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Brandenburg/H市の大聖堂建立850年と我が地元の友人達

2015.09.04

2015年は我が地元Brandenburg/H市の大聖堂の建立850年に当たる記念の年である。
此の事は我が親友で、当市の大聖堂に勤めるCh.Radeke牧師と前回の電話で話した時にも話題にもなって、其れに関する本が発行されているので、有難き事に此れを余に送ってくれるとの事であった。
そして本日、有難き事に此の本"Bestätigung neu 850Jahre Dom zu Brandenburg an der Havel" (2015年初版)と"Deutsche Münzkollektion"に属する当大聖堂の記念の金メダルを余の誕生日に間に合う様に送ってくれたのである。
余にとって此の大聖堂にて1998年(当市設立1050年記念事業)、2001年に個展を開催して、我が作品36点をここに奉納している事は、永遠の誇りなのである!
此の業績が評価され、余は此のDomstift(大聖堂財団)の関係者と認められて、此の大聖堂に所属する特別展の会場でもあるSt.Petri kapelle(聖ペトリ礼拝堂)のすぐ向かい側にあるPredigerseminar(牧師の講堂)の2階に(家賃無料で)住ませてもらっていたので、自分の部屋で「窓からDom(大聖堂)が見える。」と云った具合であった。
又、昼休みにはいつも大聖堂の中に入ったり、周りを散歩したり、場合によっては訪問者の案内も手伝う事もあった。
思い起こせば此のBrandenburg/H市には実に数多くの美しく楽しき思い出があり、ドイツ国内で余が最も住み慣れた最愛の都市なのである!

参考に(余がドイツ語の図書、文献より翻訳、編集した)Brandenburg/H市大聖堂の概要について書き記す。
現在のBrandenburg州に於いて、西暦948年にHeiliges Römisches Reich(神聖ローマ帝国)の皇帝OttoⅠ世によってBistum Brandenburgの開設と共に当市はHavelberg, Pritzerbe, Putlitz, Ziesarと並んで最初に設立された。
1134年に初代領主Markgraf v,Brandenburg Albrecht der Bären (ブランデンブルク辺境伯爵アルブレヒト公)によって領国"Mark Brandenburg"の基礎が成立した。
此の大聖堂は当市最大の教会、並びに象徴として1165年に建立が始まり、聖人St.PeterとPaulの名を冠した。
最初はRomanik様式のBasilikaとして建設が進められ、塔を2本にする予定であったが、予算との関係で塔は1本のみとされた。
1337年から15世紀にかけてGotik様式へと大規模な改築が成された。
1517年にMartin Lutherが始めた"Reformation"(宗教改革)の影響を受け、1539年には領国Kurmark Brandenburgは新教Protestantへと変貌し、当大聖堂も1544年よりProtestantへと改宗された。
"Dreizigjähriger Krieg" (三十年戦争)の終結した1648年に、内陣と地下納骨堂の増改築が成された。
Preußen王国が成立した4年後の1705年にはPreußen国王FriedrichⅠ世陛下の御命令にて、大聖堂の北側に"Rittercollegium"(騎兵養成学校)が設立された。
1833年にも天才建築家K.F.Schinkelによって修復改築が成された。
第二次世界大戦後の東西ドイツ分裂の時代(1949~1990年)には東ドイツに於けるDenkmalpflege(文化財保護)は立ち遅れ、多くの歴史的文化財が大戦で破損、ないしは荒廃したままの状態で放置されていた。
1990年10月3日のDeutsche Einheit(ドイツ統一)後、1990年代後半頃から、旧・東ドイツの各都市で文化財の修復が一斉に始まった。
Brandenburug/H市の大聖堂も1996年から2014年にかけて、外観や内陣そして近隣の建造物、施設が次々と修復、洗浄されて行き、其の作業は今年の850年記念に間に合う様に完了している。
大聖堂内にはKrypta(地下納骨堂、1221年、1357年製のKruzifix(十字架のキリスト像)、後期Gotik様式の多数の祭壇 "Böhmischer Altar"(1375~80年)、"Marienaltar(1410~20年)、"Allerheiligenalter"(1465年 )"Kreuzalter"(1470年 )")"Hochalter"(1518年 )、Kanzel(説教壇 1691年)、J.Wagner制作のパイプオルガン(1723~25年)、其の他Dommuseum(大聖堂宝物館)には歴代の宗教用具や文献等が展示されている。

