵」は特に有名である。
堂内の拝観は事前に予約しておかねばならないにも拘わらず、親切にも御住職の奥様が特別に数多くの重要文化財を安置する本堂に案内してくれた。

次に『生源寺』は日本天台宗の開祖・最澄大師が神護景雲元年(767)御誕生の折、産湯を取った井戸がある事で名高く、後に大師御自らによって開基されたと伝えられる。
当寺は比叡山延暦寺・西塔の総里坊格の寺で、近世には本山の寺務を総括した故、「叡山文庫」には多くの「生源寺記録」が所蔵されている。
又、最澄大師の誕生寺と云う理由から特別な霊地として崇められ、毎年当寺では大師の御誕生日(旧暦の)8月18日を祝う式典が盛大に行われる。 ここでも職員の方と色々と良きお話をする事が出来た。

最後に『滋賀院門跡』についてだが、元和元年(1615)天海大僧正が後陽成上皇より京都・御所の高閣を受け賜った物を現地に移築し、明暦元年(1655)に御水尾上皇(ごみずのおじょうこう)より「滋賀院」の称号を受け賜った。
約1万平方メートルに及ぶ境内には、勅使門、通用門、内仏殿、宸殿、二階書院、庫裡、台所、6棟の土蔵、そして庭園があり、外部は「穴太衆積み」(あのうしゅうづみ)様式の石垣の上に土塀が張り巡らされている。
『比叡山延暦寺・滋賀院門跡』の名が示す通り、総本山・延暦寺と直結の天台座主の御座所でもあるので、京都にある『天台宗五大門跡寺院』(妙法院、青蓮院、曼殊院、三千院、出雲寺)よりも更に格が高い。 
地元では別名「滋賀院御殿」とも呼ばれる。

そしてここで我が身に御仏と最澄大師の御導きとも思える奇跡的な事が起きたのであった!
余が当寺院の取材、拝観を終えて引き上げる直前に大玄関をふと見つめた時、同時に玄関の扉が開き一人の御坊様が御出ましになられ、初対面であったにも拘わらず色々と話が進み、御坊様は「良かったら上がりませんか。」と仰せられ、余を客間へと御通して下さったのであった。
改めて御互いの自己紹介をした処、余は此の御坊様がここ『滋賀院門跡』の門主・大僧正・小林隆彰 猊下(げいか)である事を知り狼狽する程驚いたのである!
本来、大僧正猊下には地方の同宗派の僧侶ですら、容易に御目通りは出来ない。
まして一般人等は尚更の事である。
一般では「門跡寺院」の寺格について認知している者が希である故、注釈を付けるのだが、かつての「帝政時代」までは門跡寺院の門主の役職には、皇族か御摂家(公家の筆頭格)の御出身でなければ就く事は出来なかった。
大僧正・小林猊下は天台宗務庁総務室長、延暦寺代表役員執行、叡山学院学長、延暦寺学問所所長を御歴任され、昭和62年8月以来継続される『比叡山宗教サミット』と称する、世界各国の宗教の代表者達を招待して、皆で一緒に世界平和やそれぞれの宗教 の意義、美徳、其の他について語り合う国際的な宗教行事の創案者であり運営責任者なのである。 
猊下は此の『比叡山宗教サミット』を計画し実現されるまで、当時どれだけの御思案、御尽力をなさられたかを生き生きと余に語って下さったのである。
尚、此の宗教行事は今日に至るまで28回も定期的に行われている。
更に小林猊下は余の今までのドイツ及び日本に於ける芸術家としての業績(延暦寺に18点の絵画作品を奉納し、横川中堂にて展示されている事も含む)、並びに在家でありながら天台仏教を良く学んでいる事に大層感心され、度々御褒めの言葉を下さり、更には天台宗に功績のあった者に贈与される、猊下御直筆の為に生きると記された色紙まで頂戴仕ったのである!
此の御言葉には深き意味が秘められており、即ち「己の為のみに生きる者は最も小さく、身内の為のみに生きる者は平凡にて、普く世の為人の為に生きる者は最も偉大である。」と余は解釈させて頂いている。
小林猊下は御自分が総本山の大僧正であられても、目下の者を威圧する事無く、相手の位置まで降りて接して下さる大変慈悲深き御人柄には、余は誠に感服致したのである。
小林猊下の寛大な御心に甘え、分もわきまえず2時間程も御話をさせて頂き、帰り際にも猊下から「これからも度々来てや!」との有り難き御言葉まで頂戴した。
そして余は猊下に自分の2011年以来手掛けている「天台寺院」の作品の写真、及び余の芸術活動に纏わる資料を御送りする事を約束した。
そして寺院の職員の方に比叡山坂本駅まで送迎して頂いて、喜びと幸せに満ちた心持で坂本を後にしたのである。

