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ビューティシルク シルク美容室 の日記

令和元年10月22日前後の諸々の出来事

2019.10.22

今日は日常茶飯事の生活を送っているにも拘わらず、何とも晴々しい思いがするのである。
と言うのは10月20日、余は毎年の如く2016年5月以来4度も謁見させて頂いている比叡山延暦寺・大僧正・小林隆彰猊下に御誕生日の御祝いの言葉を滋賀院門跡宛てに送らせて頂いている。
昨日午後2時頃、何と有り難き事に小林猊下より御礼の電話を頂いたからである。
「毎年誕生日の祝いを書いてくれて有難う!あんたも元気にしとるか?あんたまだ若いんやから、此れからも頑張ってや!」と御礼と励ましの御言葉を頂戴したのである。
大僧正・小林猊下は天台宗務庁総務室長、延暦寺代表役員執行、叡山学院学長、延暦寺学問所所長を御歴任され、昭和62年8月以来継続される『比叡山宗教サミット』と称する、世界各国の宗教の代表者達を招待して、皆で一緒に世界平和やそれぞれの宗教 の意義、美徳、其の他について語り合う国際的な宗教行事の創案者であり運営責任者なのである。
尚、小林猊下は昭和天皇、平成天皇がそれぞれ比叡山延暦寺を御参詣の折、境内を御案内され、当山の歴史を両陛下に御説明されている。
(小林猊下に関しては同ブログの記事:初の比叡山・「賀院門跡に於ける大僧正猊下との謁見」(https://ameblo.jp/hochmeister/entry-12470489555.html
「我が個展と制作の進行状況、そして大僧正猊下との二度目の謁見」
https://ameblo.jp/hochmeister/entry-12470489625.html)参照)

そして今日は天皇陛下御即位礼正殿の儀をテレビにて拝見させて頂いた。
天皇、皇后両陛下には心よりのお喜び申し上げ、陛下の御言葉の如く、令和の時代も国民の叡智とたゆみない努力によって、日本国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与する事を願うばかりである。
かつて第二次世界大戦が終結する以前は、天皇とは国民にとって雲上の「生き神様」の様な絶対的君主であった故に、国民は陛下の御姿も御声にも接する事は無かった。
此れは帝政時代以前の歴史的資料、文献からも窺い知る事が出来る。
戦後になって昭和天皇は行政権、軍の統率権を御返上され、「国家の象徴」として国民に自ら御近付きになられた。
平成時代の30年間には人間の自然破壊から起因する異常気象や自然災害が多発した。
其の都度、当時天皇であられた上皇陛下は、被災地に自ら御出向かれ、被災者達を御励ましになられた。
其の御姿は誠に慈悲深き「国家の象徴」として更に国民に親しまれる存在となられた。
そして新時代「令和」になっても、国民の意識調査をしても、更に皇室への親近感は上昇している様である。
NHKが取ったアンケート調査で平成時代に「皇室に親しみを感じるか?」と言う質問に対し、親近感を感じるとの回答は60%以上であったが、今年令和元年に同じ調査をした処、71%が親近感を感じると答えた程である。
新しい天皇陛下も歴代の天皇と同様に古典や歴史を御研究される事によって、天皇の心得の根本である「」を学んで来られた様である。
」とは異なる文字と組み合わさる事に依って様々な意味合いを持って来る。(※( )内はドイツ語の表現)
・功徳(Gnade):神仏から良い報いを受けられる様な善行。 世の為、人の為になる良い行い。
・人徳(Humanität):人間に備わっている徳、人としての正しい道。
・道徳(Moral):自分の良心によって、善を行い悪を行わない事。 其の理法。
・美徳(Tugend):褒めるべき美しい徳。
これ等の徳を兼ね揃えられた天皇陛下は、初代・神武天皇(在位BC、666~585年)から数えて今回で第126代目となられるが、日本国民にとって正に「希望」と「尊敬」を寄せられる存在である事は2680年以上の長大なる日本史を通じて変わらない様である!
願わくは陛下の下で行政を担う政治家達にも、陛下を見習い心に「徳」を備えて務めてもらいたい者である!                                                                                      
陛下御即位礼正殿の儀に伴う晩餐会の中継を通じて、余はヨーロッパ各国(例:イギリス、オランダ、ベルギー、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー)の男性王族の御歴々が19世紀の軍服を元にした正装で御参加されているのを見ていると、どうしても心が高揚してしまった。                                                                                         
何故なら余自身も清和源氏の流れを汲む純血の「士族」であり、そして個人の「道楽趣味」で我が精神の故郷Königreich Preußen(プロイセン王国)の”Friderizianische Zeit” 即ち18世紀、Friedrich大王陛下時代のDragoner(龍騎兵)将校の軍服の完全レプリカを所有しているからである。
此れはBrandenburg州の都Potsdam にある映画会社DEFA(Deutsches Film Aktien Gesellschaft)に当市創設1000年記念の年1993年の折、当時トップデザイナーであったCh.Dorstさんに頼んで、余の体の寸法を測定した上で特別に仕立てて貰った貴重な品である。
此の軍服は普段は我がAtelier(仕事部屋)で、埃が付かない様にショール(毛織物)を被せて保管しているのだが、こう言う目出度き時にはショールを取り去って展示したのであった。