更に2日前に同じくBrandenburg州の都Potsdamに住む我が友人で芸術・文化財保護団体"Rosenweiß Verein"の事務長で写真家のS.Radtke氏からメールでの連絡があり、また新たに余に贈り物を届けてくれるそうである。
(※11月10日に届いた其の贈り物の内訳は、1918年2月発行(第一次世界大戦中)のドイツ製の新聞、1930年代の首都BerlinのGendarmenmarktの印刷画、 同時代の美術品、文化財の写真葉書、1944年頃に描かれたPotsdam出身の当時の画家志望のドイツ軍人のインクデッサン20枚、そしてPreußen王家のFriedrichⅡ世陛下と美人の誉れ高きLuise姫の肖像を象った2点の石膏製レリーフ等である。
余は直ちに彼に礼状を認め、御礼の品物(黄楊の縁起物のレリーフ、其の他を送っておいた。)
月日が流れるのは早いもので、余が地元Brandenburug/H市からずっと日本に戻って、早や14年が経っていると云うのに、余の地元Berlin, Brandenburgの友人達とも12000kmも遠く離れているものの、相も変わらず定期的には連絡し合い、誕生日や折に触れては贈り物をし合える事は、何と素晴らしき友情であろうかとつくづく実感するのである!
欧米人は日本人より家族や友人の誕生日を大切にする習慣があり、中でも特にドイツを含む北ヨーロッパでは其の傾向が特に強い。
大事な人の誕生日を忘れる事が、場合によっては非礼に当たる事すらある。
孔子様の「論語」の中の御言葉「 有朋自遠方来、不亦楽乎」(友有り遠方より来る。又、楽しからずや。)とは正に至言也。
たとえ遠く離れようとも、長い年月が経とうとも、余の心の中には地元で過ごした美しき日々が今でも鮮明に刻まれている。
自分の『格言集』の中にも「最も幸福な人間とは過去に美しき思い出を持ち、現在は良い課題に取り組み、そして未来に希望を持っている。」と書いているが、自らがそう有らなければならないと改めて思うのである。

我が最愛のGeistige Heimat(精神の故郷)Brandenburgに2003年に住んだのを最後に、以来ずっと遠く離れた日本国内でDeutscher Ritterorden(ドイツ騎士団)の城を手本に2000年に自らデザイン・設計した”Backsteingotik”(レンガゴシック様式)の館(実家)で、絵画作品及び文学作品を制作して暮らしている。
此の様な日がいつか来るだろうと予測して、余は予てより地元Brandenburgで修復中の※歴史的文化財からレンガの一部を頂いて、日本の我が家に持ち帰り、自分のAtelier(仕事部屋)の机の隅に置いている。
(※例:St.Petri kapelle (1314~20年)、Dminikaner Kloster St.Pauli (1286~1340年) zu Brandenburg/H、 Stadtmauer von Templin (ca,13~14Jh)、Schloß Wiesenburg (1864~80年)、St.Marien kirche zu Königsberg/Nm (1389~1407年+1854~61年)、其の他)
これ等のBrandenburgの古きレンガを手に取って見つめる度に、余は地元での幸福と喜びに満ちた日々を思い出し、同時に当地を主題にした作品制作に於けるInspiration(閃き)とMotivation(意欲)が起こされるのである。
フランス古典派絵画の巨匠Nicolas Pussin(1593~1665年)は、イタリアの首都Roma滞在中に「古代世界の最も美しい記念物とは何か?」と問われた時、足元の雑草の間から一握りの土を拾い上げ、「此れこそ古代ローマの精華だ!」と答えたと言う。
又、フランスの詩人・小説家Francis Carco(1886~1958年)は同時代のEcole de Paris(パリ派)の画家Maurice Utrillo(1883~1955年)と此の様な問答をした。
Carco:「もし君がParisを離れ、二度と戻れない事になったら、Parisから何を持っていくかね?何か此れと言う物があるかい?」
Utrillo:「漆喰の欠片を持って行くだろうね。」
Carco:「其れはどうして?」
Utrillo:「僕は子供の頃、漆喰の欠片を集めて遊んだんだ。」
Carco:「其れだけかい?」
Utrillo:「勿論さ、此の漆喰の欠片を眺めたり触ったりすると、色々な考え事が浮かぶんだ。」
Pussinは一握りのRomaの土に古代文化の美と精神の原点を見出し、UtrilloはParis・Montmartreの家屋の壁の漆喰の欠片に、過ぎ去った美しい日々を垣間見たのであった。
余を含め3人の歴史に名前と作品を残す芸術家が、これ等の決して高級でもない素朴な対象物に、自分達の仕事に於けるGeistige Quelle (精神の源)及びIdeales Grund(理想と観念の原点)を置いている事は大変興味深き事である。

