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ビューティシルク シルク美容室 の日記

3月の我が家に纏わる様々な出来事

2022.03.12

余は健康管管理の為と気分転換と幾分のNarzißmus(自己愛)から、ウェイトトレーニング、格闘技等の練習を週5日のペースで続けており、今年で通算37年になる。     
以前は冬の間もウェイトトレーニングを続けていたのだが、ここ3年以来ウェイトトレーニングの場所である(ボロ)別荘の老朽化が急激に進み、屋根や壁から冷たい隙間風が入る様になった為、石油ストーブ1台、電気ヒーター2台で暖房をしても、十分に温度が上がらない。
其の上、余が冬でも短い水着とリストバンドだけを着用して運動する事にこだわっているので、止むを得ず「冬休み」を採る事にしている。
此の「冬休み」に出来た時間を利用して、昨年の12月には色褪せた台所の窓の格子、並びに玄関の窓の格子に着いている多数の小さな発疹の様な傷を、自ら調合した塗料で修理した。
更に今年の2月には我が家の事業所の入り口の天井の塗装、館の玄関前のタイル縁のコンクリートの修理、室内の壁紙の一部の貼り付け、3月には館の南側の金属製屋根の錆取りと塗装、そして玄関口の照明器具の和紙の張り替え、更には我が家の車庫の金属部の塗装、駐車場の地面の白線の修理、等の作業を全て余1人で完了した。
普通の人ならば此れだけの作業は専門業者に委託するのだが、そこへ行くと余は芸大で絵画/グラフィック及び建築をも学んでいる画家であり、美術工芸品、骨董品の収集、修理も行っているだけに、自分自身でいとも簡単に成し遂げられるのである。
 今年になって昨日3月7日より初めてウェイトトレーニングを再開した。

4カ月振りに実家から自転車で(ボロ)別荘までの道のり(6km)をつい力んでスピードを出し過ぎたせいか、3分の2程走った処で少々息切れしそうになったが、後は根性で走り切った。
(ボロ)別荘に着いて20分程一服してウェイトトレーニングを始めたのだが、無事本日全てのメニューを完了する事が出来た。
久方振りのトレーニングを終えて帰宅して夜中になっても、(昨年の5月3日同様に)肉体的には軽い筋肉痛と疲労感がある程度で、寧ろ精神的には安心感と満足感に満たされている。
そしていつもの様に自分の美しい顔や裸体を鏡で見ながらうっとり見惚れている有様である。
プロスポーツマンですら長期休養した後に現場に復帰すると、鈍った感覚を取り戻すのに幾分時間がかかるとの事である。
まして普通の人間なら1か月以上も普段続けているスポーツを休むと、体が鈍る(なま)のが当然である。
ところが余は何とも不思議な事に、常人離れした回復力を持っている。
(此れ又昨年同様に)「よくぞ斯(か)くも長きに渡って続けて来たものだ!」と我ながら感心している。
我が家の(ボロ)別荘の所在地は辺鄙な片田舎で、郵便局と小・中学校以外何も見当たらない程である。
其れでも町(東区)のど真ん中に立つ館に住んでいる余にとっては、道中で見える大河と山の風景、そして別荘の周りの広々とした田園風景を見て、ウェイトトレーニングと格闘技の練習をしたり、庭に生える草木を見る事が、何よりの気分転換になるのである。
又、「人間は体で年を取るのではなく心で年を取る。」と言う格言があるが、余も此の格言には同感出来るのである。
余が「初老」と呼ばれる程の年になっても尚、誰からも容姿、体力共に30代前半と認識されるのは、ただ医学知識を元に徹底して健康管理をするだけでなく、やはり自分の人生に於いて確固たる目的や、全身全霊を以て取り組める物事(仕事)があるからではないかと思われる。
3月11日に週5日の最後のメニューを終えて、今年初めてのウェイトトレーニングを完了した。
ドイツと日本を毎年行き来していた時代(1989~2003年)と同様に、ウェイトトレーニング再開第1週目が一番緊張するし、此れを完了すると一番安心感と満足感に満たされるのである。
(更に詳しくは同ブログの記事「久方振りにウェイトトレーニングに復帰した事, 及び我が容姿について」(https://ameblo.jp/hochmeister/entry-12672351253.html) 参照)