かつて15世紀~19世紀のヨーロッパで、芸術家の最高の立身出世とは王侯貴族や大僧正や大都市の自治体に公認される地位にある事であった。
そう言う意味では余は(銭儲けに縁こそ無いが)首都Berlin、Brandenburg大聖堂、鳴門市、比叡山延暦寺に公認されているのであるから、自分なりには頂点まで登れたと自負している。
此度、小林猊下の智慧多く慈悲深くとも素朴な御人柄に接して、余も慢心する事無く、猊下の御心と御評価に添える芸術家として謙虚な心を持って精進して行く事を決心した次第である!

5月11日、小林猊下にお届けする我が書簡、並びに資料が整ったので、早速近所の郵便局より送付して来た。
此れにて最初の大僧正猊下との大事な約束を果たせたと安堵している。
余は小林猊下から御返事を頂き、再び御目通りさせて頂き有り難く尊き御話をさせて頂く事を心待ちにしている。

追伸:
6月になって小林猊下の御執筆された書籍「とらわれをなくすと、悩みが消える」(発行:PHP研究所)を購入して読ませて頂いた。
猊下は一般人でも分かり易い平易な表現で、大変多くの人生の教訓になる事を、御自分の長年に亘る御経験を踏まえて綴っておられた。
其の中でも特に余が感服したのは、小林猊下はたとえ相手が下層社会で失敗した者でも、軽蔑したり切り捨てたりせず、一度頼られると必ず救いの手立てを差し伸べて下さると云う慈悲深さである!
上流階級や支配階級のみならず、一般人でも軽視する様な者でも、救える限り救ってやると云う御考えなのである。
正にお釈迦様の御教えの根本「智慧と慈悲」世の為人の為の善行」を実践されている、あたかもドラマ「水戸黄門」の御老公をも彷彿させる様な御人柄なのである。
自惚れ屋で高慢な余にとって、小林猊下と謁見させて頂き、更に御執筆の本を読ませて頂き、改めて我が心は清められ、御仏の光で照らされる様な思いであった!

11月14日、天気は生憎の曇り時々雨であったが、余は大津市坂本へ向かい、先ず「生源寺」を参拝し、約束通り「滋賀院門跡」を参拝し、大僧正・小林隆彰猊下に二度目の謁見をさせて頂いた。
当初は一人で行く予定であったのだが、此の度は我が母上も連れて参拝させて頂いたのである。
と言うのは、我が母上は本来大層健康に恵まれ、今まで病気や怪我等で殆ど患った事が無い程元気で、其の人生は誠に「順風満帆」だったのだが、今年はどういう事か3月以来、体調を崩したり、立て続けに小さな怪我をしたりと、不思議な程災難が続いた。
其の都度、医者の診察と(医学知識の有る)余の手当てと健康管理に依って、全て問題を解決して来た。
しかしながら余も我らの親戚も友人も皆、今年はまるで彼女の厄年の様に思えてならないので、此の際、比叡山坂本の寺院を余と共に参拝し、大僧正猊下に御目に掛からせて頂けば、厄払いが出来ると信じ、余の共をさせたのである。
余が一存で我が母上を連れて行ったにも拘らず、小林隆彰猊下と秘書官殿は我ら親子を大層喜んで御出迎え下さった。
嬉しき事に小林猊下は余の母上を一見させると、一番に「別嬪さんやな~。二人共よう似とるわ。」と御褒め下さったのである。
(我が母上は既に高齢ではあるが、余は我が親ながら彼女があのドイツの往年の名女優Marlene Dietrich(1901~1992)に似ていると思えるのである。 此れは決して単なる「身内贔屓」ではなく、余の親しい他の誰にも2人の顔を比べてもらっても、全員其れを(御世辞抜きで)認めてくれるのである。 其の上、2人の誕生日も12月であるし、身長もほぼ同じ163cmで、若き時だけでなく、晩年の姿も顔のみならず、体形も崩れず、姿勢も良い事も共通しているのである!) 
更に客間にて御互いの生い立ち、人間の「縁」、「運」、「徳」、「行」、「歴史」等について色々と楽しく有り難き御話をさせて頂いた次第である。