今年の春頃からであろうか、我が館と道路の際に折鶴蘭が二株生えていた。
当初はそのままにしておいても良かろうと思っていたのだが、流石に7月以降になると猛暑が到来し、アスファルトが日光を反射して路上の温度も大変上昇する。
このままでは折鶴蘭が枯れてしまうのではないかと思い、8月半ば頃にアスファルトを掘り起こして両方の折鶴蘭を取り出してそれぞれ植木鉢に移植して、我が家の事業所の東側の窓辺に置いてやった。
そうすると二株の折鶴蘭は見る見る内に倍の大きさになり、其の内の1つが枝を2本伸ばして、そこへ次々と子株を付けて行った。
子株が根を出すと、其の都度切り取っては植木鉢に移植してやっている。
10月22日の時点で既に7つの子株が生まれ、全て植木鉢で独立して順調に育っている。
以前から我が家には複数の(斑入りの)折鶴蘭があるが、今回の物は原種で「アオオリヅルラン」と呼ばれ、斑入りの流通が圧倒的に多い日本では希少らしい。
そして、此れ程までに生命力、生産力の旺盛な折鶴蘭は初めてである。
あたかも余がアスファルトを掘り起こして植木鉢に移植して快適な室内に置いてやった事を喜んでくれているみたいである。
植物学上、折鶴蘭はキジカクシ科目に属し、ラテン語の学名を"Chlorophytum Comosum"と言い、原産地は熱帯アフリカである。
又、1984年にアメリカのNASAが行った実験では、空気中のホルムアルデヒドを吸収して空気を清浄にする能力が高い事が示された。
尚、折鶴蘭の花言葉は"NOMEN EST OMEN"(ラテン語:名は体を表す)の如く、「集う幸福」「子孫繁栄」「祝賀」だそうである。
又、今日は午前中に我が家の事業所に複数の調度品を追加し、内装を新たにした。
其の一つはBenjaminの木である。(画像:左側)
此の木はラテン語の学名を"Ficus Benjamina"と言い、原産地はインド、東南アジアである。
クワ科イチヂク属のゴムの木の一種で室内用観葉植物として人気が高い。
種類によって葉の形や色に様々な違いがあり、此の木も又、酸素を多く生産して室内の空気を清浄にする作用がある。
又、Benjaminの花言葉は「信頼」「融通の利く仲間」である。
此の木は我が家に来て以来、目覚ましい勢いで枝葉を増やしてくれているので、此れから更に大きくなるのが楽しみである。
 