我が家の別荘には特に我が親父殿と隣に住んでいた母上方の祖母の思い出が沢山ある故、老朽化しても余が自分で時折修理を施して今まで持ち堪えて来たのだが、最近では前記の通り悲惨なまでに老朽化しているので、遂に新築する事を決心した次第である。
ところが我が家の別荘前の道は自動車が通りぬける事が出来ない程狭い故、「建築基準法」を満たしていない事が、我が館を(余のデザイン・設計を元に)新改築してくれた建築会社の調査で判明した。
即ち別荘を新築する為には、我が家の別荘の敷地に建築業者の車両が出入り出来る道筋を確保しなければならないのである。
そこで別荘前の道に平行に流れる用水を跨いで向こう側の道路に橋を架ける事を建築業者が提案してくれたのだが、橋を架ける費用は思いの外高く、普段使わない橋の為に其の様な出費をするのは非合理であると思えた。
そこで余は別荘の北と東を囲む農地(田んぼ)を買い取り、道に面した部分を40~50cm程埋めて、道を拡張する以外に選択肢は無いと思ったのである。
其の為今年の1月半ば頃より我が家の別荘に隣接する農地(田んぼ)を買い取る事を、我が家の既存の農地(約1000坪)を耕作してくれている友人の鶴海さんに相談してみた。
何と鶴海さんは親切な事に此の法的な手続きの為に自分の親戚である司法書士さんを紹介してくれたのである。
又、鶴海さんは地元の町内会長も務めている関係で、我が家の別荘に隣接する農地(田んぼ)の持ち主さんをも知っていたので、余の代理人として此の話を進めてくれたのである。
すると田んぼの持ち主さんは快く田んぼを余に譲渡してくれるとの事である。
余は鶴海さんと此の田んぼの持ち主さんが到着する前に、我が館の近所にある司法書士さんの事務所を訪ねて御互いに自己紹介をした処、何と彼も我が家と同じ(天台宗)成願寺が菩提寺である上、寺と同じ地区に実家があり、現住職の兄上と元同級生であるとの事である。
此の事から一気に仲良くなり、其の後到着した鶴海さんと農地(田んぼ)の持ち主さんと4人で農地売買の件で話し合い、各手続きは司法書士さんが行ってくれる事になった。
其れ以来此の事は順調に進展し、予定では3月20日頃には法的に譲渡が成立する見込みである。

実を言うと余は子供の頃より此の農地(田んぼ)で稲が無い時期にはよく遊んでいた事、其の他にも我が別荘の庭でエンドウやメロンや瓜を育てる時に使う藁を田んぼから貰っていた事、更に別荘と田んぼの境に大量に群生するアヤメ、カキツバタ、菖蒲の花を摘んで母上の趣味の生け花の為に家に持ち帰っていた等の多くの思い出がある。
故に「いつの日か此の農地(田んぼ)を買い取って我が家の私有地に出来ないだろうか。」と言うのが我が少年時代からの願いであった。
「今では農地価格が所謂「バブル経済期」に比べて大幅に下落してるし、其れでいて将来この辺の農地は地価が上がる見込みやから、買い取るには良い機会なんや。」と鶴海さんも言ってくれているし、獲得後此の田んぼも同様に鶴海さんが耕作してくれるのである。                     
鶴海さんには今までの我が家の農地(田んぼ)の耕作のみならず、新たな田んぼの獲得にまで協力して頂き誠に有り難き限りである。
御礼として彼の生まれ故郷の徳島県の伝統工芸「大谷焼」の茶器揃えを進呈しておいた。
かくして我が家の所有する農地は合計約1850坪になり、米の生産高も約2倍にまで増えるのである。
そして我が家の別荘の新築への重要な第1歩を踏み出せたのである!

昨年2021年3月10日に我が親父殿(1921~1980年)の生誕100年を迎えた。
余は此れを機に、親父殿の位牌の金と黒漆を新たに塗り直してあげようと思い、行きつけの仏壇店に見積もりをしてもらった処、最近の金相場の高騰(2000年頃に比べて6倍以上)が影響して、位牌を新調するより高くつくとの事であった。
ならば位牌を新調すれば良いのでは?とも考えられるのだが、余としては親父殿の本来の位牌を処分せず大事に仏壇に納めて供養して行きたいので、塗り直しは取りやめにする事にした。
ところが3月15日にあるドラマを見ていると、其の中に墓参りをする場面があって、墓碑銘に金を入れた墓石が見て取れた。
此れを見て位牌の塗り直しをしなかった代わりとして、我が家の先祖墓の墓碑銘と家紋(丸に九枚笹)そして霊標の題名に金箔を施す事を思い付いたのである。
早速、余が親しい仏壇店の店員さんに此の事を相談してみると、余の予想より遥かに安価に出来る様なので、丁度「彼岸会」も近いので此れを業者に実行してもらう事にした。
一部の人が見れば、先祖墓を金箔で飾り付ける等、見栄や道楽に思われるかも知れないが、余は我が家の清和源氏の流れを汲む家柄と家紋に誇りを持っている事から、どうしても一般庶民と同じ墓では満足が行かないのである。