今回の御話の中で、猊下から頂いた教訓となる尊き御言葉は以下の物がある。

*他人から綺麗に見られたいと云う「見栄」よりも、人の心を和ませる笑顔を作る事に努めなさい。

*「歩く」と云う単純な行いでも、長く歩き続ければ、多くの素晴らしい場所、人々に巡り合える様に、物事を長く続ける事で、大きな成果を得られるんです。

*同じ「欲」でも、世俗の欲と仏心の欲とでは大きく違う。
「世俗欲」とは、動物的本能や人間の私利から来ている。 
「仏心欲」とは真実や正道を知りたいと云った智慧と、世の為人の為に役立ちたいと云う慈悲から来ている。

*たとえ「道楽」でも、其れが世の為人の為に役立っているのなら、「道心」ある「浄行」です。

*人間は体で年を取るんじゃなく、心で年を取る者です。
とは言え誰にもいつかは必ず死が来る。だから此の世で命ある限り精一杯生きて行かねばならんのです。

驚いた事に我が母上は猊下とは今回が初の御目通りであるにも拘わらず、まるで昔から親しい御方と話す様に気さくに話していたのである!
我が母上にして見れば、小林猊下は誠に心の通じる素敵な御仁である事を感じ取っての事であろう。
とは言えいくら猊下が相手の位置まで降りて接して下さる大変慈悲深き御仁であられても、我ら天台宗の最高位の大僧正様に対し、初対面から余り馴れ馴れしき態度を取るのは、些か礼儀を欠くのではないかと、余は恐縮して、母上に注意を促した程である。
とにかく余のみならず、我が母上の事も猊下は大層気に入って下さった事が、余にとっては至高の喜びでとなった!

当地、比叡山坂本は京都市と境を接し、総本山・延暦寺の麓に滋賀院門跡、生源寺、律院、西教時、聖衆来迎寺等52件もの天台寺院が集中して立ち並び、春の桜、夏の深緑、秋の紅葉、冬の雪景色と見事に調和して、四季折々の美しさが堪能出来る。
又、時折天台宗にまつわる宗教行事や祭り、其の他の催し物も多々開催されるので、日本のみならず世界中から大多数の観光客が訪れるのである。
今回の訪問にて、我ら親子は誠に幸福に満ちた素晴らしく貴重な時を過ごさせて頂いたのである!
そして、小林猊下に心からの御礼を申し上げ、猊下からも「これからも度々来てや!」との誠に有り難き御言葉を頂き、秘書官殿に車で比叡山坂本駅まで御送り頂き、家路に着いたのであった。

12月の追伸:
余の医学知識に基づく手当てと栄養補給と体操、そして御仏(滋賀院門跡の御本尊・薬師如来様)の御加護、並びに小林猊下の御人徳により、我が母上は現時点で昨年以上に健康状態が著しく向上している。 我ら親子共々、此の事には心より感謝している!

Kunstmarkt von Heinrich Gustav   
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比叡山・滋賀院門跡に於ける大僧正猊下との謁見

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