余談になるが、先週の8月28日は余が最も尊敬するドイツの大文豪J.W.v.Goethe先生(1749~1832年)と余の最愛のイギリスの"Pre Raphaelites"(ラファエル前派)に属する画家でデザイナーE.Burne Jones画伯(1833~1898年)の御誕生日であった。
興味深い事に、偶然にも御両名共に「巳年」生まれなのである。
御両名について更に書き記していきたい処ではあるが、当時、京都・山科の「毘沙門堂」の絵を制作中であったので時間が無かった。
其の後、8月初めから制作していた此の絵が、9月1日にやっと完成した。
前回の作品「三井寺・南院の諸堂」に続き完成までにほぼ1カ月を費やしてしまった。
本来なら1か月に作品を2点は完成させたい処なのだが、作品の内容、其の他の用事が係ると、いつも思い通り、予定通りには行かないものである。
9月2日以来、京都・山科の天台宗・門跡寺院「護法山・出雲寺・宸殿」の絵に取り掛かっている。
因みに当寺院は正式名より前期の俗称「毘沙門堂」の方がよく知られている様である。

余がCh.Radeke牧師に宛てた礼状及び近況報告は以下の通りである。

Lieber Christian !

Gestern Dein geschicKtes Buch 850Jahre Brb, Dom und vergoldene Gedenkmünze, habe ich sehr freudig erhalten und sofort seinen Inhalt etwas gelesen.
Da hatte ich danach meinem (japanischen) Blog, über die Geschichte des Doms und meine Erinnerungen und Freundschaft in Land und Stadt Brandenburg (zB, über euch) schreiben, darfür mußte auch dieses Buch zum Nachschlag brauchen.
Ich habe schon mehehre Kirchenführer und Heft über euren Dom,  doch diesmaliges Buch ist größte und umfangreichste !
Als ich noch zu "Predigerseminar" wohnte, damals die Rnenovierung und Sanierungsarbeit wie Turm, Orgel, Petri kapelle u,a, direkt gesehn.
Dazu entnahm ich vom diesen Buch daß Plegearbeit für Dom und sein Nebengebäude und Anlage bis 2014 weiter dauert damit diesmaligem 850Jahre Jubiläum zu erreichen.
Außer der Brandenburg/H die berühmte Doms im Deutschland sind beispielweise; Köln, Bremen, Lübeck, Braunschweig, Magdeburg, Naumburg, Havelberg, Meinz, Worms, Augsburg und Bamberg.
(Außer der Worms u, Naumburg habe ich alles bescichtigt.)
Solang ich die Geschichte jedes Doms ansah, eurer Dom ist bestimmt älteste Existenz sein.

Nun werde meine neue Meldung schreiben.
Wie Du schon kennst, seit 2011 die Serienbilder des "比叡山延暦寺”(Hieisan-Enryakuji) das Generalobere Tempel von 天台宗(Tendai-Sekte) vollenden und sie demselbenen Generaloberen Tempel darbringen, habe ich neuen Thema "Die Tempeln von von 天台宗(Tendai-Sekte)" eingetreten.
Auch dieses Jahr weiter auf gleichem Thema arbeiten.
Ab 28.April bis heute 5Bilder von ”三井寺”(*Miedera) und ”毘沙門堂” (*Bischamondou) aufgemalt.(vgl:beigelegte Bilder)
Somit auf diesem Thema insgesamt 33Bilder vollgebracht.
Ebenfalls diesem Jahr meine personale Ausstellung im Deutschen Hausmuseum zu 鳴門(Naruto),
nach den Wunsch von derselbenen Stadt und Gesellschaft, aufs Thema "Baudenkmäler und Landschaft aus Pommern" von 10.Okt~23.Nov eröffnet werden.
Die Exponarten sind schon früher fertig und die Vorbereitung auch fast fertig gebracht.

Mit herzlichen Dank und Gruß      Heinrich Gustav
                                   
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