早稲田大学・考古学・谷川章雄教授によると、「18世紀ごろから家を強く意識し始めたことを背景として、各家で墓標を造立することが広がり、この時期に院号・居士・大姉など上位の戒名を持てない家では夫婦、兄弟姉妹、親子など家族をまとめ1基の墓標にまつることが多くなる。(中略) 一方、院号・居士・大姉などの戒名を持つ(名)家では、18世紀初頭ごろから家族が個人の墓標を造立することの方が一般的であった。 
言い換えれば、こうした墓標のあり方が家の格式の表徴であった。」との事である。
参考に我が家の先祖墓では今も尚、明治~昭和初期にかけての個人の墓標が10基も残っている。
又、先祖墓の墓碑銘と家紋、等に金箔を施す習慣は全国的には大変珍しいのだが、九州の北西部、特に長崎県では多く見受けられる。
其の原因とは当県が江戸時代より所謂「出島」によって清国(中国)と交易をしていた事で、此の国の文化が伝承され、先祖に敬意を持って供養する意味で「高貴」を象徴する金箔を墓に施す様になった。

余は自分の家柄に誇りを持つ分だけ、普段より人一倍先祖を敬い供養しているつもりである。
此度、先祖墓を綺麗にして改めて明治元年(1868)以来伝わる我が家の「奧山家過去帳」を閲覧して、そこに記入されている先祖の俗名、戒名を墓地にある先祖個人の墓標に刻まれている物と比べて見た。
そして直接は御目にかかる事の無かった御先祖様方へ、遥かなる思いを寄せて引き続き敬い供養させて頂こうと思った次第である。
我が奧山家は元々美濃の国「遠山荘」に起源を有しており、明治維新より前の「過去帳」が残されていない事から、江戸時代の終わり頃までは現地を拠点として住んでいたのだと推測される。
いずれ自分が臨終した後はここに我が遺骨が納められる事も考えれば、ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家)にまでなり、其の作品と名前を未来永劫に残せる者として、其れに相応しいだけの墓にしておきたいのである。
 
追伸:
2020年以来、新型コロナウィルスが世界中に蔓延し、今年2022年3月4日の時点で全世界の通算感染者数は4億4206万人以上、同じく死者数は598万人以上と驚異的な数値が確認されている。
そして今年の2月24日以来、ロシア軍がウクライナを侵略し、同国の民間人の死者は2000人以上、難民の数は100万人以上のまで上り、地元に残るウクライナ国民は今でも生命と財産を脅かされている状況である。(因みにロシア軍の死者は500人以上、反戦デモ逮捕者は1万人以上)
更に此の戦争が影響して原油価格の高等、株価の下落、両国からの小麦の輸出の停止、等が世界経済に深刻な打撃を与えている。
これ等の悲惨な出来事で世界中で多くの人々が感染症や貧困に苦しむ中、以上の様な事を書いていると、「全く士族出身の富裕層と来たら、毎年労働もせずに株や証券や不動産で儲けて、私有地を広げて、資産物品(美術工芸品、骨董品)を買い集めて、自分の姿に自惚れてるんだからいい気なもんだ! 他人の難儀を何とも思わんのか! 人の心があるのか?」と妬まれたり、非難されるかも知れない。
あるイギリスの貴族の言った言葉>Every Words from Nobility take a low fellow how irony.<(貴族のどんな言葉も下衆には嫌味に聞こえる。)は正に至言也と思える。
とは言え余も自慢をしている訳でも、困窮者を無視している訳でもない。
故に「ロシア、ウクライナ戦争」については後程、人の為になる事を真摯に書いて行く所存である。

其の後、16日午後11時36分、宮城、福島両県で最大震度6強の地震があり、9県に渡り死者3人、怪我人220人が出ているとの事である。 此の事には取り急ぎ御見舞い申したい!
一部の被災地では過去に起きた地震と同様に、建造物の破損、断水、停電、交通の遮断、等の損害を被っている様である。
被災者の方々は暫くの間不自由な生活を余儀なくされるかも知れないが、一日でも早く復旧が進み、本来の日常生活を取り戻される事を願って止まない。

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