其の隣のVenus像は体長64cmあるリジン(人工樹脂)による物である。(画像:中央)
此の作品の原型はフランスの彫刻家 Christophe-Gabriel Allegrain(1710~1795年)によって1767年に制作された(高さ:1m74cm)、正に我が最愛の芸術様式Rococoの代表作である。
此の「美しい、崇高な姿」は同年のSalon(官展)に出品され、美術評論家D.Diderotと同時代人に感動を与え、Diderotは「近代人が造り上げた最も美しく最も完成された女性の姿だ。」と絶賛した。
彫刻家の工房で見る事が出来た此の立像は、Salonの評議員全員一致の賛嘆を得た。                                    
其れまで無名だった Allegrainは56歳で制作した此の作品で世に知られる事になる。
正に諺の"Gutes Ding braucht lange Weile."「大器晩成」の如き傑作である。
此の作品に於いてAllegrainは女神Venusの理想化した体を造り上げるのではなく、寧ろ写実的に女性の肉体美を表現している。
そして此の作品はRococo美術の典型である曲線、豊満な肉体、快楽的な動き、洗練された髪型によって、際立つErotische Schönheit(官能美)と同時にGöttliche Vornehmheit(神格的崇高さ)を醸し出している。  
此の彫刻家の名を余はどこかで見覚えがあると思い調べて見た。 其れも其の筈である。
同時代の肖像画家J.Duplessisの描いた彼の肖像画を、余は1987年3月にParisのLouvre美術館で直に見ていたし、余が当時美術館内の売店で購入したカタログにも此の肖像画が載っているのである。
 
そして其の右隣に立つ壺は徳島県の伝統工芸「大谷焼」である。
此の壺は余が讃岐の大名・蓮井氏の出である我が祖母が所有していたのを譲り受けたのである。
推定で1910~20年頃の物であると思われる。
余は此の壺を幼少の頃から見て、「いったい何に使っていたのだろう?」と思っていたが、本体の最下部に穴が開いている事から、ここには本来蛇口の様な部品が着いていたのではないかと推理していた。
原産地・徳島県の産業の歴史を調べた結果、此の壺が元々同県の主力産業であった「藍染め」の為の顔料を貯蔵する容器として使われていた事が判明したのである。
此の様に「大谷焼」は安永九年(1780年)の創業以来、地元の藍染め産業と「二人三脚」の如き密接な関係を持ち続けて繁栄して行った。
ところが幕末の1861年1月24日に締結された"Preußisch-japanischer Freundschaft u, Handelsvertrag"(日本・プロイセン友好通商条約)以来、Preußen王国から首都Berlinで製造されたPreußisch Blau(藍)の顔料が日本に大量に輸入される様になった。此の顔料は首都Berlinで製造された事に因んで、日本では「ベル藍」がもじれて「べろ藍」と呼ばれる様になり、衣服の染料だけでなく美術工芸品にも応用されていた。
余の最愛の高名なる浮世絵師・安藤広重殿も其の作品(特に空色の表現)に此の「べろ藍」を使っていたのは、現在余がドイツ製油絵の具のPreußisch Blauを空色の表現に使っているのと共通しているのである。
又、前記のDragoner(龍騎兵)将校の軍服も同様に此のPreußisch Blau(藍)の顔料で染められている。
しかしながら此の「べろ藍」ことPreußisch Blauの顔料は当時の阿波藩(徳島県)が製造していた藍の顔料よりも価格が安かった為、瞬く間に阿波藩の藍の顔料の市場を席捲する事になってしまった。
此れに依って江戸時代後期頃から各藩の武家に於ける人気と需要から大繁盛していた阿波藩の藍染め産業は大打撃を受け、当藩は没落の一途を辿る事になったのである。
と言うのは当時の阿波藩は藍染産業の大繁盛を良い事に、藩内の産業を「藍染」に一点集中させる政策を採り、他の産業をないがしろにした為である。
其の一方で加賀、越中、等の北陸地方の豪商の間では所謂「財産三分の計」が定着している。
即ち全財産を「事業経営」「不動産」「美術工芸品」の三分野に分配する堅実な方法である。

これ等の歴史の前例を見ても、人間の生活も産業も一点に偏るのではなく、バランス(均整)を保つのが大事である事を学べるのである。
因みに余が2003年、2008~2016年まで9回に渡り個展を開催して来た「鳴門市ドイツ館」の企画展示室の入口前にも此の壺と同じ色、同じ材質の大人の体が入る程の巨大な瓶が展示されている。
又、2009年12月16日~11年1月29日に当館に於ける我がPreußen地方を主題にした個展開催の際には、上記のDragoner(龍騎兵)将校の軍服をガラスケースの中で2度に渡り展示した。
此の様に古い大谷焼、藍染めのPreußenの軍服等、何か歴史上の因縁めいた物を感じるのである。

Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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